2022年12月17日
あのブラックバス池を特定しました。
僕はモニターに映る上空から見下ろす航空写真の一点を凝視し、
しばらく眺めた後、息を呑んだ。
あのため池に似ている。
中学一年生の時に初めてブラックバスを釣ったため池を再訪したく、
しかしその後、所在を掴めず数十年間希求していたのだ。
モニターに映る道路からため池までの進入路と、
上下二段になっているため池のレイアウト。
それに上段の池から少し離れた場所にある大きなため池の存在にハッとし、
二つの位置関係も・・・・・・合っている。
両方のため池を遮る林と、そこを抜ける小道も確認できた。
僕の記憶とすべてが合致して、
体の底から気持ちが昂ってくるのがわかる。
いや、でも待て。糠喜びにならぬよう一度落ち着け。
モニターから視線を逸らして深呼吸ひとつ。
そうしてから向かい合ってあれこれ否定してみるべく、
つまびらかに調べてやるのだけど無謬である。
肯定と否定の均衡は脆くも崩れた。
あのため池だと確信した途端、
僕の心の奥底に沈んでいた錘が融けて無くなった。
後は現地へ赴き、水辺に立つことで記憶の糸をさらに手繰り寄せ、
その時自分がどういった感情に包まれるのかを知りたかった。
決行までの期待と不安。当日までの時間をひどく長く感じた。
次第に不穏な憶測も行き交う。
航空写真がいつの情報かわからない。
ため池の間違いなら救いはあるが、
現在は埋め立て地、もしくはソーラーパネルが設置された悍ましい景色だと、
その場に立ち尽くし悲嘆に暮れ、膝から崩れ落ちてしまうだろう。
天気予報から決行予定日は雨模様だと知った。
これは好機。だって『あの日』も曇天のち小雨。
小雨の中で念願の初ブラックバスを釣ったのだから。
タックルを持っていく?自分に問いかける。
じゃああの日のようにベイトタックルがいいかな。
ガングリップの5フィートとちょっとの短いベイトロッドはないから、
手持ちの最も短い6フィート1インチのベイトロッドにしよう。
ベイトリールに巻くのはナイロンライン。
そうなればもちろんルアーはワームのテキサスリグで決まり。
初バス記念の意味と、いつか来るこの日の為にトーナメント・ワーム6インチの
カメレオングレープを買っておいたのだ。
しかも当時はお小遣いで買った一本買いだったのに、
贅沢にもパック入りを購入。
このパックをフィッシングサロン心斎橋で見つけた時は運命を感じ、
一階のレジに持って行くとスタッフがその気持ちを汲んでくださった。
たったひとつのため池を見つけただけで溢れ出す想い。
これが自分の歩んできた人生。幸せな時間。
決行前夜の天気予報は雨模様から終始本降りになっていた。
思い描く状況と異なってきたことでその日は見送ることにし、
焦る気持ちを抑え数日後の曇天予報に照準を合わせ直した。
思い出の水辺巡り当日の朝を迎えた。
しっかり準備していたタックルは思う所あって置いていくことにし、
一眼レフカメラと超広角レンズ、そして三脚を携える。
これまでの思いが駆け巡る。
H県のため池の数は約二万二千箇所。
そこから乏しい記憶を頼りにひとつのため池を見つけ出そうと、
アトラス地図を眺めたり、
インターネットがナローバンドからブロードバンドになり、
ようやく快適に使えるようになった約二十年前の
2002年頃にADSLを契約してから、
パソコンのモニターに散らばる途方もない数のため池群と向き合った。
ある時、僕達釣り少年をバス釣りへ連れて行ってくれた同級生の父上に、
あのため池の名前や所在を聞き出そうとするもすっかりお忘れで、
また数年後に同じ質問をするとやや記憶が蘇ったのかO市だと言う。
さらにこんな有力情報も。
「花屋の手前やわ」
どこの花屋のどの方角からの手前なのか漠然すぎるが、一縷の望に託す。
パソコンに向かいO市に的を絞り、升目を敷いてローラー作戦に打って出た。
来る日も来る日も暇があれば延々と地味な作業を続ける。
それでも記憶にあるため池のレイアウトとは出会えなかった。
それもそのはず、O市ではなかったからだ・・・・・・。
しかも、だ。
ふと思いついたように古いアルバムを開けると、
そこには同級生の父上所有の初代シビックシャトルの前で
初ブラックバスを手持ちして、
はにかむ爽やか少年の写真。そこに添え書きが記されていた。
「初ブラックバス!O市の野池にて」
いや、そこから間違ってるやん。
同級生の父上からO市だと教わって書いたのだろう、もう・・・・・・。
こうして苦難は続き、何年も何十年も暇を見つけては
範囲を広げてマップを眺めることを忘れなかった。
2022年吉日深夜。
何かのきっかけでインターネット情報に出てきた、
鈴鹿サーキットをメインに活動している小さなショップの記事を読み、
気になったので調べるとショップの所在はH県X市。
何気にマップでショップの位置を確認すると、
ショップから随分離れた場所ではあるけれど、
視界に入り込んだひとつのため池・・・・・・。
今、そこへ向かっている。
まったくO市ではないし、
花屋の手前・・・・・・は見方によってはそうなるかも知れないが、
ため池の近くに差し掛かり、今にも泣き出しそうな曇天のもと、
運命の交差点を右折して、
しばらく走ってからうんと減速して最後の左折をした。
池はあるのか。
水は張っているのか。
魚はどうなっているのか。
低いギアでゆっくり静かに進むと、
そう、あの時シビックシャトルを停めた場所が見えてきた。
ため池の畔にツーバーナーを置いて、
大人達はチェアーに座って寛いだり昼食を作ってくれたり。
「え、大人達はなんで釣りしないの!?信じられへん!」
なんて言いながら、八名ほどの少年達はタックルを手に
一斉にため池のあちこちに散った。
まず下段の池の中央に抽水植物の切れ目があったはずで、
その地形が朧げに残っていたのを目にしたとき、
思わず感嘆の溜息が漏れる。
この場所で釣具店㐂竿堂の店員だった西さんに、
トップウォータープラグの使い方を教わった。
その場所から後ろを振り返り、
下段の池から上段の池へ続く道も記憶のままで、
上段の池に上る階段を緊張しながら歩を進めた。
上り切った場所で立ち止まると景色が広がった。
隅々まで見渡し、あぁ間違いないと安堵した。
しかもこの位置は、
初ブラックバスを釣り上げる少し前にかなり大きなブラックバスを
ヒットさせたのだけど、
目の前でジャンプされてルアーが外れ悔しい思いをしたところ。
フックアウトした瞬間、バスが宙で横向きになっていた。
そんな光景までもが蘇る。
そこからため池の角に目を向けると、初ブラックバスを釣り上げた場所が見えた。
僕はあの斜面に立ち、ロッドに生命感が伝わった。今でもそれは鮮明に。
雑草が生い茂り行く手を阻んでそこまで辿り着けなかったけれど、
そこへはあの時と同じ、春に訪れよう。
魚が居るかわからないけれど、さらなる楽しみを先延ばしにしてみた。
釣り少年の頃と同じように、今も期待に胸を膨らませ魚釣りを楽しめているかな。
今度ここへ来る時はタックルを携え、
もちろん往時のルアーを忍ばせて。
2022年02月12日
ブログ閉鎖前に残しときます。


