2025年02月20日
イトウは心に宿る57
北海道の地を踏んで五日目の正午前、初めてイトウの存在を感じた。
だらだらと雰囲気に流され遊んでいたのでようやくと表現すべきか、
突如迎えた局面が正しいのか、いまは視界に映る流れ付近を鵜の目鷹の目になる。
僕の釣り人生における実力テストが始まった。
どう釣れば至高の一尾として記憶に焼付くかが最重要課題で、
ルアーボックスに視線を落として自身に問い掛ける。
手堅く喰うであろう水面下のルアーか、水面を割らせるかを
天秤にかける・・・・・・までもなく僕は絶対にトップウォータープラグだと決めていた。
いつも強烈な思い出としてよみがえるのはトッププラグで水面炸裂した光景なんだ。
迷い箸しているのはライヴワイアかスピッティンワイアかリブンシケーダで、
人生で最も重きを置いてきた魚イトウなのだから、
必然的に一生の思い出になるわけで、慎重に選ぶのも仕方なし。
チラリと淀みに視線を移したのち、視線を戻してルアーボックスから
新品のライヴワイアをつまみ上げた。新品を用意しているのはもちろんボディに刻まれた
イトウの歯形を眺めることで、この先の人生に潤いをもたらしたいからに他ならない。
三者の中でライヴワイアにしたのは水流の速さによるもので、
川釣りにおいてスピッティンワイアとの使い分けの基準はそこにある。
イトウが潜むであろう淀み周辺の水流が速そうなので水を切りやすい、
斬水人造魚のサブネームのあるライヴワイアに白羽の矢が立った。
スナップにライヴワイアを接続してから、
その流れでリーダーを指でつまんで滑らせ傷の点検をするのが長年の習慣。
狙いはイトウが定位しているであろうさらに下流に着水させて逆引きするのだけど、
左岸の流芯の勢いで反転流が生まれているので狙い所がかなり難しく、
さらには右岸の淀みの下流には岸から水面に覆いかぶさる陸生植物があり、
キャスト精度も求められる。立ち位置を何度も調整して、準備万端整った。
ライヴワイアは狙い定めた着水点に落ちて自画自賛。
反転流を追い越すように動かしてから右岸際の流れを逆引きさせる。
狙い通りのコースにライヴワイアを誘導させたなら、あとはイトウに秋波を送るのみ。
さあここ、イトウは淀みの水面下で睨みをきかせて獲物を襲わんとしている。
水面に刺さるライヴワイアの動きを一瞬停止させ、次にライヴワイアが僅かに、
ほんの僅かにお辞儀した瞬間にイトウはたまらず水面を炸裂させて襲ってくるはず。
一瞬停止したライヴワイアを凝視する。くる、絶対くる。
ロッドティップで僅かにラインを張ったその刹那・・・・・・ドカン!!
と来んのかーい。喰わんかったかあと苦笑いしつつ
水面を荒らさないよう静かにライヴワイアを回収。これで喰わねば二投目はなし。
次の一手はスピッティンワイアが状況を打破するのではとルアーを交換。
ライヴワイアを通したコースをトレースしつつ、
水流を利用して飛沫を派手に飛ばすが水面に変化は起きず、
どうやらこの状況はトップではないと判断した。しかしこの雰囲気、必ずイトウは潜んでいる。
次なる一手はミノーもしくは、でもクランクベイトとスピナーベイトは車に置いてきた。
いまからタックルを変更するために岸に上がって戻るのが面倒だし、
その手間を惜しんで後悔しないか、本当にそれでいいのかと自分に約束させた。
ミスディミーナーでとなると、ミノープラグのサンダーバックラム107Fの
シングル・フック仕様の出番だ。
淀みの水底の状態が把握できないためルアー選びも一筋縄ではいかず、
この数日間で湿原河川の水中は予想していた通り、
自由奔放な環境で構成されているためトレブルフック仕様では困難を極める。
三投目のサンダーバックラム107Fは確実にイトウの捕食圏を通過させるため、
さらなる緊張感に包まれる。
イトウは完全に野生の魚だ。直近で釣られていないのを前提とするならば、
目の前を通過するルアーを見切るようなことはほぼない気がするのだけど、
ただ巻きでいいのか、停止、浮上、沈下のいずれかの動きで
捕食の衝動が刺激されるか、連続トゥイッチもしくはジャークとジャークの間なのか。
あぁ全ては自分次第。北海道の野生が僕を試してくる。
金泥の淀みにイトウは宿る。
だらだらと雰囲気に流され遊んでいたのでようやくと表現すべきか、
突如迎えた局面が正しいのか、いまは視界に映る流れ付近を鵜の目鷹の目になる。
僕の釣り人生における実力テストが始まった。
どう釣れば至高の一尾として記憶に焼付くかが最重要課題で、
ルアーボックスに視線を落として自身に問い掛ける。
手堅く喰うであろう水面下のルアーか、水面を割らせるかを
天秤にかける・・・・・・までもなく僕は絶対にトップウォータープラグだと決めていた。
いつも強烈な思い出としてよみがえるのはトッププラグで水面炸裂した光景なんだ。
迷い箸しているのはライヴワイアかスピッティンワイアかリブンシケーダで、
人生で最も重きを置いてきた魚イトウなのだから、
必然的に一生の思い出になるわけで、慎重に選ぶのも仕方なし。
チラリと淀みに視線を移したのち、視線を戻してルアーボックスから
新品のライヴワイアをつまみ上げた。新品を用意しているのはもちろんボディに刻まれた
イトウの歯形を眺めることで、この先の人生に潤いをもたらしたいからに他ならない。
三者の中でライヴワイアにしたのは水流の速さによるもので、
川釣りにおいてスピッティンワイアとの使い分けの基準はそこにある。
イトウが潜むであろう淀み周辺の水流が速そうなので水を切りやすい、
斬水人造魚のサブネームのあるライヴワイアに白羽の矢が立った。
スナップにライヴワイアを接続してから、
その流れでリーダーを指でつまんで滑らせ傷の点検をするのが長年の習慣。
狙いはイトウが定位しているであろうさらに下流に着水させて逆引きするのだけど、
左岸の流芯の勢いで反転流が生まれているので狙い所がかなり難しく、
さらには右岸の淀みの下流には岸から水面に覆いかぶさる陸生植物があり、
キャスト精度も求められる。立ち位置を何度も調整して、準備万端整った。
ライヴワイアは狙い定めた着水点に落ちて自画自賛。
反転流を追い越すように動かしてから右岸際の流れを逆引きさせる。
狙い通りのコースにライヴワイアを誘導させたなら、あとはイトウに秋波を送るのみ。
さあここ、イトウは淀みの水面下で睨みをきかせて獲物を襲わんとしている。
水面に刺さるライヴワイアの動きを一瞬停止させ、次にライヴワイアが僅かに、
ほんの僅かにお辞儀した瞬間にイトウはたまらず水面を炸裂させて襲ってくるはず。
一瞬停止したライヴワイアを凝視する。くる、絶対くる。
ロッドティップで僅かにラインを張ったその刹那・・・・・・ドカン!!
