2023年01月10日
イトウは心に宿る1
イトウを釣る。そう決心したある日の晩。
北海道行き航空券の予約が完了した瞬間から、
遠い日の記憶が溢れ出した。
イトウの存在を知ったのは1980年代初頭。
釣り少年が手にした一冊の書籍から始まる、
意中の魚に出会うまでの遠い道のり。
僕は幼少の頃に里川で魚釣りを覚えた。
魚釣りを教えてくれたのは、
僕がこの世に生を受けようとしていたまさにそのとき、
母の兄と日本海で夜釣りをしていた父であった。
在りし日の里川は水量が豊富で水質も良く、
瀬と淵が連続する健全な姿を保っていた。
魚釣りの餌は土を掘って捕まえたミミズ、もしくは飛び回るトンボで、
冷蔵庫にあるちくわも効果的だった。
それらを喰ってくれるのは主にタカハヤで、
次いでオイカワにカワムツ。
その中でも尺を超える大きなウグイは強い引きで竿をしならせ、
大きな魚体は釣り少年を驚かせた。
自分の記憶に残っていないほど幼少のから親と魚釣りをしていたようだけど、
自我が芽生えて魚を釣ったと言える人生初魚は小学一年の時。
延べ竿で里川に糸を垂らしていたが全然釣れない時に、
「川の流れに合わせて餌が流れるよう竿を動して」と助言してくれたのが父。
立っていたのは右岸で、竿を左から右へ流れと同調させると、
直後に大きな魚信が。思い切って竿を持ち上げると、
銀色の大きくて重い魚体が水面から飛び出し宙に浮いた。
その時の興奮と驚き、そして感動が、魚釣りが好きになった出発点であり、
今なお輝き続ける。
流速を増して魚釣りに興味を惹かれ、
独りでも魚釣りをするようになった。
父の道具箱に入っていたハリス付きの伊勢尼や海津針を拝借し、
ガン玉を付けただけの簡素な仕掛けの脈釣りで、
竿などという高級品はなく竹竿。魚信は穂先で捉えた。
後に針のパッケージの裏か、
釣具屋で小物を入れてもらう青い文字の紙袋の裏に描かれた
イラストを見て、糸と針の結び方
いわゆる外掛け結びや内掛け結びを覚えた。
魚釣りを始めたばかりでまだまだ知識が乏しい僕にも
清流魚達は仕掛けに飛びついてくれ、
自然の中で遊ぶ楽しさを教えてくれた。
こうして無自覚のうちに自然への知的挑戦が始まった。
自然への知的挑戦となれば、
次第に予測や分析が始まり水辺で答え合わせをするようになる。
まあなんと勉強熱心なことか。
知識を得るため、とそんな大層に難しいことではないけれど、
興味の追求は魚釣りの本に及ぶのは自然の成り行き。
1980年頃は、親類宅に置いてあった週刊釣りサンデー・関西のつり・
釣の友、などなどの釣り雑誌を眺めていたはずだが、
小学校低学年の釣り少年が魚釣りのいろはを知るには専門的すぎる内容。
幼いながらも近所に馴染みの本屋があった。
そこで出会った書籍が小学館入門百科シリーズ『川づり入門』
『海づり入門』『ルアーづり入門』。
購入した順番は覚えていないけれど釣り少年の教科書的存在で、
いずれも表紙イラストは世紀のハンサムボーイ矢口高雄氏。
ルアーづり入門の著者はテツ西山こと西山徹氏。
日本のルアーフィッシング黎明期を牽引された方々だ。
ルアーフィッシングの夜明けを先生方と過ごしていないけれど、
魚釣りを教えてくれた餌釣り一辺倒の大人達とは違い、
ナウい僕はルアーフィッシングに惹かれた。
ルアーづり入門を開くと巻頭を飾る釣果写真の数々に目を輝かせ、
その中に銀世界のイトウ釣りの情景がチラリと覗く。
もちろんこの時はイトウという名前の魚など知らず、
イトウさんだのスズキさん(クラスメイトの女の子)だの
冗談みたいな名前だなと感じていた。

しかしこれがイトウと運命の初接触。
次のページを開けば煌びやかなルアー群がカラーで紹介され、
カタカナの名前を暗記できたほど夢中になった。
さらにページを進んでいくと各釣魚の狙い方と実写を交えた
漫画が描かれ、それは釣り少年に馴染みやすい教え方。
紹介されている順番はブラックバスに始まり
ニジマスにライギョときて・・・・・・
『まぼろしの魚イトウつりに挑戦』とある。
そこにイトウの概要が書かれており、
北海道だけに生息・しかも生息数が少なくなってきている・
最大で1メートル(!?)にもなると記述。
1メートルという魚類概念を超越した強烈な数字に、
魚の体重や、大きな尾鰭をたった一回動かした時に起こる推進力なんて
想像が追いつくはずもない。
この本に紹介されている全ての魚をルアーで釣ってみたい!
