2016年05月01日
罪なき出来事
カムルチーのつがいを確認した場所で
小学六年生くらいの三人が釣りをしていた。
嫌な予感がした。
それとなく訊いてみるとやはり、であった。
ライギョ狙いであると。バスが釣れないからライギョで練習していると。
そして異口同音に「さっきライギョが釣れた!」と。
でもどうやって取り込んだのか疑問に思ったが、
帰ってきた答えも想像通りであった。
「口を開けへんからプライヤーで顔を叩きまくった!」と笑っている。
「そしたら糸が切れて逃げよった」と。
もう一尾は喰わせて寄せているときに切れたらしい。
僕は穏やかに説明した。
魚の口にルアーが残ったままだと死んでしまうかもしれない。
せっかく大物にルアーを喰わせたなら、
ちゃんと釣りあげて自慢できる写真を撮りたいよね、と。
そうするには太いラインが必要だと。
ライギョは数が少ないから殺してしまうと
ライギョの写真が撮れなくなるねん、と。
僕のお願いを小学生達は真剣に聞いてくれた。
お返しにブラックバスが釣れる所と釣り方を教えてあげると喜び、
一緒に行こうと勝手に盛り上がりだして困ってしまった。
もしかすると不躾に怒る者がいるかもしれない。
見知らぬ釣人に「そんな弱いタックルでライギョ釣るな」
実際にあれば頭がいかれている。誰が素直に聞き入れるだろう。
敵を生むだけで、その怒りの矛先はライギョに向けられるに違いない。
無知な人へ当然のようにローカルルールを押し付けるのは間違いだし、
特に子供はずっと心の傷を引きずることになる。
テクニックや釣果報告に終始する情報などどうでもよくて、
もっと大事なことがある。
画像の二尾はもう居なくなってしまった。
こんなことになるのなら、
これまでやってきたように早くから釣りを始めて
スレさせておけば良かったのか。いまだに答えが見つからない。
2016年04月30日
シングルカム
外部からの情報を遮断し、単独で魚の生態や習性を考え
広大な水域から一尾に辿り着く。
そしてシャッターを押した瞬間やったと思う。
「なにが居るんですか?」
撮影している時に通行人から声が掛かる。
ライギョですと答えず、
どんな生き物が居るかを探していますと答える。
釣りの時に「なにを釣っていますか?」の問いには、
どんな魚が釣れるかを確認していますと答える。
「なにが釣れるかわからないのに釣りをしているのか」と笑われることもある。
でもそれでいい。
ライギョと答えてしまえばリスクが大きい。
「A池にはライギョがいる」
「B川でライギョが釣れる」
おしゃべりな人は、
また次に会った人に情報を簡単に流してしまう。
ブログやSNSをやっている人間だとさらに恐ろしく、
ご丁寧にピンポイントを開示する。
その情報を釣人どころか、魚を捕って売る人間や駆除する人間に
与えてしまうことになる。
ましてや特定外来魚だと勘違いする人間や、
池のギャングだの沼の妖怪だのと幼稚な例えをし、
それを真に受けてライギョ殺しを楽しむ人間がいるというのに。
ついでに・・・・・・釣人は見栄っ張りで、
「釣れましたか?」の問いに対し、
「○○センチを釣った!」とか「何尾釣った!」と言う。
正直に答えるのが礼儀かもしれない。
ほとんどはその場の優越感に浸りたいがための自慢だろうけど。
魚族のためを思えば僕は、もひとつですね、なんて答えてしまう。
2016年04月29日
ツインカム
一組になっている状態の魚を釣欲のままに釣る。
一組になっている状態の魚だから釣るのをやめておく。
後者であれと子供に教える。
一組になっている魚に手を出すと産卵(育児)を放棄するかもしれない。
だからこんな時くらい見守ってやるものだと。狙うのは恥だと。
※野鳥の世界ではかなり厳しい。ビギナーに教える、
またはあらためて注意喚起するように、
野鳥関連の雑誌では産卵から巣立ちまでのタブーについて常々語られている。
これに対し魚釣りの世界は釣ってなんぼの結果が全て。
ペア・産卵床・子守り中だって関係なしのなんでもあり。
これが魚釣りの普通の世界。
※カムルチーは特定外来生物ではない。
我が国の生態系等に被害を及ぼすおそれがないと判断されている。
荒俣宏著の世界大博物図鑑2魚類には文化1年(1804)に渡来したとあり、
これは明治元年(1868年)以前のことである。