と来んのかーい。喰わんかったかあと苦笑いしつつ
水面を荒らさないよう静かにライヴワイアを回収。これで喰わねば二投目はなし。
次の一手はスピッティンワイアが状況を打破するのではとルアーを交換。
ライヴワイアを通したコースをトレースしつつ、
水流を利用して飛沫を派手に飛ばすが水面に変化は起きず、
どうやらこの状況はトップではないと判断した。しかしこの雰囲気、必ずイトウは潜んでいる。
次なる一手はミノーもしくは、でもクランクベイトとスピナーベイトは車に置いてきた。
いまからタックルを変更するために岸に上がって戻るのが面倒だし、
その手間を惜しんで後悔しないか、本当にそれでいいのかと自分に約束させた。
ミスディミーナーでとなると、ミノープラグのサンダーバックラム107Fの
シングル・フック仕様の出番だ。
淀みの水底の状態が把握できないためルアー選びも一筋縄ではいかず、
この数日間で湿原河川の水中は予想していた通り、
自由奔放な環境で構成されているためトレブルフック仕様では困難を極める。
三投目のサンダーバックラム107Fは確実にイトウの捕食圏を通過させるため、
さらなる緊張感に包まれる。
イトウは完全に野生の魚だ。直近で釣られていないのを前提とするならば、
目の前を通過するルアーを見切るようなことはほぼない気がするのだけど、
ただ巻きでいいのか、停止、浮上、沈下のいずれかの動きで
捕食の衝動が刺激されるか、連続トゥイッチもしくはジャークとジャークの間なのか。
あぁ全ては自分次第。北海道の野生が僕を試してくる。
金泥の淀みにイトウは宿る。
2025年02月19日
イトウは心に宿る56
本命の流芯を後回しにして手前の白泡が立つ筋から探っていけば
数尾を手にすることができるなどと、さもしい気持ちが見え隠れしたが、
いやいや目を覚ませ、それは野暮というもの。ここは一発大物、迷わず流芯狙いだ。
一投目からアメマスが、しかも大きい個体が喰ってくるに違いないと、
この日この瞬間まで温存しておいた83mmの、誰が呼んだか(名付け親を覚えているが)
通称黒いほーというサブネームを持つミノープラグをスナップに接続した。
手元に落としていた視線を上げ、水の流れを読みながら立ち位置を数歩だけ右岸に寄せた。
あの流れに黒いほーを投げ入れ、ここで誘って、あそこで喰わせるイメージね。
慎重になるのは一投目がもっとも好機だからだ。
魚の向きと定位する位置、追わせて喰わせる位置、
一連の動きを頭の中で再生し、もう一度足元を確認してから少し前屈みに構えた。
石を乗り越えて一段落ちた水は他の環境音を耳に届かせないほど騒々しく、
この音と並んだ石が流芯付近に定位するであろう魚との障壁になり、
僕の気配を低減してくれることで有利な立ち位置を確保できている。
これで釣れなきゃ嘘である。流れの釣りは十八番なんだ。
ダウンクロスでプラグを流れに放り込み、
同時にラインスラックを巻き取り水流を利用してプラグを震わせる。
プラグが流れを横切りターンを終えようとした時にコッ!とロッドに生命感が伝わり、
ほら狙い通り!と片方の口角が上がったものの、
送り込んでいたロッドを胸に引き寄せることなくプラグはターンを終え、
流芯から大きく外れたところで回収。いやあ一投目で小さな魚信とはこれいかに。
大きい個体がいれば先に喰ってくるはずなのにと首を傾げ、
とうとう隠し切れない卑しい釣人心が露呈する。
狙い通り魚は居た。きっとアメマスに違いないが二投目を投げ入れ魚種の正体を知りたい。
プラグは身を震わせながら流れに乗ると、コッ!と突かれ、
怪訝な表情のままプラグを流し、すぐさまコッ!と突かれ、
プラグを流しきるまでに二回魚信を得て、なるほどなるほど。
プラグを喰い切らない大きさのアメマスが数尾ほど定位しているのだろう。
プラグを小型のものにすれば釣れるのだろうが、このロケーションを前にそれで満足できるのか。
志を高く持つべき派と、小さくても釣れることに感謝しよう派の、
主張を二分するタカ派とハト派がせめぎ合う。
次の一手はもっと下流を流すことにして、落ち込みになる石を跨いで瀬の始まりに立った。
その時、右手にある景色に息を呑んだ。
橋の上から気付かなかった水の流れがあり、
太い流れの脇に細い流れが捩じれあうように合流し、
そこから下は金泥色をした水が緩やかに流れている。
先ほどまで気づかなかった理由は、木が倒れその先の枝が繁茂して五メートルほど川に
覆いかぶさることでその存在を隠していた。
枝と葉は水面には届かず、低弾道ならルアーを送り込める隙間が十分にある。
午前11時半は捕食者のお食事時間ではなく、大きな魚はわざわざ流芯に入らない。
一級ポイントに泳ぐ小形のアメマスと思しき魚達は被食者に違いない。
僕は気づいた。これまで魚釣りや野鳥撮影その他でも本能が語り掛けてくる瞬間があり、
勝手に足が止まりその場に佇む。
本命が近くにいることに気づいていない自分に気付かせようとする時間。
この金泥の流れにイトウの存在を意識の片隅で感じていた。
数尾を手にすることができるなどと、さもしい気持ちが見え隠れしたが、
いやいや目を覚ませ、それは野暮というもの。ここは一発大物、迷わず流芯狙いだ。
一投目からアメマスが、しかも大きい個体が喰ってくるに違いないと、
この日この瞬間まで温存しておいた83mmの、誰が呼んだか(名付け親を覚えているが)
通称黒いほーというサブネームを持つミノープラグをスナップに接続した。
手元に落としていた視線を上げ、水の流れを読みながら立ち位置を数歩だけ右岸に寄せた。
あの流れに黒いほーを投げ入れ、ここで誘って、あそこで喰わせるイメージね。
慎重になるのは一投目がもっとも好機だからだ。
魚の向きと定位する位置、追わせて喰わせる位置、
一連の動きを頭の中で再生し、もう一度足元を確認してから少し前屈みに構えた。
石を乗り越えて一段落ちた水は他の環境音を耳に届かせないほど騒々しく、
この音と並んだ石が流芯付近に定位するであろう魚との障壁になり、
僕の気配を低減してくれることで有利な立ち位置を確保できている。
これで釣れなきゃ嘘である。流れの釣りは十八番なんだ。
ダウンクロスでプラグを流れに放り込み、
同時にラインスラックを巻き取り水流を利用してプラグを震わせる。
プラグが流れを横切りターンを終えようとした時にコッ!とロッドに生命感が伝わり、
ほら狙い通り!と片方の口角が上がったものの、
送り込んでいたロッドを胸に引き寄せることなくプラグはターンを終え、
流芯から大きく外れたところで回収。いやあ一投目で小さな魚信とはこれいかに。
大きい個体がいれば先に喰ってくるはずなのにと首を傾げ、
とうとう隠し切れない卑しい釣人心が露呈する。
狙い通り魚は居た。きっとアメマスに違いないが二投目を投げ入れ魚種の正体を知りたい。
プラグは身を震わせながら流れに乗ると、コッ!と突かれ、
怪訝な表情のままプラグを流し、すぐさまコッ!と突かれ、
プラグを流しきるまでに二回魚信を得て、なるほどなるほど。
プラグを喰い切らない大きさのアメマスが数尾ほど定位しているのだろう。
プラグを小型のものにすれば釣れるのだろうが、このロケーションを前にそれで満足できるのか。
志を高く持つべき派と、小さくても釣れることに感謝しよう派の、
主張を二分するタカ派とハト派がせめぎ合う。
次の一手はもっと下流を流すことにして、落ち込みになる石を跨いで瀬の始まりに立った。
その時、右手にある景色に息を呑んだ。
橋の上から気付かなかった水の流れがあり、
太い流れの脇に細い流れが捩じれあうように合流し、
そこから下は金泥色をした水が緩やかに流れている。
先ほどまで気づかなかった理由は、木が倒れその先の枝が繁茂して五メートルほど川に
覆いかぶさることでその存在を隠していた。
枝と葉は水面には届かず、低弾道ならルアーを送り込める隙間が十分にある。
午前11時半は捕食者のお食事時間ではなく、大きな魚はわざわざ流芯に入らない。
一級ポイントに泳ぐ小形のアメマスと思しき魚達は被食者に違いない。
僕は気づいた。これまで魚釣りや野鳥撮影その他でも本能が語り掛けてくる瞬間があり、
勝手に足が止まりその場に佇む。
本命が近くにいることに気づいていない自分に気付かせようとする時間。
この金泥の流れにイトウの存在を意識の片隅で感じていた。
2025年02月18日
イトウは心に宿る55
川の側に車道があり車も駐車できる据え膳だというのに、
いざ魚釣りを開始せんとするも水辺への道が見つからず、
植物群落の要塞に阻まれ目の前の水辺まで人の侵攻を許さない。
少ないパイの奪い合いをする都市近郊しかり遠く離れた地方であっても、
釣場と思しき場所には踏み跡があり、
前人未踏の秘境と呼ぶに相応しい釣場など存在しないのが常である。
とはいえここは秘境や桃源郷とは縁遠い牧歌的な様相で、
昔住んでいた家の裏にあったカムルチー池に歩いていくとか、
田舎の家のすぐそばを流れる川でヤマメを釣るような、
