イトウは心に宿る44

Миру Україні

2025年01月07日 07:07

原生林を駆け下る原始の渓の入口に立ち、奥へと続く景観を眺めた。
大小の岩や石で形成される地形により水は離合集散し、
落差で白泡を生み、淵があって瀬へと続き、また落差へと続く、
のべつまくなしの流れは健全な姿。
なにより水底が丸見えの透明度に息をのんだ。
ここに意中の魚オショロコマが泳ぐ。
オショロコマの最後の聖域と呼ばれるこの地域は、
イワナの生息限界を越えた場所にあり、
それは群雄割拠に競り勝ったオショロコマの楽園。
幼い頃に釣り番組で見た渓流の宝石のようなオショロコマは、
魚類の中でもっとも美しいと断言でき、
いまでもその気持ちは揺るがない。
だが世間的には、さほど大きく育たないためか、
釣人からの支持はないらしく、
オショロコマの釣果自慢を耳にしたことはない。
同じく北海道にしか生息しないイトウだが、
こちらは養殖魚が管理釣場でお目に掛かれるので、
僕にとってはオショロコマの方がよほど魅力的に映る。
養殖や放流もされない人為的とは全く無縁の完全なる天然魚オショロコマ。

今日という日が訪れた。オショロコマの存在を知ってから四十余年、
渓の宝石オショロコマに出会うために遥々ここへやってきた。
明鏡止水で人生初となる一投目をいざ試みる。

小型のシンキング・ミノーをアップクロスで射ち込み、
ボディを連続して翻しながら流れを横切らせると、
数尾の魚影が勢いよくルアーを追尾するのが確認できた。
それらは喰いつくことなくルアーを水から上げ、
これが原始の渓の当り前の姿なんだと僕は少し笑った。
初めてゴギの探釣をしたときも一投目から喰ってきたし、
ヤマトイワナの時も同じ、ニッコウイワナだって釣人が寄り付かない
渓谷であれば一投目で釣れることは珍しくない。
釣人に荒らされていなければ、
そこがイワナの楽園であるならば、
イワナ属は釣ることが決して難しい魚ではない。

入渓しやすい場所であり、渓の入口なのにこの魚影。
本当に釣人から相手にされていない魚らしく、
北の大地にはもっと大きく、引きが強く、食べて美味しい魅力的な魚種達が
あちこちのテーブルで大皿に盛られているので、
オショロコマは釣人の魔の手から逃れているように思え僕は安堵した。
オショロコマ・ゲームとか、オショロコマイングとか、
バカの一つ覚えのようなネーミングの釣りが未来永劫おとずれないことを願い、
次なるキャストをすべくスピニング・リールのベールを起こした。

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