魚釣り禁止場所にルアー釣りの痕跡をとどめるなんて、さすがバサー。
魚釣りが禁止になったのには理由があり、
一度禁止になれば解禁されることは難しい。
「こんなことするヤツはバサーじゃない。自分は道徳ができている!」
と主張したところで、
一般人からすれば水辺で糸を垂らしていれば皆同じ。
まあこのての輩は熱病のようにバス釣りに浮かされたものの、
数年で飽きてやめる類型でしょう。
なぜ飽きるかといえば、思うように釣れないから。
なぜ思うように釣れないかといえば、想像力の欠如。
バス釣りだけでなくどうせ勉強も仕事もできない人間なのでしょう。
間違いない。
長年楽しんできた釣人は釣場を奪われ迷惑千万。
とはいえこんなケースも。
長年釣りをしてきた人達が、マナーが悪い釣人がいるのは
「売りっぱなしの釣具メーカーに責任がある」だとか、
「影響力のあるブログなんだから啓発してほしい」
などとこちらに言ってくる。
まさに厚顔無恥。責任転嫁に他力本願も付け加えよう。
あなた達はどのような努力を?
ご自身でブログなどSNSで積極的に発信すれば~?
そう、本人達は気付いている。
声を大にしたところで誰も耳を傾けてくれないことに。
なぜ相手にされないのか。
ヒント:なんの魅力もないから。
どこの誰かもわからず、
これまでどれだけの釣果を出しているかも知らないのに、
そんな戯言に誰が同調するのかと(みんなの感想です)。
誰もが世界に発信できるネット環境も、
誰にも相手されなければただの独り言。
ではどうすれば他人に伝わるか。
それを考える力が必要でしょうね。
あ、そもそもおつむが弱いから責任転嫁に他力本願なのか。
いろいろなところで気付かず損してきた人生なのでしょうね☆
2021年06月29日
ざまぁ。悪口言ってたヤツの名前と顔を晒します。
先日の記事に登場した
K氏・M氏・T氏・Y氏が釣人の悪口を言っていたので名前と顔を晒します。