そんな身近にあった水辺を思わせた。
それなのに釣人が入った形跡が見当たらないのは、
膨大な水を湛える北海道水系に対して釣り人口は僅かばかりで、さらには
ヒグマという森の番人が腕組みして、
人の侵入に目を光らせているからかもしれない。
竿を持ったままあっちこっちをうろうろしてようやく見つけたのは獣道。
後に橋と道路を歩く大きなエゾシカを見かけたので彼らの作った道らしかった。
これ幸いとお邪魔させてもらいようやく水辺に辿り着いた。
恐る恐る岸際の水に足を浸けると泥炭のようだったがその下は硬い底を感じられ、
敷き詰められた小石の上に泥が被さっていた。
橋を背にして川の真ん中辺りまで進んで立ってみたが、
川底は平坦で増水している割に水深は膝上程度である。ただし水の押しは強い。
ゆっくり流れを下りながら川魚が定位している場所を探す。
橋の上から見た岸際にある木陰を狙いたいが実際は簡単ではなく、
多くの樹木は枝を広げ岸から三メートルも陰を落としているが、
枝と水面との隙間は僅か、もしくは枝の葉が流れを撫でている。
その水面下にはきっと根や複雑に絡み合った流木などが堆積しているに違いなく、
安易にルアーを送り込めない。絶対そこに魚達は潜んでいるのに。
指をくわえながら少しずつ下って行く。水深は浅いが水押しが強いので川底を慎重に確認しながら
歩みを進めていたが、一度歩みを止めて全体を見渡す。
単調な流れの開きには底に岩もなく魚が身を潜めるには乏しい地形だったが、
少し先に川幅一杯に広がる小さな落ち込みがあり、その先には長い瀬が続いていた。
橋の上からは直線的に思えた川だったが、
僅かにS字を描いた川を樹木が覆うことで瀬の存在を隠していたのだ。
できるだけ泥煙を下流に流さないよう抜き足差し足忍び足でキャストする位置まで忍び寄る。
流れは左岸際を強く走り抜け流芯を作り、そこを除いた右岸までの残り八割は比較的大きな石が並び、
石を乗り越えた流れが白泡を立て幾筋かの流れを生んでいる。
僕が思う湿原河川の顔と違っていたが、川釣りにおいていかに好条件であるかは言うに及ばず。
さあこの季節、この状況、サケ科の魚達はどこに定位しているのか、
北海道の大自然が僕に問い掛ける。
いざ魚釣りを開始せんとするも水辺への道が見つからず、
植物群落の要塞に阻まれ目の前の水辺まで人の侵攻を許さない。
少ないパイの奪い合いをする都市近郊しかり遠く離れた地方であっても、
釣場と思しき場所には踏み跡があり、
前人未踏の秘境と呼ぶに相応しい釣場など存在しないのが常である。
とはいえここは秘境や桃源郷とは縁遠い牧歌的な様相で、
昔住んでいた家の裏にあったカムルチー池に歩いていくとか、
田舎の家のすぐそばを流れる川でヤマメを釣るような、
そんな身近にあった水辺を思わせた。
それなのに釣人が入った形跡が見当たらないのは、
膨大な水を湛える北海道水系に対して釣り人口は僅かばかりで、さらには
ヒグマという森の番人が腕組みして、
人の侵入に目を光らせているからかもしれない。
竿を持ったままあっちこっちをうろうろしてようやく見つけたのは獣道。
後に橋と道路を歩く大きなエゾシカを見かけたので彼らの作った道らしかった。
これ幸いとお邪魔させてもらいようやく水辺に辿り着いた。
恐る恐る岸際の水に足を浸けると泥炭のようだったがその下は硬い底を感じられ、
敷き詰められた小石の上に泥が被さっていた。
橋を背にして川の真ん中辺りまで進んで立ってみたが、
川底は平坦で増水している割に水深は膝上程度である。ただし水の押しは強い。
ゆっくり流れを下りながら川魚が定位している場所を探す。
橋の上から見た岸際にある木陰を狙いたいが実際は簡単ではなく、
多くの樹木は枝を広げ岸から三メートルも陰を落としているが、
枝と水面との隙間は僅か、もしくは枝の葉が流れを撫でている。
その水面下にはきっと根や複雑に絡み合った流木などが堆積しているに違いなく、
安易にルアーを送り込めない。絶対そこに魚達は潜んでいるのに。
指をくわえながら少しずつ下って行く。水深は浅いが水押しが強いので川底を慎重に確認しながら
歩みを進めていたが、一度歩みを止めて全体を見渡す。
単調な流れの開きには底に岩もなく魚が身を潜めるには乏しい地形だったが、
少し先に川幅一杯に広がる小さな落ち込みがあり、その先には長い瀬が続いていた。
橋の上からは直線的に思えた川だったが、
僅かにS字を描いた川を樹木が覆うことで瀬の存在を隠していたのだ。
できるだけ泥煙を下流に流さないよう抜き足差し足忍び足でキャストする位置まで忍び寄る。
流れは左岸際を強く走り抜け流芯を作り、そこを除いた右岸までの残り八割は比較的大きな石が並び、
石を乗り越えた流れが白泡を立て幾筋かの流れを生んでいる。
僕が思う湿原河川の顔と違っていたが、川釣りにおいていかに好条件であるかは言うに及ばず。
さあこの季節、この状況、サケ科の魚達はどこに定位しているのか、
北海道の大自然が僕に問い掛ける。
2025年02月16日
イトウは心に宿る54
レンタカーに装備されているカーナビの扱いが不慣れとはいえ、
目的地を設定したなら聞き間違いや思い込みをするヒューマン・エラーとは無縁の、
無機質とはいえそこへ確実に案内するのが機械としてのお役目だろう。
それなのにマップを拡大して現在地を確認してみると、
ここどこやねんと噴き出しそうな場所。
このカーナビは見当違いも甚だしい明後日の方向へ案内していたことになるが、
怪我の功名とは言ったもので、
おかげで遥か時を飛び越えて『あの橋』を彷彿とさせる場所に送り込んでくれた。
まったく不思議な出来事なのだけど、橋の上から覗きこんだ流れをしばし見つめ、
どこか観念したふうにこれも運命だと静かに飲み込み頷いた。
川幅は平均して十五メートルほど。ただし両岸から覆いかぶさる木々の種類や
樹齢によって川幅は一定しない。川の流れが単調かつ流速が強いのと、
太陽が南中高度のため両岸にできる木陰に魚達は身を寄せているように思えた。
車に戻り、橋を通過する車両に存在を気付かれぬよう
もう少しだけ奥へ進んで車を隠すようにしたが、
湿原河川はヒグマの恐怖だけが居座り、人っ気のない場所である。
タックルを準備する時も手元に集中することなく、何割かは周囲に意識を向けている。
この川に泳ぐ魚の生息確認をする為の魚釣りをするが、
主にアメマスなどのサケ科が主体となるはずで、
これが近畿圏だとウグイやオイカワ等のコイ科が泳ぐ中流部といったところ。
ロッドケースから二本のロッドを抜き出す。
ベイトロッドモデルのREX601HX-Gローディーラー・エクストリームエディション
名称アウトレイジャスは狭い湿原河川を想定し、大型ルアーを操作して喰ってきた大形イトウを
短時間で屈服させるべく選んだ。
もう一振りはスピニングモデルのR611RL-S2名称ミスディミーナーST。
軽量ルアーによるオショロコマやアメマス狙いを主としながら、
望外の大物アメマスやスーパーレインボーにモンスターブラウントラウトにも
対応できるバットパワーを有したロッド。
どちらの竿もウィップラッシュファクトリーの製品コンセプトとして、
飛行機で魚釣りへ行けるよう設えてあるのだが、
僕は必ず北海道旅行を現実のものとするため、
アウトレイジャスとミスディミーナーSTを用意しておいた。
そんな僕を見てきた概ちゃんは、まじまじと瞳を覗き込みながらこう言うのだ。
ひとつの竿でなんとかするのが釣り名人じゃないの?と。
罷り間違っても釣り名人などと一欠片も自認していないが、
うっかり長年魚釣りに興じてきたことで築いてしまったプライドを
揺さぶってくるような言い回しが超絶感じ悪い。
釣竿には夢が詰まっているとか、状況に応じた竿でないと釣り上げられないとか、
そもそも世の釣り名人と呼ばれる御仁の家中の竿をかき集めたら、
それはそれは立派な筏が組めるほど所有しているものだとか、
ありったけの言い分があるのにそれらは蚊の鳴くような声になってしまい、
魚釣りに理解を示さない女性を相手に有効打が皆目見当つかないまま、
たったの一言がクリティカルヒットとなり跪いてしまう。
2タックルを前にして、うぅ、ここはミスディミーナーSTの出番かな。
ミスディミーナーSTに組み合わせるスピニングリールはダイワ・ルビアスLT2500-XH。
これまでノーマルのギア比を好んで使用してきたが、
今回はXHの名の通りエクストラ・ハイギアにした理由として、
なにかと流れの釣りをすることが多くなり、
特にアップストリームでミノーを操作することにおいてハイギアの恩恵は大きい。
そんなのノーマルギアでも速く巻けば対応できるんじゃないのと思うことなかれ。
ノーマルギアを全力で回したところでXHのローターの超高回転すなわち
糸巻き量には遠く及ばず、この差を埋めることはできない。
ルビアスのスプールに収まるPEラインはYGKアップグレードX8で、
そこへ矢引きしたリーダーをFGノットで結び、スナップにはクリンチノットで結ぶ。
