2025年01月23日
イトウは心に宿る50
水辺の遊びが一転して水難事故は起こるものだと、
太い幹の倒木に両の手で掴まりながら改めて反省した。
体が落下する瞬間は冷静といえないながらも、
反射的に右手にあった倒木を掴むことで全身落下するのを回避した。
ウエストハイ・ウェーダーから沁みこむ水の冷たさが、
イワナ属も生息できるはずだと妙に納得させる。
この川は平均して膝上の水深のはずなのに、
流れが勢いよく倒木にぶつかること流れが巻き、
下流側の泥底が掘られて一メートルほどの深みが形成されていた。
それはこの先にある倒木の全てにおいてそうであった。
みるみるウェーダーに浸水してくる冷水が、この態勢からの早期脱却を促す。
チェストハイ・ウェーダーで落水していたら立てただろうかとか、
もっと水深があったらとか、急流だったらとか色々な想像が頭を巡り、
とはいえそれらはこれまでの釣り人生の中で全て経験済み。
「子供の頃から釣りに行ったら必ず濡れて帰ってくる」と祖母や母を
心配させるのが定番だったが、いやはや北海道に来ても濡れてしまうとは。
ここは助けを呼ぼうと叫んでみても、
森と流れの音で掻き消され誰も気づいてくれない湿原河川。
やはり手を差し伸べてくれる仲間との釣行が望ましいのだろうが、
それでも単独で北海道釣行に臨んだ自分の選択に後悔はない。
北海道にくるまで体作りと称してやっていた懸垂は当初十一回が限界だったが、
二年後の最高回数は二十七回を記録した。
SASUKEに出場するのも夢ではないかもと自惚れるザ・パワーで
陸に這い上がることは朝飯前だったが、
橋を叩いて渡る意識も同時に鍛えなかったから落水したのだろう。
ウェーダーをひっくり返して排水し、ずぶ濡れのポケットからスマホと、
背負っていたバッグの一眼レフカメラを確認すると、
どちらも水浸しになり電源が入らず使用不能になっていた。
これからの行動を記録できないことに項垂れてしまうが、
ロッドは無傷だったので魚釣りは続行できる。
再開にともない落水した地点を再確認してみると、
やはりそこはまるで地面だった。湿原河川の落とし穴。
教訓を胸に再び歩きだす。
川は小刻みに蛇行しながら延々と続きそこに人間による踏み跡はなく、
歩く道は植物群落の隙間を縫って時に水辺から大きく外れたり、
また川寄りに戻ったりを繰り返してキャストできる場所を探す。
川はこれまで経験したことのない小さなRが連続している。
それの最たるものは、右岸に立って左目で下流を見るのと同時に右目で上流を見る不思議な感覚。
左目で流れが去って行くのを見ながら右目で流れが向かってくるその足元の幅は、
両手をいっぱいに広げたくらいしかない。
ゆえにその先で流れはヘアピンのように曲がって戻ってくるので陸は行き止まりとなる。
同じ立ち位置でプラグをダウンストリームで流した次のキャストでアップストリームができる流れは
釣り人生において初めてのこと。
勢いのよい流れが地形にぶつかり僅かな水の変化ができていれば、
そこにプラグを泳がせると必ず魚信があった。
キャストさえできれば喰ってくる魚影の濃さに感心した。
プラグを喰った全てがアメマスであり、
それらはこれまで出会ったニッコウイワナの全長を軽く超える大物揃い。
一尾だけ飛びぬけた全長のアメマスと出会い狂喜乱舞だったが、
撮影すること叶わず水に帰し、その姿は記憶の写真として残すのみ。
高低差がない町中を流れる泥底の川にイワナ属が泳ぐのは
植物群落と年中低水温を保つ流れのおかげだろうか。
さらに釣人に目を付けられないことで生息数も減らず、
それすなわち養殖魚が放流されないことで遺伝子汚染されない、
完全な天然魚として累々と子孫を残すイワナ達。
近畿圏の身近にある川で例えるなら、
人の手が加えられずとも簡単にいくらでも釣れてくれるウグイと似ていた。
これまで訪れたどの川よりも健全な状態の川が北海道にはあり、
それを感じられる魚釣りができたことを嬉しく思った。
濡れて泥塗れのみすぼらしい姿で宿に戻り、
スマホとカメラの乾燥を急ぐ。それらの復旧には七時間を要した。
温泉に入るついでに衣類を有料の全自動洗濯機に放り込んだが、
仕上がりの悪さに首を傾げた。
横の壁に小さな貼紙があり、洗剤は宿の受付けで販売していると書かれていた。
そのことを口をとがらせ概ちゃんに言うと、めっちゃ笑った。