カワセミ 「水辺に釣人ほんまいらんわ~。スマホいじっとけや」

ミサゴ「また釣人きやがった。しかも魚が寄って来るところに立ちこんでアホやろ」

トビ「せっかく魚食べてるのに釣人くんなや。めんどくさ」
ヤマセミはいまだ撮影させてくれず。
琵琶湖の野鳥達は、
我が物顔に振る舞う釣人が大嫌いだそうです。
K氏・M氏・T氏・Y氏が釣人の悪口を言っていたので名前と顔を晒します。

カワセミ 「水辺に釣人ほんまいらんわ~。スマホいじっとけや」

ミサゴ「また釣人きやがった。しかも魚が寄って来るところに立ちこんでアホやろ」

トビ「せっかく魚食べてるのに釣人くんなや。めんどくさ」
ヤマセミはいまだ撮影させてくれず。
琵琶湖の野鳥達は、
我が物顔に振る舞う釣人が大嫌いだそうです。
2020年07月17日
水難事故です。いつもの水辺で。

また起きてしまったか。というのが本音。
※画像と記事内容は無関係ですが、
ここも水遊びするような場所ではないですよ。
過去に知り合いの子供が川で溺死しています。
悪いのは親でした。
幼い子供を川で遊ばせておいて、
おつむの弱い仲間達と酒に溺れていたとき、
子供は川で溺れていました。
小学校の時の同級生の弟が川で溺死しました。
悪いのは同級生のクソビッチな母親でした。
男が家に遊びにきたので、
「どこか遊びにいっといで!」と、
キツく言ったのが最後の言葉だったそうです。
その時、弟クンはどんな気持ちになったのか。
今でもこの話に胸が締め付けられます。
とある海水浴場でのこと。
3歳くらいの子供が溺れて意識不明になっているときに、
馬鹿両親が居たのは海の家。
以前、カスタム・カー繋がりの大所帯で海へキャンプへ行ったとき、
僕達は食料を買出しへ行くことになったので、
海が大荒れだからキャンプ地に残る全員に、
絶対に海へ行かないようにと忠告しました。
しかし買出しから帰ってくると、砂浜で遊ぶ子供達12人の姿。
打ち上げる波の跡を走っています。
僕は、その場の空気を壊すように怒りました。
もちろん残っていた親連中にです。
彼らの言い訳は、「〇〇さん(魚釣りが趣味)が大丈夫だって・・・・・・」
その〇〇さんも親連中も子供達の目の届かないところで酒を飲んでいました。
見えないどころかキャンプ地と海は100メートル以上離れています。
事故がなかったのは幸いですが、
おつむの弱い連中とはもう付き合いはありません。
集団になるとこれだからね。群れはダメです群れは。
子供達が鬼籍に入ってしまっては遅いので、
我々がどうするかということです。
例えば川。水難事故の多くは、ひざ下しかない深さの
安全と思われた場所で死亡事故が多発しているとのこと。
それはなぜ?
とても簡単なことです。
川の地形は平坦ではなく、一部深い場所があったり、
30センチの深さから1メートル落ちていたり。
ウェーディングで慎重に歩を進めていて気付くことが、
はしゃいで遊ぶ子供達に危険を察知できないでしょうね。
今回の水難事故についても、
僕はスイミングに通っていたので現在でも泳ぎは達者ですが、
ウェーディングして地形の複雑さと流れの押しが強いのを
知っているので、ここでは泳ぎたくない、
もしくは子供が水遊びなんて無茶苦茶だと思う場所でした。
酒を飲んで溺死する大人のことなど興味ないけれど、
子供の命を守るのは大人でしょう。
ではどうすればいいか。
なにも難しいことではありませんよ。
2019年08月30日
めちゃめちゃ釣りの上手な人と遭遇