スナップに接続するルアーは流れを前にしてから考える。
湿原河川は橋から見渡すと上下とも長い直線で、航空写真を確認してもそうだった。
入川しても帰りは橋を目印にすればいいので目印のリボンは使わず、
概ちゃんに現在地とこれより魚釣りを開始する旨を送信した。
目的地を設定したなら聞き間違いや思い込みをするヒューマン・エラーとは無縁の、
無機質とはいえそこへ確実に案内するのが機械としてのお役目だろう。
それなのにマップを拡大して現在地を確認してみると、
ここどこやねんと噴き出しそうな場所。
このカーナビは見当違いも甚だしい明後日の方向へ案内していたことになるが、
怪我の功名とは言ったもので、
おかげで遥か時を飛び越えて『あの橋』を彷彿とさせる場所に送り込んでくれた。
まったく不思議な出来事なのだけど、橋の上から覗きこんだ流れをしばし見つめ、
どこか観念したふうにこれも運命だと静かに飲み込み頷いた。
川幅は平均して十五メートルほど。ただし両岸から覆いかぶさる木々の種類や
樹齢によって川幅は一定しない。川の流れが単調かつ流速が強いのと、
太陽が南中高度のため両岸にできる木陰に魚達は身を寄せているように思えた。
車に戻り、橋を通過する車両に存在を気付かれぬよう
もう少しだけ奥へ進んで車を隠すようにしたが、
湿原河川はヒグマの恐怖だけが居座り、人っ気のない場所である。
タックルを準備する時も手元に集中することなく、何割かは周囲に意識を向けている。
この川に泳ぐ魚の生息確認をする為の魚釣りをするが、
主にアメマスなどのサケ科が主体となるはずで、
これが近畿圏だとウグイやオイカワ等のコイ科が泳ぐ中流部といったところ。
ロッドケースから二本のロッドを抜き出す。
ベイトロッドモデルのREX601HX-Gローディーラー・エクストリームエディション
名称アウトレイジャスは狭い湿原河川を想定し、大型ルアーを操作して喰ってきた大形イトウを
短時間で屈服させるべく選んだ。
もう一振りはスピニングモデルのR611RL-S2名称ミスディミーナーST。
軽量ルアーによるオショロコマやアメマス狙いを主としながら、
望外の大物アメマスやスーパーレインボーにモンスターブラウントラウトにも
対応できるバットパワーを有したロッド。
どちらの竿もウィップラッシュファクトリーの製品コンセプトとして、
飛行機で魚釣りへ行けるよう設えてあるのだが、
僕は必ず北海道旅行を現実のものとするため、
アウトレイジャスとミスディミーナーSTを用意しておいた。
そんな僕を見てきた概ちゃんは、まじまじと瞳を覗き込みながらこう言うのだ。
ひとつの竿でなんとかするのが釣り名人じゃないの?と。
罷り間違っても釣り名人などと一欠片も自認していないが、
うっかり長年魚釣りに興じてきたことで築いてしまったプライドを
揺さぶってくるような言い回しが超絶感じ悪い。
釣竿には夢が詰まっているとか、状況に応じた竿でないと釣り上げられないとか、
そもそも世の釣り名人と呼ばれる御仁の家中の竿をかき集めたら、
それはそれは立派な筏が組めるほど所有しているものだとか、
ありったけの言い分があるのにそれらは蚊の鳴くような声になってしまい、
魚釣りに理解を示さない女性を相手に有効打が皆目見当つかないまま、
たったの一言がクリティカルヒットとなり跪いてしまう。
2タックルを前にして、うぅ、ここはミスディミーナーSTの出番かな。
ミスディミーナーSTに組み合わせるスピニングリールはダイワ・ルビアスLT2500-XH。
これまでノーマルのギア比を好んで使用してきたが、
今回はXHの名の通りエクストラ・ハイギアにした理由として、
なにかと流れの釣りをすることが多くなり、
特にアップストリームでミノーを操作することにおいてハイギアの恩恵は大きい。
そんなのノーマルギアでも速く巻けば対応できるんじゃないのと思うことなかれ。
ノーマルギアを全力で回したところでXHのローターの超高回転すなわち
糸巻き量には遠く及ばず、この差を埋めることはできない。
ルビアスのスプールに収まるPEラインはYGKアップグレードX8で、
そこへ矢引きしたリーダーをFGノットで結び、スナップにはクリンチノットで結ぶ。
スナップに接続するルアーは流れを前にしてから考える。
湿原河川は橋から見渡すと上下とも長い直線で、航空写真を確認してもそうだった。
入川しても帰りは橋を目印にすればいいので目印のリボンは使わず、
概ちゃんに現在地とこれより魚釣りを開始する旨を送信した。
2025年02月15日
イトウは心に宿る53
午前十時を過ぎる頃、僕はまた牧草地に挟まれた永遠に終わりそうもない直線道路を
退屈そうに運転していた。
フロントガラス越しにもバックミラー越しにも他車の影はなく、
目に映るのは空と道路と牧草地しかない。
しばらく走っていると、運転席側の窓からなにか視線を感じた。
相手は動きを止めて首を直角に曲げているので、こちらを凝視しているのは明らかだ。
その姿を見るに、何か言いたげなのはすぐに理解できた。
「うわ珍しい。人間だよ」黒い瞳でそうつぶやいてるに違いないのは乳牛である。
鮮やかな芝生の緑色を背景に、乳房が発達しているホルスタインを見るなり、
ザ・北海道という豊饒の波が押し寄せ、あなた方にお世話になっていますとお辞儀した。
給食で仕方なく牛乳を飲んでいた少年期を経て、年齢を重ねるにつれ体が牛乳を欲するようになり、
牛乳パックに北海道のどこそこ産おいしい牛乳なんて書いていようものなら
購入に踏切る時間の短いことよ。バターに生クリームにチーズにヨーグルトの乳製品もしかり。
この美しく広大な牧場で育つ乳牛の搾りたて牛乳はさぞかし美味しいのだろうと得心する。
そんな願いを叶えるべく、吸っても出ないお乳の直飲みの真似事は夜の帳が下りてから。
乳牛を撮影している間に通過した車は皆無で、
知らぬ間に無人島、いや牛の惑星に迷い込んだのではなかろうかなんて不安も過る。
この辺りは丘陵地帯なので地平線こそ見えないものの、遥か遠くに見える丘の頂点で
道路が途切れているように見える。
いつまで経ってもその先からこちらに向かってくる車はいないが、
この雰囲気に見覚えがあり、うすうす気付いていたけれど、
これは映画マッドマックスの舞台であるオーストラリアなんだ。
メル・ギブソン演じるM.F.P迎撃担当マックスがV8インターセプターを駆り、
スティーヴ・ビズレー演じる不死身のグース操るZ1000が疾駆する、
そんな妄想を駆り立てるに相応しいロケーション。
車輪モノ大好き少年には罪な映画だった。VHSに録画された映像を幾度となく再生し、
セリフや俳優陣の動きまですっかり吸収するに至った、
歴代もっとも再生回数の多い洋画といえよう。
少年の心を掴んだのは車ならマックス、
バイクはジム・グースと言いたいけれどババ・ザネッティも譲れない。
整備士やレーサーを経験したのも、水が不要のハンドソープを使って
手の油汚れをウエスで拭いたりするのもMADMAXの影響が色濃い。
しまった、ここは魚釣りブログだったか。
MADMAX談義になると夜が更け、しまいに東の空が白み始めてしまう。
現実の世界に戻り、出発地から一時間半ほど走った先にある支流ならば
水量が落ち着いていると考え、使い慣れないカーナビゲーション・システムに目的地を入力し、
無機質な音声の言われるがままにアクセルを蹴る。
なにはともあれイトウが居着く場所を探すのがこの日の課題だ。
半時ほど経過した頃、カーナビが左折を指示してきた。
方向感覚には自信があるのでこの先に現れる丁字路は右だろうと思っていたのだが、これいかに。
左折はカーナビの指示通りにしたが、ならば次に迫る十字路は右折に違いないと思いきや、
またしても左折を指示する。
後方から追ってくる車はないと信じたいが、道路上に停車した時に限って猛スピードで
追突される可能性があるため、半信半疑ながらステアリングを左に切って指示通りの道を曲がった。
しばらく走りながら、進むべき方角が太陽の位置関係など感覚的に違うと確信したので、
方向変換できるスペースを求めて走り続けるが、折悪しく牧草地に挟まれた道路幅が狭い。
無駄に五分も走った頃、目の前にあの橋が出現した。僕は一瞬のうちに高揚した。
あの橋と言えば例の橋だ。V8ブラック・インターセプターがトーカッター一味を蹴散らし、
バイクごと橋から転落するあの場面、瓜二つの場所が目の前に現れたのだ。
これは撮影せねばとスーパーチャージャーを搭載していないレンタカーを橋の袂に停車。
方向変換どころかお誂え向きの空き地があったのは運命か。
カメラを持ってあっちやこっちを撮影してご満悦。
そうしてから橋の真ん中から上流側を覗き込むと、
魚が泳いでいそうな雰囲気があった。
岸沿いの植物の倒れ方と水没した跡、
それらと現在の水位を見るにいまだ増水中らしかったが、
水色だけは元から茶色なのか泥濁りなのか判断できなかった。
