そういうの、もういいでしょ。
2017年8月山女魚
三年前の夏を最後に渓流魚を釣っていない。
理由は単純なもので、釣獲圧を掛けたくないからだ。
ゆえに渓魚を釣って食べるなど、もってのほかだと考えている。
魚体の一部にフックが刺さり、再放流しても生きられないと判断して
持ち帰るなんてこともただのご都合主義。
魚が成仏できない?なにそれ。
人間の誠勝手な解釈にすぎない。
魚が死ねばその場所に生息する微生物なり他の生き物の糧、
または自然の養分になるのではないか。
渓流魚を食べなければ生死に関わる時代ではない。
海に泳ぐアジのように湧くような個体数がいるならば
問題ないのだろうが、
昨今の、いや、もっと以前から渓流魚が置かれている環境は厳しいはず。
釣人が原因で魚は絶滅しないなんてのは楽観的でしかなく、
そこに自然災害が重なればどうなるだろう。
数が少なければ放流すればいい?
交雑魚だろうが国内外来魚だろうが、
釣れればなんでもいいと意味を履き違える釣人や漁協がいる限り、
渓流が昔の姿に戻ることはなさそうだ。
今年は久しぶりに調査名目で渓流魚を確認しに行きたいと思うが、
いまのところ具体的な予定は立てていない。
渓流魚を何尾釣っただの、
死んだ渓流魚を並べた釣果自慢だの、
初心者ならまだしも、自分は恥ずかしくてそんなことできない。
また、そういったことをする御仁との付き合いも一切ない。
そんな連中と関わりがあると思われたくもない。
これらの考えを誰かに押し付けるなんてことは
ナンセンスだと考えている。
自分はどうあるか。ただそれだけだ。
SNSなどで、
釣った渓流魚を台所に放り込んだような投稿は
恥ずかしいという風潮が出来ることを願いたい。
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