後にも先にもこんなに魚釣りが上手いと思える人はいなかった。
圧倒的で、高校一年生の僕には衝撃だった。
それは現在も色褪せることはないと、
撮影しながら自身に問いかけ確認した。
晩夏の夕暮れ間近。
僕はAダムの上流部へとやってきた。
当時釣りをしていた場所は木々が生い茂り、
植物の要塞と化し人の侵入を拒んだ。
困り果てたが、客観的に眺められる場所で撮影することにした。
『サングラスをしたガラの悪そうなにーちゃんがベイトタックルで
トッププラグをめちゃくちゃ飛ばしていた。
これだけでも凄いと思えたのに、
これまためちゃくちゃ釣る。入喰いというやつを初めて見た。
さらには50センチ超のランカーバスを釣った。
そんな大きなバスを見たことがなかった僕はただただ驚いた。
そのにーちゃんは確かに喜んではいたけれど、
ランカーバスを何尾も釣ったことがあったのだろう、
はしゃぐことなくしばらく眺めて優しく水に帰した』
とまあこんな感じの強烈な思い出なのだけど、
後にその方はご自身のブランドを立ち上げた。
そのことを知る由もない僕がそのブランドを愛好していた。
そんなストーリー。

ローディーラーにミノーペンシルを結んだ。
もちろん入喰いを夢見て投げて投げて投げまくった。
するとドカーン!と水面が割れてランカーバスが喰いつき
こんな出来過ぎたことがあっていいのだろうかなんてことは一切なく、
ただただ湖面は静かに広がりを見せた。
タックルを持ったまま西の空が少し紅くなったのを見届け、
僕は水辺を背にした。
2019年08月29日
思い出の水辺巡りしてますか?