流れが茶色ながら太陽の陽射しが作る水面の煌めきが、魚釣り心をくすぐった。
退屈そうに運転していた。
フロントガラス越しにもバックミラー越しにも他車の影はなく、
目に映るのは空と道路と牧草地しかない。
しばらく走っていると、運転席側の窓からなにか視線を感じた。
相手は動きを止めて首を直角に曲げているので、こちらを凝視しているのは明らかだ。
その姿を見るに、何か言いたげなのはすぐに理解できた。
「うわ珍しい。人間だよ」黒い瞳でそうつぶやいてるに違いないのは乳牛である。
鮮やかな芝生の緑色を背景に、乳房が発達しているホルスタインを見るなり、
ザ・北海道という豊饒の波が押し寄せ、あなた方にお世話になっていますとお辞儀した。
給食で仕方なく牛乳を飲んでいた少年期を経て、年齢を重ねるにつれ体が牛乳を欲するようになり、
牛乳パックに北海道のどこそこ産おいしい牛乳なんて書いていようものなら
購入に踏切る時間の短いことよ。バターに生クリームにチーズにヨーグルトの乳製品もしかり。
この美しく広大な牧場で育つ乳牛の搾りたて牛乳はさぞかし美味しいのだろうと得心する。
そんな願いを叶えるべく、吸っても出ないお乳の直飲みの真似事は夜の帳が下りてから。
乳牛を撮影している間に通過した車は皆無で、
知らぬ間に無人島、いや牛の惑星に迷い込んだのではなかろうかなんて不安も過る。
この辺りは丘陵地帯なので地平線こそ見えないものの、遥か遠くに見える丘の頂点で
道路が途切れているように見える。
いつまで経ってもその先からこちらに向かってくる車はいないが、
この雰囲気に見覚えがあり、うすうす気付いていたけれど、
これは映画マッドマックスの舞台であるオーストラリアなんだ。
メル・ギブソン演じるM.F.P迎撃担当マックスがV8インターセプターを駆り、
スティーヴ・ビズレー演じる不死身のグース操るZ1000が疾駆する、
そんな妄想を駆り立てるに相応しいロケーション。
車輪モノ大好き少年には罪な映画だった。VHSに録画された映像を幾度となく再生し、
セリフや俳優陣の動きまですっかり吸収するに至った、
歴代もっとも再生回数の多い洋画といえよう。
少年の心を掴んだのは車ならマックス、
バイクはジム・グースと言いたいけれどババ・ザネッティも譲れない。
整備士やレーサーを経験したのも、水が不要のハンドソープを使って
手の油汚れをウエスで拭いたりするのもMADMAXの影響が色濃い。
しまった、ここは魚釣りブログだったか。
MADMAX談義になると夜が更け、しまいに東の空が白み始めてしまう。
現実の世界に戻り、出発地から一時間半ほど走った先にある支流ならば
水量が落ち着いていると考え、使い慣れないカーナビゲーション・システムに目的地を入力し、
無機質な音声の言われるがままにアクセルを蹴る。
なにはともあれイトウが居着く場所を探すのがこの日の課題だ。
半時ほど経過した頃、カーナビが左折を指示してきた。
方向感覚には自信があるのでこの先に現れる丁字路は右だろうと思っていたのだが、これいかに。
左折はカーナビの指示通りにしたが、ならば次に迫る十字路は右折に違いないと思いきや、
またしても左折を指示する。
後方から追ってくる車はないと信じたいが、道路上に停車した時に限って猛スピードで
追突される可能性があるため、半信半疑ながらステアリングを左に切って指示通りの道を曲がった。
しばらく走りながら、進むべき方角が太陽の位置関係など感覚的に違うと確信したので、
方向変換できるスペースを求めて走り続けるが、折悪しく牧草地に挟まれた道路幅が狭い。
無駄に五分も走った頃、目の前にあの橋が出現した。僕は一瞬のうちに高揚した。
あの橋と言えば例の橋だ。V8ブラック・インターセプターがトーカッター一味を蹴散らし、
バイクごと橋から転落するあの場面、瓜二つの場所が目の前に現れたのだ。
これは撮影せねばとスーパーチャージャーを搭載していないレンタカーを橋の袂に停車。
方向変換どころかお誂え向きの空き地があったのは運命か。
カメラを持ってあっちやこっちを撮影してご満悦。
そうしてから橋の真ん中から上流側を覗き込むと、
魚が泳いでいそうな雰囲気があった。
岸沿いの植物の倒れ方と水没した跡、
それらと現在の水位を見るにいまだ増水中らしかったが、
水色だけは元から茶色なのか泥濁りなのか判断できなかった。
流れが茶色ながら太陽の陽射しが作る水面の煌めきが、魚釣り心をくすぐった。
2025年02月14日
イトウは心に宿る52
イトウが泳ぎエゾヤマセミが飛来する水辺の撮影を終えてから浸水林を戻り、
不意に木陰で鉢合わせたヒグマにベアハッグされることなく無事に車まで辿り着いた。
いちいち生きている自分を実感できる尊い北海道の水系。
あらためて周囲を見渡すと車を停めた周辺は、森に隠された小さな牧草地らしく、
その隅っこの方に、またしてもタンチョウ夫婦を確認した。よく見ると子供までいる。
わざわざ有名なタンチョウ生息地に赴くことなく、
野良タンチョウと呼び捨てするとお叱りの声が届きそうだが、
辺境の僻地で特別天然記念物と出会えてしまう。
しかも独り占めときたもんで、ポートレートの世界で言うところのいわゆる個撮。
超広角レンズから500mmの超望遠レンズに交換して静かにタンチョウとの距離を詰める。
幼鳥というより若鳥と呼ぶべきか、タンチョウの子は親鳥より二回りほど小さく、
嘴から首までが優しい亜麻色に染まり、背部は白い羽毛に亜麻色が散らばる。
丹頂鶴の名前の由来である頭頂部の鮮明な赤色はまだ現れていない。
親は子に寄り添い牧草地で平和を謳歌し、僕はレンズ越しに見る親子の姿に穏やかを教わった。
タンチョウとの距離を空けて撮影しているけれど、
当然相手はこちらの存在を認めているので、必要以上に警戒心を与えないよう撮影を終えた。
車を国道へ向けて走らせていると、今度は小鳥の姿が視界の隅で動いた。
すかさずカメラを手にとり車の窓越しから姿を確認すると、
知っているような知らないような、撮ったことがあるようなないような野鳥。
それもそのはず後に調べてわかったことだが、その正体はノビタキ雄の冬羽。
以前、ノビ子と呼ばれる雌の冬羽を撮っていたが、雄であるノビ太を見たのは初めてのこと。
野鳥は親鳥・雌雄・若鳥・冬羽・夏羽の特徴が大きく異なるものもおり、
ひとつの種をとっても見た目が違うので、四季を通して見つける楽しみが増える。
遠くユーラシア大陸から日本に夏鳥として渡ってきたノビタキは、
これから寒くなる北海道を離れ気候が穏やかな南へ渡る準備をしているのだろうか。
たまたま野鳥に興味があったので旅先でこの瞬間を楽しめたが、
野鳥に興味がなければその姿を見てもなんだスズメかと気にも留めず、
もしくは野鳥の存在に気付くことなく通過していたのだろう。
なにが正解かはわからないが、僕は小さな喜びをひとつ拾うことができた。
不意に木陰で鉢合わせたヒグマにベアハッグされることなく無事に車まで辿り着いた。
いちいち生きている自分を実感できる尊い北海道の水系。
あらためて周囲を見渡すと車を停めた周辺は、森に隠された小さな牧草地らしく、
その隅っこの方に、またしてもタンチョウ夫婦を確認した。よく見ると子供までいる。
わざわざ有名なタンチョウ生息地に赴くことなく、
野良タンチョウと呼び捨てするとお叱りの声が届きそうだが、
辺境の僻地で特別天然記念物と出会えてしまう。
しかも独り占めときたもんで、ポートレートの世界で言うところのいわゆる個撮。
超広角レンズから500mmの超望遠レンズに交換して静かにタンチョウとの距離を詰める。
幼鳥というより若鳥と呼ぶべきか、タンチョウの子は親鳥より二回りほど小さく、
嘴から首までが優しい亜麻色に染まり、背部は白い羽毛に亜麻色が散らばる。
丹頂鶴の名前の由来である頭頂部の鮮明な赤色はまだ現れていない。
親は子に寄り添い牧草地で平和を謳歌し、僕はレンズ越しに見る親子の姿に穏やかを教わった。
タンチョウとの距離を空けて撮影しているけれど、
当然相手はこちらの存在を認めているので、必要以上に警戒心を与えないよう撮影を終えた。
車を国道へ向けて走らせていると、今度は小鳥の姿が視界の隅で動いた。
すかさずカメラを手にとり車の窓越しから姿を確認すると、
知っているような知らないような、撮ったことがあるようなないような野鳥。
それもそのはず後に調べてわかったことだが、その正体はノビタキ雄の冬羽。
以前、ノビ子と呼ばれる雌の冬羽を撮っていたが、雄であるノビ太を見たのは初めてのこと。
野鳥は親鳥・雌雄・若鳥・冬羽・夏羽の特徴が大きく異なるものもおり、
ひとつの種をとっても見た目が違うので、四季を通して見つける楽しみが増える。
遠くユーラシア大陸から日本に夏鳥として渡ってきたノビタキは、
これから寒くなる北海道を離れ気候が穏やかな南へ渡る準備をしているのだろうか。
たまたま野鳥に興味があったので旅先でこの瞬間を楽しめたが、
野鳥に興味がなければその姿を見てもなんだスズメかと気にも留めず、
