サツキマスとの出会いからしばらく経ったある日、
その流れからサツキマスの河川残留型であるアマゴに
出会いたい衝動に駆られ、
二十数年前に通った場所を再訪した。
当時はマッチ・ザ・ハッチ(マッチングザハッチやハッチマッチャーとも)に
燃え、夕刻のスーパーハッチに遭遇し、
昼間のシビアなライズに翻弄され苦汁を飲まされたこともあった。
そんな数々の思い出の景色は悪しきダム建設によって
全て湖底に沈んでいる。
ダムの餌食から辛うじて逃れた上流にある場所を通りかかると、
見覚えのある景色が残っていた。
魚釣りで初めてキャンプをした川原に違いなかった。
タープとテントを張り、夜はガソリン・ランタンの灯りでタイイングをした。
初めて巻いたエルクヘア・カディス。
アマゴは釣れなかったけれど、
自分で巻いたフライでカワムツが釣れてくれたのは嬉しかった。
そんな在りし日のフライフィッシングに傾倒していた頃には
想像できなかったルアー・タックルを僕は持ってきた。
ルアーフィッシングは勝負の早さがある。
近年の山釣りは魚の生息確認を主にしているため、
ルアーのテンポの良さを生かしている部分が大きい。
魚が釣れずともルアーを追尾する姿の確認をしやすいのも
最たる理由のひとつだ。
とはいえ、フライフィッシングの良さの一つに、
「一尾に辿り着くまでの遠回り」がある。
これはもう何物にも代えがたい魅力であることを
付け加えておきたい。
漁協によると、僕が入ろうとする場所にアマゴの成魚は
放流していないとのこと。
僕は成魚を放流していない場所を求めているので有益な情報である。
放流したよ、はいどうぞ!
どうもありがとう!
なのは子供と行くニジマスの管理釣場だけで十分だ。
「難しいよ」「放流場所でないと大釣りできないよ」
難しいのは承知の上だし、
大釣りを期待して来たわけではないので問題ない。
目的はアマゴの自然分布域で、アマゴを釣って確認したいのだ。
沢山のアマゴが釣れてくれればそれは自然環境が
整っているからであって釣りの腕がよろしいなど勘違いも甚だしい。
さらに大形が確認できれば
そこまで育つ環境が素晴らしいことになる。
もっとも悪しきダムによりアマゴが海に下れなければ
サツキマスの遡上も阻まれたランドロック(陸封)なのは大問題であるが。
簡単に人を寄せ付けない新緑に囲まれた川。
降り注ぐ木漏れ日。
透き通る水。
ルアーを流れに通す。
魚影は走らない。
川原には市販ミミズの新しい箱が転がり、
コンビニで購入したであろう飲料や食料のゴミが
所々に放置されていた。
魚影の薄さの理由も想像できる。
僕の知るいくつかの河川の規則では魚の持ち帰り自由。
尾数・体長制限などないので、
やりたい放題野放し状態先に釣って腹に入れたもん勝ち。
もちろん咎められることなどない。
ここで餌釣り愛好家の名誉の為に補足しておかねばなるまい。
先日サツキマス狙いで、どちらからともなく挨拶して
立ち話をした、他県から来ていた餌釣師。
僕と同じで年に一度サツキ詣でをしているとのこと。
クリールも持っていないし、サツキマスの釣法が
ルアーか餌なだけの違いであった。
そして話は外来魚のことに及び、
氏の通う川はアマゴ水系でありながら、
放流ヤマメが混じり、ニジマスまでもと溜息を漏らしていた。
法外な遊漁料(河川による)を払わされた挙句、
それが外来魚放流に使われるという皮肉な話。
釣れればなんでもいいのかという疑問を抱く、
僕と似た考えを持つ釣人との出会いは極々稀である。
いや、初めてかもしれない。
餌釣りだからといって規則を逆手にとり根こそぎ持ち帰るなどを
しない人だったし、僕の前に来るまで持っていた吸殻を
アシュトレイに収めていた。
ミソサザイが一生懸命さえずっている。
目を瞑って嘴を大きく開けている姿が想像できる。
撮ってやろうと探すが、
カマキリに捕獲されてしまうキクイタダキと並び、
日本で最小のミソサザイの姿を見つけるのは難しい。
そう思っているとカワガラスが岩の上から飛び立ち鳴いた。
そのうちヤマセミは現れてくれるだろうか。
瀬のひらきで小さな魚影がプラグに触れて翻った。
水に浸して濡らしたランディングネットに滑り込ませる。
鰭の美しいアマゴだった。
天然の意味は「人の手が加わっていない自然の状態」であるからして、
天然魚の定義の解釈は人それぞれあるに違いなく、
同一河川だとしても滝壺にいる魚を滝より上に放流すると、
その魚は天然でなくなると。確かに。
場所から推測するにこの魚は天然(ネイティヴ)ではないと思う。
その昔に人の手によって放たれたアマゴが
野生化(ワイルド)し、その子孫かもしれない。
成魚放流はしていないけれど、
幼魚放流はしているというオチかもしれない。
僕が知る限りでは、二十数年前から天然魚と
他水系養殖魚の交雑に警鐘を鳴らしているフライフィッシャーが居た。
いわゆる遺伝子汚染による弊害を説いていた。
例えばメダカが絶滅の危機に瀕しているニュースが流れた時、
各地の有志がメダカを増やし野に放った。
しかしメダカという名は総称であり、
自然分布域にはキタノメダカ、ミナミメダカという地域個体群がいる。
交雑することでそれぞれ備えていた特徴が消えてしまうのは
問題ではないだろうか。
「メダカみたいな魚」が小川に泳いでいればそれでいいのだろうか。
その川特有の特徴を備えた個体は絶滅し、
川はもう取返しのつかない状態なのかもしれない。
天然だろうが養殖だろうがアマゴはアマゴであり、
腹に入れば一緒で、魚なんて釣れればなんでもいいのだろうか。
複雑な思いに駆られながらも、アマゴに出会えたことは嬉しい。
撮影後、流れに帰っていくのを見届けた。
よもや養殖アマゴでないだろうなとの思いをひととき忘れて。
今日は小さいアマゴばっかりでした・・・・・・の一行で
終わるのが釣りブログの関の山。
自然観察者はそれで終わらない。
各河川のアマゴの特徴。また河川の状態を知る。
太古より続くサクラマスとサツキマスの生息圏競争。
限りなくヤマメに近いアマゴの存在。分布域の境界線。
地球温暖化が本当だとすればサツキマス生息圏は
さらに北へ進出するのか。
アマゴに非常に似たビワマスの起源はどうなのだろうか。
琵琶湖水系のアマゴは在来種なのだろうか。
山を上り川を歩き自然観察をしながら想像を巡らしたい。
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