そう、この景色の中に浮かんで釣ってましたよー。
一番お気に入りの場所でした。
初めて訪れた日から三十年振りですねー。
最後に訪れてからは二十五年経ちますか。
ブラックバス釣りの楽しさを学んだAダム。
水面に飛び出す枯れ木があちこちにあり、
雰囲気抜群でした。
さすがに今はまったくありませんでしたね・・・・・・。
ビシバシバジングといったテクニックがあったのを思い出しました。
立ち枯れたブッシュにスピナーベイトをぶち込み、
枯れ枝に乗ったラインをビシバシとロッドを何度も振り下ろすことで
水面に落とし、スピナーベイトを強引に引いてきます。
ラインは東レのブッシュランナー。
ブッシュを抜けた瞬間に喰ってくるんですよねー。
ブルドッグのスピナーベイトですよ。懐かしいですね。
そこからポップRにも開眼しました。ボディサイドを削り、
さらにカップも加工するのです。めちゃくちゃ釣れました。
名言も生まれました。ポップRを『ボコつかせる』ことで
日中でも良い思いをしました。
最強だったのは小雨降る平日です。
僕は風邪で40度近くあって仕事を休んだのに、
悪友に誘われAダムへ。
ポップRを投げてた僕だけとことん入喰いしました。
ボコつかせるというより、実は軽い飛沫を散らしながら
スピーディーに引くのがコツでしたけどね。
当時はポップRもめちゃくちゃ釣れたのですが、
安定した数釣りができたのは、
スライダーワーム4インチのスプリットショット・リグでしたね。
安い。とにかく釣れる。
ただ、釣れすぎて面白くなかったという・・・・・・。
これを一日通して釣っていたヤツはヘタレ呼ばわりされました。
そして岸釣りからゴムボート・デビューを果たします。
これまためちゃくちゃ釣れます。
岸から届かない枯れ木はパラダイスなのです。
ここでの最強はノーシンカーのギドバグ。
ブラックボディのブルーシザーがお気に入りでした。
ベイトタックルでギドバグをちょい投げして
枯れ木に沿ってフリーフォールさせますと、
それはもうたまりません。
魚信を得てからフッキングが決まる瞬間が特に楽しかったです。
その次に面白かったのはスラッゴーの長いやつでした。
これはリーリングとロッドアクションで操作するのですが、
これまたええサイズばかりが釣れました。
素材が強く、耐久性があったのも好印象です。
さらに数釣りをとイヤラシイ思いが出始め、
スラッゴーの短いのも投入したのですが、
これはイマイチでしたねえ。長いスラッゴーが抜群でした。
小さいルアーの方が釣れるというのは錯覚であり、
そんな概念を崩してくれました。
そう、思い出しました。
ここでも伝説が生まれました。
僕と悪友はそれぞれゴムボートを所有しており、
悪友のゴムボートには穴が開いていました。
それを承知で出船しておりまして、
気が付くと沖でVの字になりながら釣りをしているアホがいます。
ドイツ海軍の潜水艦にUボートがありますが、
彼のは『Vボート』と命名しました。
彼を軸に見事なVの字を描いております。
漕いでも漕いでも進まず、その姿に腹を抱えて笑いました。
僕も悪友もスイミングを習っていたので
それほど危機感はなく、ひたすら面白かったのです。
次に二人でフローターを購入しました。
ズイールのフローターです。
萱島のマリコンで買ったかなあ。
二つ同時に買うからマケてや!と
T橋さんに交渉したような記憶があります。
色々お世話になったぽっちゃり体形のT橋さん、お元気かなあ。
当時はフローターの先駆けだったのかな。
浮かんでいるとバサーに指をさされて
「なんやアレ!」とよく言われました。
トラックのチューブに迷彩色のカバーを被せただけのフローターですが、
機動力抜群で、しかも釣り味最高。
エアーを入れたまま2梃をハイラックス・サーフに
ブチ込める機動力も良かったです。
本当にフローターはハマりましたねえ。
余談ですが木津川で流されながら
バス釣りをしていましたよ悪友が・・・・・・。
なんとかの一つ覚えで冬もフローターでしたよ。
景気づけだといってビールを飲んでからフローターを出した悪友は、
お手洗いが近くて近くて何度も岸に上がって用を足しています。
この光景にナニをしてるんだと大笑いです。
さらにこんなこともありました。
フローターで浮かんでいた悪友がルアーをブッシュに絡ませ、
強引に引っ張ったことでルアーが顔面に向かって飛んできました。
それを手でガードしたのですが、
カエシ付きのフックが手のひらに刺さったのです。
もちろん簡単にフックは抜けません。
もう一人のツレが僕に耳打ちしてきました。
「なんかアイツの顔色がフリーザのパパみたいな色になってきてない?」
笑ってはいけないシーンでなんてことを・・・・・・。
笑ってはいけないと思えば思うほど堪えられず、
二人で堪え笑いしてしまうのでした。
画像中央付近にあるワンド入口でのことです。
サーフで思い出しました。
悪友のサーフはハイリフト仕様にしており、
僕のベタベタ86では見えない景色が見えるのでして、
その日はガードレールから下にある藪の隙間が見えたのです。
するとバサーが余裕をかましてNOGUSOをしているではありませんか。
まさか上から見られているとも知らず、
絶対誰にも見られていないであろう余裕感からか、
そのウンチング・スタイルには風格すら漂っておりました。
僕達はその行為を『ノッグン』と呼ぶことにしました。
ノッグンですよ。ノッグンに清き一票をお願いします。
時は戻って、原付でも通いました。
高2の夏休みにツレと野宿で一泊したのも良い思い出です。
夏なのに夜は寒くて寒くて・・・・・・何を考えていたのでしょう。
きっと何も考えていなかったのでしょうね。
生き残るためのサバイバルです。
焚火で暖をとったはずです。
そうそう、Aダムの入り口にあったコンビニでカップ麺を買い、
おばちゃんがお湯を注いでくれた優しさは忘れません。
でも先日行くとそのコンビニはなくなっていました。
ある時、月刊タックルボックスにAダムが紹介されました。
髭面のデブったおっさんバスプロだったと記憶しています。
終わったな・・・・・・ツレ達と愕然としました。
バスブームも重なり、Aダムはにわかバサーが増殖し
酷いことになっていきました。
イナゴの大群が田畑に襲来するかのような勢いです。
例えがちょっと大袈裟ですけどそんな感じの勢いです。
割り込み、ラインを被せてくる、
僕達がバスを掛けたら真横に来て投げる。
岸釣りをしている真ん前をボートで通過する。
なにコイツら?アホなの?
僕達はフナ釣りなどで魚釣りを覚えてきましたから、
隣の釣人との距離感がわかっていますし、
互いの気持ちというものを理解できました。
しかしバス釣りから魚釣りを覚えた御仁達は
他人に釣り勝てだの、何としてでも釣れだの、
釣れたらウエーイ!と魚を持ち上げて叫び、
誇らしげに変顔をし、ワイルドな長髪に野生的な髭をたくわえ、
ちゃんとお風呂に入ってるのかな?と思わせるバスプロ達を
最高に格好良いと思う人種なワケでして、
僕達の足はAダムから遠のきましたがこれは賢明でした。
バスブームの頃の不思議な光景としては
中環ポパイだったかな。
タックルを持ちウェーダーを履いたまま入店していた二人組が
注意されていましたね。お前らもののふかよ、みたいな。
どこかの釣具屋にウェーダー入店禁止みたいな張り紙があったので、
あちこちでそんなのが湧いて出現していたのでしょう。
電車内でフック剥き出しルアーをぶら下げた親子バサーもいましたよ☆
まあ、喫煙しながら魚釣りをしている恥も外聞もないCMが
流れていたのですからすごい時代でしたね。
二十五年振りに訪れたAダムは静かでした。
イナゴの大群は自然淘汰されたような気配です。
当時、朝一に必ず入っていた場所はすぐに見つかりました。
ツクツクボウシが沢山鳴いて平和な空気が漂っています。
懐かしのポップRを結びました。
昔を思い出しながら投げる投げる。
座りながら十五分ほど投げて飽きてきました・・・・・・。
儀式的な釣りを終え、その場を後に。
Aダムをぐるり一周し、見覚えのあるポイントが
いくつもありました。
そして最後に運命的な場所へ向かいました。
2019年08月15日
憧れのBBポイントはココ!