もしくは野鳥の存在に気付くことなく通過していたのだろう。
なにが正解かはわからないが、僕は小さな喜びをひとつ拾うことができた。
2025年01月30日
イトウは心に宿る51
北海道の朝を迎えるのは五回目となり、
そろそろイトウ釣りでもするかと精一杯の早起きで七時に布団を抜け出した。
ひんやりした新鮮な空気を体中に取り込もうと外に出ると、
遠くの空からけたたましい鳴き声をした生物がこちらに向かって飛来してくるのを確認。
三羽の編隊は鳥類の親子らしかったが、
近づくにつれロプロスのような巨体の正体はタンチョウだったが、
鳴き声、いや、雄叫びは静寂を切り裂き、近所迷惑この上なし。
そこには昔話でお馴染み『鶴の恩返し』の美しさは微塵もなく、
助けてもらった恩を仇で返してくる悪女ではないかとさえ感じられた。
同じ騒々しいのでもイソヒヨドリやミソサザイのような囀りは大歓迎なのに。
北海道に来てからというもの愚痴が散見するが、
それはまるで憧れのパンダを動物園に見に行ったものの、
体の白い部分が薄汚れているし、臭うし、
現実を見た人々が思っていたのと違うとつぶやいたのと似ているかもしれない。
だがこれも来たことで初めてわかったリアル北海道なんだと受け入れた。
まずは数日前に会った地元釣人の合言葉を実行すべく、
別女穴川の畔に居を構える釣人の親類宅へ向かった。
時はコロナ禍であり、見知らぬ都会から来た人間を受けいれてもらえるか
大きな不安を抱えたまま。
そんなこともあり無礼を承知で手土産の用意を遠慮させてもらった。
未知のウイルスは異常な数年間を人間社会にもたらし、
人との交流が少なく警戒心が低い土地にも感染が拡大していた。
地図が示す住所付近に到着したが、
道路を曲がってから家までの距離はさすが北海道である。
平野部のポツンと一軒家にご挨拶をすると快く迎えてくださり胸を撫で下ろしたが、
家の横に併設するゲートの開錠をしながら、
ヒグマが生息していることを厳しい口調で忠告された。
僕は頷き車を奥へ進めた。
このご時世の未舗装路は雰囲気を高めてくれ、
左右の森からなにが飛び出してくるかわからない恐怖より、
なにか飛び出してきてほしいと願う自分であるが、
それは箱の中で安全であるからであり、徒歩だと無理。
しばらく車体に揺られると、川へ続くであろう入口に到着したが、
ここまで全て個人の所有地なのかと呆れてしまうほど広大だ。
さてここからは徒歩だ。川へ続く道といっても道なき道であり、
プライベート・ポイントのくせに踏み跡がまったく見つからない。
その先は川の水がまだ引いていないらしく浸水林になっているため、
釣り道具は無用の長物となりそうだ。カメラだけ携えて水際まで進むことにした。
初めての場所、増水、薄暗い浸水林、ヒグマ生息地、単独。
かなり厳しい条件が揃っているが、この先にイトウ生息地が待っている。
時に太もも辺りまで沈む地面に恐怖しながらも、
浸水林の先に陽射しがこぼれているのが見えるのは希望だった。
ようやく辿り着いた水際は少し高くなっており足場として問題なかったので、
数日前にあちこちから越流した水が浸水林を形成していたようだった。
目の前を流れる川はカフェオレ色した濁流で、
はたして通常の色なのか判断できないが、さすがに増水によるものだろうと感じる。
どこを眺めても岸に生える植物が水面に覆いかぶさり陸と水の境界はあいまいであるし、
落ちていた長い木を足元に突き刺して水深を確認しようとするも、
わからないほど深いようだ。
いまこの流れに落ちたら確実に虹の橋を渡ることになるのは想像に難くなかった。
滞在期間に本流が平水に戻ることはなさそうで、この状況で魚釣りは成立しない。
しかし平水になったところでイトウ釣りが成立するのも首を傾げたくなるような
激しい植物群落。巨大な倒木、倒れてなお生きようと青々とした葉を蓄える倒木、
無造作に流れを遮るような倒木に、さらには倒木に絡む流木、
そんなものがあちこちにある。
キャストというキャストは無理で、せいぜいピッチングしかできない。
上流や下流に移動しようにも、倒木だの木々だので岸沿いを歩けず、
カヤックも通行不能。
誰もが手を出せない、これこそがイトウの楽園なんだと納得できる。
画像で見た、あんなに長くて重い獰猛な顔つきをしたイトウがここに潜む。
そして誰もここを特定できない、辿り着けない、この光景を見られない。
イトウを釣ってもいないのに清々しい優越感。
いまできることは撮影のみ。濁流に不釣り合いな久しぶりに見た青空が、
さらに気分を晴れやかにした。
シャッターを切っていると、上流側から高い鳴き声が近づくのに気付いた。
これは間違いなくエゾヤマセミだ。しかもヤマセミの姿を撮影できたこともなければ、
聞いたこともない鳴き声なのに確信できたのは、カワセミのそれと似ていたからだ。
流れに沿って、くるぞくるぞと構えたカメラに装着しているのは超広角レンズ。
溢れる絶望感に、撮影を諦めその雄姿を目に焼き付けるべくエゾヤマセミの通過を見送った。
鈴鹿の最終コーナーを立ち上がり、第一コーナーに向かうマシンを眺める観客の如く。
望外であった。感慨無量。イトウ生息地でエゾヤマセミを見る贅沢。北海道大好き。
2025年01月23日
イトウは心に宿る50
水辺の遊びが一転して水難事故は起こるものだと、
太い幹の倒木に両の手で掴まりながら改めて反省した。
体が落下する瞬間は冷静といえないながらも、
反射的に右手にあった倒木を掴むことで全身落下するのを回避した。
ウエストハイ・ウェーダーから沁みこむ水の冷たさが、
イワナ属も生息できるはずだと妙に納得させる。
この川は平均して膝上の水深のはずなのに、
流れが勢いよく倒木にぶつかること流れが巻き、
下流側の泥底が掘られて一メートルほどの深みが形成されていた。
それはこの先にある倒木の全てにおいてそうであった。
みるみるウェーダーに浸水してくる冷水が、この態勢からの早期脱却を促す。
チェストハイ・ウェーダーで落水していたら立てただろうかとか、
もっと水深があったらとか、急流だったらとか色々な想像が頭を巡り、
とはいえそれらはこれまでの釣り人生の中で全て経験済み。
「子供の頃から釣りに行ったら必ず濡れて帰ってくる」と祖母や母を
心配させるのが定番だったが、いやはや北海道に来ても濡れてしまうとは。
ここは助けを呼ぼうと叫んでみても、
森と流れの音で掻き消され誰も気づいてくれない湿原河川。
やはり手を差し伸べてくれる仲間との釣行が望ましいのだろうが、
それでも単独で北海道釣行に臨んだ自分の選択に後悔はない。
北海道にくるまで体作りと称してやっていた懸垂は当初十一回が限界だったが、
二年後の最高回数は二十七回を記録した。
SASUKEに出場するのも夢ではないかもと自惚れるザ・パワーで
陸に這い上がることは朝飯前だったが、
橋を叩いて渡る意識も同時に鍛えなかったから落水したのだろう。
ウェーダーをひっくり返して排水し、ずぶ濡れのポケットからスマホと、
背負っていたバッグの一眼レフカメラを確認すると、
どちらも水浸しになり電源が入らず使用不能になっていた。
これからの行動を記録できないことに項垂れてしまうが、
ロッドは無傷だったので魚釣りは続行できる。
再開にともない落水した地点を再確認してみると、
やはりそこはまるで地面だった。湿原河川の落とし穴。
教訓を胸に再び歩きだす。
川は小刻みに蛇行しながら延々と続きそこに人間による踏み跡はなく、
歩く道は植物群落の隙間を縫って時に水辺から大きく外れたり、
また川寄りに戻ったりを繰り返してキャストできる場所を探す。
川はこれまで経験したことのない小さなRが連続している。
それの最たるものは、右岸に立って左目で下流を見るのと同時に右目で上流を見る不思議な感覚。
左目で流れが去って行くのを見ながら右目で流れが向かってくるその足元の幅は、
両手をいっぱいに広げたくらいしかない。
ゆえにその先で流れはヘアピンのように曲がって戻ってくるので陸は行き止まりとなる。
同じ立ち位置でプラグをダウンストリームで流した次のキャストでアップストリームができる流れは
釣り人生において初めてのこと。
勢いのよい流れが地形にぶつかり僅かな水の変化ができていれば、
そこにプラグを泳がせると必ず魚信があった。
キャストさえできれば喰ってくる魚影の濃さに感心した。
プラグを喰った全てがアメマスであり、
それらはこれまで出会ったニッコウイワナの全長を軽く超える大物揃い。
一尾だけ飛びぬけた全長のアメマスと出会い狂喜乱舞だったが、
撮影すること叶わず水に帰し、その姿は記憶の写真として残すのみ。
高低差がない町中を流れる泥底の川にイワナ属が泳ぐのは
植物群落と年中低水温を保つ流れのおかげだろうか。
さらに釣人に目を付けられないことで生息数も減らず、
それすなわち養殖魚が放流されないことで遺伝子汚染されない、
完全な天然魚として累々と子孫を残すイワナ達。
近畿圏の身近にある川で例えるなら、