太い幹の倒木に両の手で掴まりながら改めて反省した。
体が落下する瞬間は冷静といえないながらも、
反射的に右手にあった倒木を掴むことで全身落下するのを回避した。
ウエストハイ・ウェーダーから沁みこむ水の冷たさが、
イワナ属も生息できるはずだと妙に納得させる。
この川は平均して膝上の水深のはずなのに、
流れが勢いよく倒木にぶつかること流れが巻き、
下流側の泥底が掘られて一メートルほどの深みが形成されていた。
それはこの先にある倒木の全てにおいてそうであった。
みるみるウェーダーに浸水してくる冷水が、この態勢からの早期脱却を促す。
チェストハイ・ウェーダーで落水していたら立てただろうかとか、
もっと水深があったらとか、急流だったらとか色々な想像が頭を巡り、
とはいえそれらはこれまでの釣り人生の中で全て経験済み。
「子供の頃から釣りに行ったら必ず濡れて帰ってくる」と祖母や母を
心配させるのが定番だったが、いやはや北海道に来ても濡れてしまうとは。
ここは助けを呼ぼうと叫んでみても、
森と流れの音で掻き消され誰も気づいてくれない湿原河川。
やはり手を差し伸べてくれる仲間との釣行が望ましいのだろうが、
それでも単独で北海道釣行に臨んだ自分の選択に後悔はない。
北海道にくるまで体作りと称してやっていた懸垂は当初十一回が限界だったが、
二年後の最高回数は二十七回を記録した。
SASUKEに出場するのも夢ではないかもと自惚れるザ・パワーで
陸に這い上がることは朝飯前だったが、
橋を叩いて渡る意識も同時に鍛えなかったから落水したのだろう。
ウェーダーをひっくり返して排水し、ずぶ濡れのポケットからスマホと、
背負っていたバッグの一眼レフカメラを確認すると、
どちらも水浸しになり電源が入らず使用不能になっていた。
これからの行動を記録できないことに項垂れてしまうが、
ロッドは無傷だったので魚釣りは続行できる。
再開にともない落水した地点を再確認してみると、
やはりそこはまるで地面だった。湿原河川の落とし穴。
教訓を胸に再び歩きだす。
川は小刻みに蛇行しながら延々と続きそこに人間による踏み跡はなく、
歩く道は植物群落の隙間を縫って時に水辺から大きく外れたり、
また川寄りに戻ったりを繰り返してキャストできる場所を探す。
川はこれまで経験したことのない小さなRが連続している。
それの最たるものは、右岸に立って左目で下流を見るのと同時に右目で上流を見る不思議な感覚。
左目で流れが去って行くのを見ながら右目で流れが向かってくるその足元の幅は、
両手をいっぱいに広げたくらいしかない。
ゆえにその先で流れはヘアピンのように曲がって戻ってくるので陸は行き止まりとなる。
同じ立ち位置でプラグをダウンストリームで流した次のキャストでアップストリームができる流れは
釣り人生において初めてのこと。
勢いのよい流れが地形にぶつかり僅かな水の変化ができていれば、
そこにプラグを泳がせると必ず魚信があった。
キャストさえできれば喰ってくる魚影の濃さに感心した。
プラグを喰った全てがアメマスであり、
それらはこれまで出会ったニッコウイワナの全長を軽く超える大物揃い。
一尾だけ飛びぬけた全長のアメマスと出会い狂喜乱舞だったが、
撮影すること叶わず水に帰し、その姿は記憶の写真として残すのみ。
高低差がない町中を流れる泥底の川にイワナ属が泳ぐのは
植物群落と年中低水温を保つ流れのおかげだろうか。
さらに釣人に目を付けられないことで生息数も減らず、
それすなわち養殖魚が放流されないことで遺伝子汚染されない、
完全な天然魚として累々と子孫を残すイワナ達。
近畿圏の身近にある川で例えるなら、
人の手が加えられずとも簡単にいくらでも釣れてくれるウグイと似ていた。
これまで訪れたどの川よりも健全な状態の川が北海道にはあり、
それを感じられる魚釣りができたことを嬉しく思った。
濡れて泥塗れのみすぼらしい姿で宿に戻り、
スマホとカメラの乾燥を急ぐ。それらの復旧には七時間を要した。
温泉に入るついでに衣類を有料の全自動洗濯機に放り込んだが、
仕上がりの悪さに首を傾げた。
横の壁に小さな貼紙があり、洗剤は宿の受付けで販売していると書かれていた。
そのことを口をとがらせ概ちゃんに言うと、めっちゃ笑った。
Posted by Миру Україні at 07:07
│イトウ