思い出の水辺巡りシリーズ
静かなる朝の東条湖。
十代の僕は盛夏の朝一に水辺に立った。
ご存知『ブラックバス指南』に紹介されていた(たぶん)湖だ。
当時は琵琶湖や池原ダムが有名だったものの、
小学生の僕には遠い存在の話でしかなく、
東播に親戚や知り合いがいるので東条湖の方が現実的であった。
東条湖には間違いなくBBがいて必ず釣れる。
古くからBBが放流された湖のため個体数が多いと
信じて疑わなかったのだ。
確か誌面には70センチも夢ではないと書かれていたと思う。
たぶんやけど。
小5か小6だったと思う。
ひょんなことから親に東条湖へ連れて行ってもらえることになり、
確か初冬の午後だったと記憶する。
憧れのブラックバス釣り。人生初挑戦!だ。
東条湖の近くにあった釣具屋で父にワームを1パック買ってもらい、
それは5インチくらいのカーリーテールで、
エンジンオイルのような色をしたワームだった。
プラグ類も持っていたのだけど、
寒い時はワームがよろしいとの教えだったのだろう。
人生初挑戦はBBから魚信を得られることはなかったが、
コイ狙いをしていた父の竿が満月になった光景は鮮烈だ。
それから何年経ったか。
僕は淀川でほぼボーズがないほどBBを釣るようになっていた。
中学だったか高校だったかある年の夏休み、
父に頼んで朝一の東条湖へ連れて行ってもらった。
すぐ釣るからちょっと車で待っててな!と言い残し、
僕は水辺に降り立った。
いつもやるように得意のバスハンターを投げ、
いつものようにすぐに釣った。
あまり潜らせず、いわゆるシャロークランク?の使い方。
投げるピンポイントも決まっていた。
狙い目・狙い方の基本は今でも不変であり、
この頃に積み重ねた経験により考え方は確立されていた。
やっぱりな!憧れの東条湖も一緒やな~とわかったような感じで
得意満面になって父が待つ車のところへ戻った。
もうええんか?と訝しげな父に対し、
太陽が出てこれ以上やっても難しい状況やねん。
だからもう十分。さあ帰ろう!
と言うと父は笑った。
2019年08月13日
琵琶湖で一緒にバス釣りしよ!