人の手が加えられずとも簡単にいくらでも釣れてくれるウグイと似ていた。
これまで訪れたどの川よりも健全な状態の川が北海道にはあり、
それを感じられる魚釣りができたことを嬉しく思った。
濡れて泥塗れのみすぼらしい姿で宿に戻り、
スマホとカメラの乾燥を急ぐ。それらの復旧には七時間を要した。
温泉に入るついでに衣類を有料の全自動洗濯機に放り込んだが、
仕上がりの悪さに首を傾げた。
横の壁に小さな貼紙があり、洗剤は宿の受付けで販売していると書かれていた。
そのことを口をとがらせ概ちゃんに言うと、めっちゃ笑った。
太い幹の倒木に両の手で掴まりながら改めて反省した。
体が落下する瞬間は冷静といえないながらも、
反射的に右手にあった倒木を掴むことで全身落下するのを回避した。
ウエストハイ・ウェーダーから沁みこむ水の冷たさが、
イワナ属も生息できるはずだと妙に納得させる。
この川は平均して膝上の水深のはずなのに、
流れが勢いよく倒木にぶつかること流れが巻き、
下流側の泥底が掘られて一メートルほどの深みが形成されていた。
それはこの先にある倒木の全てにおいてそうであった。
みるみるウェーダーに浸水してくる冷水が、この態勢からの早期脱却を促す。
チェストハイ・ウェーダーで落水していたら立てただろうかとか、
もっと水深があったらとか、急流だったらとか色々な想像が頭を巡り、
とはいえそれらはこれまでの釣り人生の中で全て経験済み。
「子供の頃から釣りに行ったら必ず濡れて帰ってくる」と祖母や母を
心配させるのが定番だったが、いやはや北海道に来ても濡れてしまうとは。
ここは助けを呼ぼうと叫んでみても、
森と流れの音で掻き消され誰も気づいてくれない湿原河川。
やはり手を差し伸べてくれる仲間との釣行が望ましいのだろうが、
それでも単独で北海道釣行に臨んだ自分の選択に後悔はない。
北海道にくるまで体作りと称してやっていた懸垂は当初十一回が限界だったが、
二年後の最高回数は二十七回を記録した。
SASUKEに出場するのも夢ではないかもと自惚れるザ・パワーで
陸に這い上がることは朝飯前だったが、
橋を叩いて渡る意識も同時に鍛えなかったから落水したのだろう。
ウェーダーをひっくり返して排水し、ずぶ濡れのポケットからスマホと、
背負っていたバッグの一眼レフカメラを確認すると、
どちらも水浸しになり電源が入らず使用不能になっていた。
これからの行動を記録できないことに項垂れてしまうが、
ロッドは無傷だったので魚釣りは続行できる。
再開にともない落水した地点を再確認してみると、
やはりそこはまるで地面だった。湿原河川の落とし穴。
教訓を胸に再び歩きだす。
川は小刻みに蛇行しながら延々と続きそこに人間による踏み跡はなく、
歩く道は植物群落の隙間を縫って時に水辺から大きく外れたり、
また川寄りに戻ったりを繰り返してキャストできる場所を探す。
川はこれまで経験したことのない小さなRが連続している。
それの最たるものは、右岸に立って左目で下流を見るのと同時に右目で上流を見る不思議な感覚。
左目で流れが去って行くのを見ながら右目で流れが向かってくるその足元の幅は、
両手をいっぱいに広げたくらいしかない。
ゆえにその先で流れはヘアピンのように曲がって戻ってくるので陸は行き止まりとなる。
同じ立ち位置でプラグをダウンストリームで流した次のキャストでアップストリームができる流れは
釣り人生において初めてのこと。
勢いのよい流れが地形にぶつかり僅かな水の変化ができていれば、
そこにプラグを泳がせると必ず魚信があった。
キャストさえできれば喰ってくる魚影の濃さに感心した。
プラグを喰った全てがアメマスであり、
それらはこれまで出会ったニッコウイワナの全長を軽く超える大物揃い。
一尾だけ飛びぬけた全長のアメマスと出会い狂喜乱舞だったが、
撮影すること叶わず水に帰し、その姿は記憶の写真として残すのみ。
高低差がない町中を流れる泥底の川にイワナ属が泳ぐのは
植物群落と年中低水温を保つ流れのおかげだろうか。
さらに釣人に目を付けられないことで生息数も減らず、
それすなわち養殖魚が放流されないことで遺伝子汚染されない、
完全な天然魚として累々と子孫を残すイワナ達。
近畿圏の身近にある川で例えるなら、
人の手が加えられずとも簡単にいくらでも釣れてくれるウグイと似ていた。
これまで訪れたどの川よりも健全な状態の川が北海道にはあり、
それを感じられる魚釣りができたことを嬉しく思った。
濡れて泥塗れのみすぼらしい姿で宿に戻り、
スマホとカメラの乾燥を急ぐ。それらの復旧には七時間を要した。
温泉に入るついでに衣類を有料の全自動洗濯機に放り込んだが、
仕上がりの悪さに首を傾げた。
横の壁に小さな貼紙があり、洗剤は宿の受付けで販売していると書かれていた。
そのことを口をとがらせ概ちゃんに言うと、めっちゃ笑った。
2025年01月18日
イトウは心に宿る49
強く張った糸の先で魚が身を捩ったその刹那、
針が外れて弧を描いていた竿が元の姿に戻った。
魚の正体は判らぬままだがアメマスであろう。
魚が居るべきところに居たことが証明されたことに、
まずまずの満足感は得られた。
誰にも教わらず訪れた初めての場所で、
自分の思い描いた釣法で魚の生息を知ること、
これが魚釣りの本質であると少年期から感じている。
釣り仲間と協力して喜びを共有するのも決して悪くないが、
全てを単独で完結することが僕の求める至上の喜び。
ある時こんなことがあった。
小学四年生の坊主を連れて魚釣りに行き、
数も大物も釣れたことで喜んだ坊主がばあさん(僕の母)に
毎度するように釣果報告をした。
するとばあさんは目を細めて喜び、こう続けた。
「でもあなたのお父さんは小さい頃から独りで行って釣ってきたよ」
厳しい捉え方をすると、その釣果は自分の実力ではなく他力本願であること。
釣らせてもらっているのに、あたかも自分で釣ったかのような言い方は恥ずかしい。
そんな薄っぺらいことで喜ばず、そろそろあなたも一人前になりなさいと、
物事の本質を捉えて坊主に発破をかけたばあさんにナイスと僕は思った。
のちに坊主は努力して独りで仕掛けを作れるようになり、
僕の知らない場所で驚かせるような釣果を何度も突き付けてきた。
そんな大きな針でよく掛けたなと唸らせた極小モツゴは、
小さいほど釣るのが難しいため価値があると教えてきた。
いつかの時は、帰宅した僕を驚かせるべく釣ってきた沢山のアメリカザリガニを
買い替えたばかりの洗面器に入れて玄関に置いていたが、
不運なことに妻や姉達にバレ、
洗えばいいだろうと反論したらしいが女連中がそれを許すはずもなく、
いますぐダイソーで新しいのを買ってこいと命じられたらしい。
そんな伝説のザリガニ洗面器は廃棄されることなく、
エンジンオイル受けとして余生を送っている。
坊主は成長するにつれフットワークが軽くなり、
僕がまだ見ぬ魚種を釣っては画像を送り付けてくる。
高校生になると自分で探索した場所で僕の最長記録を超えるスズキを釣り、
僕にハンカチを噛ませた。実に感じの悪い父親越え。
今回の北海道旅行の際には原野とヒグマの件もあり、
生きて帰ってくるよう身を案じてくれた。
そんな折だった。
次の場所へ移動しようと岸伝いを慎重に歩いていたのに、
いや、それこそ岸際は歩かないようにしていたのに、
次の一歩で靴底が踏むはずの地面が消え、
宙に放り出された体は約1メートル下にある冷たい流れに落水した。
針が外れて弧を描いていた竿が元の姿に戻った。
魚の正体は判らぬままだがアメマスであろう。
魚が居るべきところに居たことが証明されたことに、
まずまずの満足感は得られた。
誰にも教わらず訪れた初めての場所で、
自分の思い描いた釣法で魚の生息を知ること、
これが魚釣りの本質であると少年期から感じている。
釣り仲間と協力して喜びを共有するのも決して悪くないが、
全てを単独で完結することが僕の求める至上の喜び。
ある時こんなことがあった。
小学四年生の坊主を連れて魚釣りに行き、
数も大物も釣れたことで喜んだ坊主がばあさん(僕の母)に
毎度するように釣果報告をした。
するとばあさんは目を細めて喜び、こう続けた。
「でもあなたのお父さんは小さい頃から独りで行って釣ってきたよ」
厳しい捉え方をすると、その釣果は自分の実力ではなく他力本願であること。
釣らせてもらっているのに、あたかも自分で釣ったかのような言い方は恥ずかしい。
そんな薄っぺらいことで喜ばず、そろそろあなたも一人前になりなさいと、
物事の本質を捉えて坊主に発破をかけたばあさんにナイスと僕は思った。
のちに坊主は努力して独りで仕掛けを作れるようになり、
僕の知らない場所で驚かせるような釣果を何度も突き付けてきた。
そんな大きな針でよく掛けたなと唸らせた極小モツゴは、
小さいほど釣るのが難しいため価値があると教えてきた。
いつかの時は、帰宅した僕を驚かせるべく釣ってきた沢山のアメリカザリガニを
