イトウは心に宿る48

Миру Україні

2025年01月16日 07:07

いつの頃からかアニメ・ファンに見られる聖地巡礼が周知されるようになった。
ここではマンガも含めサブカルチャーとして一括りにするが、
アニメの舞台となった地を訪れることで物語の世界に没入する聖地巡礼とは、
ファンとしての通過儀礼である。
昭和時代ならアニメ好きなんて公言しようものならオタク扱いされ、
それはそれは訝しの対象だったのだけど、令和の時代はそうではない。
アニメやマンガは、なななんと内閣府の知的財産戦略推進をする
クールジャパン戦略のひとつであり、
国策として経済成長に繋げる目論見の対象なのだ。
日本のサブカルチャーに影響を受けたインバウンド需要で
潤う企業や地域も少なくない。
現在はアニメを観るのもマンガを読むのも苦痛になってきた自分でも、
少年期に影響を受けたマンガ、いや漫画はやはり特別な存在であり、
イトウ釣りも聖地巡礼の一環だ。
三平や大助くんが奮闘した彼の地へやってきたことにより、
積年の想いが静かに溢れ出した。
ここに同じ想いを共有する仲間はいない。
当時も現在も、それらの世界観に夢を抱いたのは自分独り。
魚釣りにおけるオタク中のオタクだと言われれば、
嬉しくはないけれど僕は首を横に振ることをせず、
頷き笑うのかもしれない。

聖地を眺めながら車を走らせ、
いつしか両側の景色は広大な牧草地帯に占領され、
終わりの見えない直線道路をただひたすらに走り続けた。
概ちゃんが待つ宿泊先へ到着した時は精も根も尽き果て
HPゲージにエンプティ・ランプが灯っていたが、
ベッドで泥炭のように眠ることを許してもらえず
筆舌に尽くしがたい営みにより意識が遠のいた。

翌朝ではなく翌昼に目覚めた僕は、
のんびり釣り支度をして宿泊先の敷地を流れる川に出掛けた。
湿原の地を訪れてから四日目だというのにまだイトウは狙わない。
いまだ台風後の流れが平水に戻っていないこともあるが、
イトウは最後でいい。
本日の目的はエゾイワナあらため、
いかにもアメマスといった大きな白斑を散らした魚体に会うための釣査だ。
鳥瞰すれば町中を流れる河川なのだけど、
川の雰囲気は自分が知る里川とはまったく異なっていた。
川幅は広くてせいぜい五メートルほどだが、まず水辺に辿り着くのに鬱蒼と生い茂る
植物群落を抜けねばならず、
ようやく辿り着いた川辺の両岸の木々が川面を覆い、ただでさえ薄暗いのに
空の色もすっきりしないこともあって不気味さに輪を掛ける。
ヒグマ出没地帯なので気配に足跡や食痕をたえず確認することも怠れない。

狙うはアメマスだが、いわゆるイワナ属だ。
オショロコマの泳ぐ川も信じがたいものであったが、
こんな町中を流れる平坦な川にイワナ属が生息しているのだろうかと甚だ疑問だ。
しかも泥炭地帯であるため岸にも川底にも石などなく、
川底は泥が敷き詰め、
ウェーディングしようものなら足が泥に潜りすぐさま煙幕で水を濁らせる。
強い流れさえなければカムルチーが似合いそうな川にイワナ属が生息できるのだろうか。
それを確かめるために釣りという手段を用いるのだが、
初投に至るまでも至難の業だった。
頭上には荒れ狂ったように立ち並ぶ木々、
水辺に倒れ込む大木、流れを遮る流木とそこに溜まる流下物。
岸際の水面を隠すように生い茂る草の下は魚達が身を潜める場所に違いないが、
そこにルアーを通せる立ち位置がなければ竿を振れない。
水深こそ浅いところで膝上程度だが、レンガ色した流れの押しが強くて速い。
基本はアップストリームなのだろうが、
ルアーを通せる距離が短く流速も相まってルアーを喰わせるタイミングがない。
したがってウェーディングせず釣り下ることにした。
キャストができる隙間を見つけてはアメマスが定位していそうか確認し、
そこにルアーを通せる距離があるのか、
さらには根に巻かれることなくランディングができるかを総合判断する。
障壁の高さが初投をなかなか許さないが、
ようやく見つけた小場所にシンキング・ミノーを踊らせると、
レンガ色した流れに閃光が走った。この瞬間がたまらない。

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