思い出の水辺巡りシリーズ続行中。
中一の僕達は始発電車に乗って膳所(ぜぜ)にやってきた。
楽しむコツはできれば
当時と同じ季節・同じ時間帯に再訪。
ちょっと早起きしてカメラだけを持って琵琶湖までお散歩。
景色を小一時間眺めて帰宅。
シャワーしてそれからお仕事。あぁなんと爽やかな一日の始まり。
遠方の方は琵琶湖を聖地と崇め、
連休を利用して夜も明けきらぬうちから血眼で特定外来・・・・・・おっと、
ブラックバス釣りをしてらっしゃいます。ご苦労様でございます。
中学一年生の時だった。
少年つりトップに琵琶湖の各ポイントが紹介されており、
同級生と電車釣行を企てた。
いつもは淀川でタナゴ等のコイ科を餌釣りで楽しみ、
もちろんBBも狙っていたが、
『琵琶湖でバス釣り』という響きはやはり特別だった。
駅で始発の電車を待つ間、
僕は自慢のタックルボックスに腰かけていた。
そう、いちびってバケットマウス6000を持ってきていたのだ。
きっと前夜は興奮して眠れなかったのだろう、
ひたすら眠かったことが記憶に残っている。
最寄り駅は膳所本町駅。
どんな駅だったか記憶になかったので
ン十年振りに訪れたが無人駅なのかな?
クスッとしてしまうほど小ぢんまりした駅だった。
駅から琵琶湖に向かって真っすぐ進むと膳所城跡に出る。
ここで僕達は広がる水面に向かってルアーを投げた。
ルアーを投げた所ではない場所で水面が弾ける。
紛れもなくBBによる捕食だ。何度も何度も。
それらに翻弄されながら北に向かって歩き投げ続けたが、
最後まで魚信を得られることはなかった。
大人になった僕はベンチに腰掛け、
記憶の海に漕ぎ出していた。
地質と遠浅なのはこんな感じだったよなぁ。
ここら辺に立って、そう、こっち向きに投げたよなぁ・・・・・・。
ふいにズボンのポケットから着信音が聞こえた。
実家に帰省した兄弟からだった。
十数年振りの会話だ。
「いまどこ?」
「琵琶湖」
「釣り?」
「ただの散歩。すぐ戻るわ」

2019年08月11日
こんな方いますか?