買い替えたばかりの洗面器に入れて玄関に置いていたが、
不運なことに妻や姉達にバレ、
洗えばいいだろうと反論したらしいが女連中がそれを許すはずもなく、
いますぐダイソーで新しいのを買ってこいと命じられたらしい。
そんな伝説のザリガニ洗面器は廃棄されることなく、
エンジンオイル受けとして余生を送っている。
坊主は成長するにつれフットワークが軽くなり、
僕がまだ見ぬ魚種を釣っては画像を送り付けてくる。
高校生になると自分で探索した場所で僕の最長記録を超えるスズキを釣り、
僕にハンカチを噛ませた。実に感じの悪い父親越え。
今回の北海道旅行の際には原野とヒグマの件もあり、
生きて帰ってくるよう身を案じてくれた。
そんな折だった。
次の場所へ移動しようと岸伝いを慎重に歩いていたのに、
いや、それこそ岸際は歩かないようにしていたのに、
次の一歩で靴底が踏むはずの地面が消え、
宙に放り出された体は約1メートル下にある冷たい流れに落水した。
2025年01月16日
イトウは心に宿る48
いつの頃からかアニメ・ファンに見られる聖地巡礼が周知されるようになった。
ここではマンガも含めサブカルチャーとして一括りにするが、
アニメの舞台となった地を訪れることで物語の世界に没入する聖地巡礼とは、
ファンとしての通過儀礼である。
昭和時代ならアニメ好きなんて公言しようものならオタク扱いされ、
それはそれは訝しの対象だったのだけど、令和の時代はそうではない。
アニメやマンガは、なななんと内閣府の知的財産戦略推進をする
クールジャパン戦略のひとつであり、
国策として経済成長に繋げる目論見の対象なのだ。
日本のサブカルチャーに影響を受けたインバウンド需要で
潤う企業や地域も少なくない。
現在はアニメを観るのもマンガを読むのも苦痛になってきた自分でも、
少年期に影響を受けたマンガ、いや漫画はやはり特別な存在であり、
イトウ釣りも聖地巡礼の一環だ。
三平や大助くんが奮闘した彼の地へやってきたことにより、
積年の想いが静かに溢れ出した。
ここに同じ想いを共有する仲間はいない。
当時も現在も、それらの世界観に夢を抱いたのは自分独り。
魚釣りにおけるオタク中のオタクだと言われれば、
嬉しくはないけれど僕は首を横に振ることをせず、
頷き笑うのかもしれない。
聖地を眺めながら車を走らせ、
いつしか両側の景色は広大な牧草地帯に占領され、
終わりの見えない直線道路をただひたすらに走り続けた。
概ちゃんが待つ宿泊先へ到着した時は精も根も尽き果て
HPゲージにエンプティ・ランプが灯っていたが、
ベッドで泥炭のように眠ることを許してもらえず
筆舌に尽くしがたい営みにより意識が遠のいた。
翌朝ではなく翌昼に目覚めた僕は、
のんびり釣り支度をして宿泊先の敷地を流れる川に出掛けた。
湿原の地を訪れてから四日目だというのにまだイトウは狙わない。
いまだ台風後の流れが平水に戻っていないこともあるが、
イトウは最後でいい。
本日の目的はエゾイワナあらため、
いかにもアメマスといった大きな白斑を散らした魚体に会うための釣査だ。
鳥瞰すれば町中を流れる河川なのだけど、
川の雰囲気は自分が知る里川とはまったく異なっていた。
川幅は広くてせいぜい五メートルほどだが、まず水辺に辿り着くのに鬱蒼と生い茂る
植物群落を抜けねばならず、
ようやく辿り着いた川辺の両岸の木々が川面を覆い、ただでさえ薄暗いのに
空の色もすっきりしないこともあって不気味さに輪を掛ける。
ヒグマ出没地帯なので気配に足跡や食痕をたえず確認することも怠れない。
狙うはアメマスだが、いわゆるイワナ属だ。
オショロコマの泳ぐ川も信じがたいものであったが、
こんな町中を流れる平坦な川にイワナ属が生息しているのだろうかと甚だ疑問だ。
しかも泥炭地帯であるため岸にも川底にも石などなく、
川底は泥が敷き詰め、
ウェーディングしようものなら足が泥に潜りすぐさま煙幕で水を濁らせる。
強い流れさえなければカムルチーが似合いそうな川にイワナ属が生息できるのだろうか。
それを確かめるために釣りという手段を用いるのだが、
初投に至るまでも至難の業だった。
頭上には荒れ狂ったように立ち並ぶ木々、
水辺に倒れ込む大木、流れを遮る流木とそこに溜まる流下物。
岸際の水面を隠すように生い茂る草の下は魚達が身を潜める場所に違いないが、
そこにルアーを通せる立ち位置がなければ竿を振れない。
水深こそ浅いところで膝上程度だが、レンガ色した流れの押しが強くて速い。
基本はアップストリームなのだろうが、
ルアーを通せる距離が短く流速も相まってルアーを喰わせるタイミングがない。
したがってウェーディングせず釣り下ることにした。
キャストができる隙間を見つけてはアメマスが定位していそうか確認し、
そこにルアーを通せる距離があるのか、
さらには根に巻かれることなくランディングができるかを総合判断する。
障壁の高さが初投をなかなか許さないが、
ようやく見つけた小場所にシンキング・ミノーを踊らせると、
レンガ色した流れに閃光が走った。この瞬間がたまらない。
ここではマンガも含めサブカルチャーとして一括りにするが、
アニメの舞台となった地を訪れることで物語の世界に没入する聖地巡礼とは、
ファンとしての通過儀礼である。
昭和時代ならアニメ好きなんて公言しようものならオタク扱いされ、
それはそれは訝しの対象だったのだけど、令和の時代はそうではない。
アニメやマンガは、なななんと内閣府の知的財産戦略推進をする
クールジャパン戦略のひとつであり、
国策として経済成長に繋げる目論見の対象なのだ。
日本のサブカルチャーに影響を受けたインバウンド需要で
潤う企業や地域も少なくない。
現在はアニメを観るのもマンガを読むのも苦痛になってきた自分でも、
少年期に影響を受けたマンガ、いや漫画はやはり特別な存在であり、
イトウ釣りも聖地巡礼の一環だ。
三平や大助くんが奮闘した彼の地へやってきたことにより、
積年の想いが静かに溢れ出した。
ここに同じ想いを共有する仲間はいない。
当時も現在も、それらの世界観に夢を抱いたのは自分独り。
魚釣りにおけるオタク中のオタクだと言われれば、
嬉しくはないけれど僕は首を横に振ることをせず、
頷き笑うのかもしれない。
聖地を眺めながら車を走らせ、
いつしか両側の景色は広大な牧草地帯に占領され、
終わりの見えない直線道路をただひたすらに走り続けた。
概ちゃんが待つ宿泊先へ到着した時は精も根も尽き果て
HPゲージにエンプティ・ランプが灯っていたが、
ベッドで泥炭のように眠ることを許してもらえず
筆舌に尽くしがたい営みにより意識が遠のいた。
翌朝ではなく翌昼に目覚めた僕は、
のんびり釣り支度をして宿泊先の敷地を流れる川に出掛けた。
湿原の地を訪れてから四日目だというのにまだイトウは狙わない。
いまだ台風後の流れが平水に戻っていないこともあるが、
イトウは最後でいい。
本日の目的はエゾイワナあらため、
いかにもアメマスといった大きな白斑を散らした魚体に会うための釣査だ。
鳥瞰すれば町中を流れる河川なのだけど、
川の雰囲気は自分が知る里川とはまったく異なっていた。
川幅は広くてせいぜい五メートルほどだが、まず水辺に辿り着くのに鬱蒼と生い茂る
植物群落を抜けねばならず、
ようやく辿り着いた川辺の両岸の木々が川面を覆い、ただでさえ薄暗いのに
空の色もすっきりしないこともあって不気味さに輪を掛ける。
ヒグマ出没地帯なので気配に足跡や食痕をたえず確認することも怠れない。
狙うはアメマスだが、いわゆるイワナ属だ。
オショロコマの泳ぐ川も信じがたいものであったが、
こんな町中を流れる平坦な川にイワナ属が生息しているのだろうかと甚だ疑問だ。
しかも泥炭地帯であるため岸にも川底にも石などなく、
川底は泥が敷き詰め、
ウェーディングしようものなら足が泥に潜りすぐさま煙幕で水を濁らせる。
強い流れさえなければカムルチーが似合いそうな川にイワナ属が生息できるのだろうか。
それを確かめるために釣りという手段を用いるのだが、
初投に至るまでも至難の業だった。
頭上には荒れ狂ったように立ち並ぶ木々、
水辺に倒れ込む大木、流れを遮る流木とそこに溜まる流下物。
岸際の水面を隠すように生い茂る草の下は魚達が身を潜める場所に違いないが、
そこにルアーを通せる立ち位置がなければ竿を振れない。
水深こそ浅いところで膝上程度だが、レンガ色した流れの押しが強くて速い。
基本はアップストリームなのだろうが、
ルアーを通せる距離が短く流速も相まってルアーを喰わせるタイミングがない。
したがってウェーディングせず釣り下ることにした。
キャストができる隙間を見つけてはアメマスが定位していそうか確認し、
そこにルアーを通せる距離があるのか、
さらには根に巻かれることなくランディングができるかを総合判断する。
障壁の高さが初投をなかなか許さないが、
ようやく見つけた小場所にシンキング・ミノーを踊らせると、
レンガ色した流れに閃光が走った。この瞬間がたまらない。