思い出の水辺巡り
中一の夏。僕はT室池に
友達とその父上に連れてきてもらった。
『思い出の水辺巡り』
こんな遊びをしている方が周囲にいない・・・・・・。
例えば、初めて魚釣りをした水辺に行ってみる。
ルアー釣りを初体験したあの場所へもう一度。
夏休みを利用し電車に乗って訪れた憧れの湖に
大人の自分が立ってみる。
などなど、少年期に体験した水辺再訪。
記憶の海に漕ぎ出して、こんなこと、あんなこと、
少しずつ欠片を集めながら現地に立つと・・・・・・。
感慨に耽ったり、
こんなんやったかなーー?と笑ってみたりと、
これがなかなか楽しいのであります。
再訪時は当時と同じ季節、同じ時間を意識していますよ。
今回は初ブラックバスをまだ釣りあげておらず、
苦労していた頃の池に行ってきましたよ。
T室池。
景色はほぼ記憶の通り。しかもここへ辿り着く前のワインディングも
覚えていましたし、車内での会話も急に思い出されました。
友達の父上が「俺は鈴鹿サーキットを走ったことあるんやでー」と、
モータースポーツ好きでもあった僕はすげー!と言ったのでした。
懐かしい景色が広がり、現在は魚釣り禁止の看板が立っていました。
ここからワームを投げたんですねー。テキサスリグですよ。
ボディが黒でテールが赤の6インチくらいの長さだったかな。
これは民家を改造した小さな釣具屋にあった
瓶に入ったワームで、それを割り箸で挟んで買ったやつだったかも。
当時は手でワームを触ることを禁止されていましたからねえ。
ワームを一本買いした時代です。
ワームが切れたり裂けたりしたら、ライターの炎で炙って補修して
大切に使っていたんですよ。
余談がすぎる・・・・・・。
タックルはベイトタックルでリールはオリムピック。
バックラッシュせずに投げられるようになるまで
家の前で何度練習したことか。
案の定この日もバックラッシュして凍り付いたけれど・・・・・・。
朝一に明らかなる魚信があり、クラッチを切って5秒待てと教わったんやねえ。
でもフッキングに至らず。
友達の父上に「ワームを引っ張ったら歯形が確認できるよ」と
教わり、そうしてみると確かに歯形が!!
これには興奮しました。初ブラックバスとのコンタクト。
僕は三十年以上経過したその場所に立ち、
沢山のことを思い出して微笑んでしまいました。
そしてこの数時間後・・・・・・
次の池で僕は初ブラックバスを釣りあげるのでした☆
2019年05月04日
日吉ダムはかなり凄いよ



日吉(ひよし)ダムに行ってきたよー
ダムに対する愛がないので上手に撮れませんでしたが、
ダムをこよなく愛するダム・マニアならどう撮るのか気になります☆
そして本題の日吉ダムの凄さですが、
なななんと温泉あり岩盤浴あり温水プールあり、
キャンプ場なんて手ぶらキャンプができてしまう便利さ。
一番驚いたのが、手ぶら&後片付けなしBBQができるという・・・・・・。
そんなゆるいBBQなどダメだ!と言うなかれ。
あなたのBBQ愛はいかほどでしょうか。
ホームセンターの炭、スーパーの肉に野菜ですよねー。
本気のBBQマンは炭を作るところからスタートし、
食材の肉は牛を育てるところから。
野菜だって畑を耕し種を蒔いて収穫したものしか食べないんですよ。
しらんけど。
世の中には色々な事情を抱えた人達がいますからね。
幼い子供がいる、買物に行く時間がなかった、
体が不自由。ゆえに手間のかからないBBQがあれば救いになりますね。
これまで数々のダムに行きましたがこんな開放的なダムは初めてでしたよ。
※数々のダム=青野ダム・天ケ瀬ダム・高山ダム