と目論む釣り少年。
イトウへの憧れの火種を着けたのは間違いなくこの記事だ。
ルアーづり入門からほどなくイトウ釣りを主題にした漫画も
目にすることになる。
最初は叔父が買っていた週刊少年マガジンや少年サンデーに連載されていた
釣り漫画だった。
後に単行本にもなった釣り漫画を馴染みの本屋で購入。
矢口高雄氏の『釣りキチ三平』はイトウ釣り編イトウの原野。
三平三平くんと風来坊釣り師谷地坊主のコンビが釣り上げる
巨大イトウの物語は、僕だけでなく全国の読者も夢を見ただろう。
もちろんフィクションなのだけど、
この物語の中に潜む事実をこの時は知る由もなかった。
それこそ約四十年の時を経て気づいたのだけど、
谷地坊主が先生と崇めるイトウ釣りの先生であり、
画家の先生といえば鳴鶴先生である。
そうこの鳴鶴先生のモデルとなったのは、
北海道に実在するイトウ釣りを愛する画伯のようだ。
しかも、だ。
彼の開高健にキャスティングを教え、
大開高がお師匠さんと呼ぶ人物である。
そうとなれば開高健が執筆したエッセイにお師匠さんが登場しないはずもなく、
開高健の主たる釣り書籍はだいたい読んでいるはずなのに、
お師匠さんの存在に僕は気付いていなかった。
それもこれもこのような事実関係を知るきっかけとなったのは
「文豪たちの釣旅 大岡玲著」である。
まだ読まれていない読者は必読されたし。
っとこうなれば僕にとって大きな事件も書き記さねばならない。
大岡玲氏からブログにコメントを二度頂いたことがあるのだ。
作家であり釣人の大岡玲氏の著書が好きで、
著者名を確認せずに何気なく読んだ雑誌の文章を、
氏が執筆したものだと当てたことが何度かあるほどだ。
ある時、大岡玲氏の書籍をブログで紹介したところ、
氏の生徒さんがブログを読んでくださったらしく、
そのことを聞いた大岡玲氏ご本人からコメントを頂戴したのだ。
ご本人のものである証拠に一度目は、
地上波で未放送の釣り旅番組の放映日時を教えてくさだり、
二度目は放映後に秘密の裏話なども聞かせていただいた。
このコンタクトは僕の一生の宝物。
もうひとつイトウ釣りが登場する釣り漫画といえば、
原作やまさき十三氏、作画はしもとみつを氏『おれはナマズ者』の
第一回全日本ルアーフィッシングダービー決勝戦イトウ釣り対決。
イトウの魅力をふんだんに詰め込んだ題材であり、
フィクションとはいえ舞台は実在する湿原河川。
だがしかしおれはナマズ者に造詣が深い読者はご存知の通り、
ルアーダービーより前にイトウ釣行に触れている回がある。
大助くん率いる釣り研こと釣り研究会である日、
放課後に釣り研ミーティングが開かれたのだが、
そこで仲間達と釣り研夏期強化合宿のプランを出し合った時に
大助くんが発表したプランが、
「JALでいこう!北海道のイトウはでっかいド~~~~ッ」
無謀なプランだったため却下されたが、
愛読していた釣り少年の心にあったイトウの火種はさらに温度が上昇。
ほわっ!
いかん。釣り研合宿の聖地巡礼をしたくなってきた。
僕と同じく魚釣りの教科書を読んだ、
全国に散らばる名前も顔も知らない同級生達の中にも、
大志を抱いた者がいたはずだ。夢は現実になっただろうか。
教科書を執筆された先生方は、
生徒達の煌びやかな未来を想像してくれていただろうか。
僕は倒れて後已む、イトウを釣る。
読ませて笑える釣り書籍。
大岡玲氏もイトウ釣りに挑戦されている。
イトウ釣行記ではイトウ生息地が紹介されているが、
今となっては貴重な資料。
イトウは心に宿る2
北海道行き航空券の予約が完了した瞬間から、
遠い日の記憶が溢れ出した。
イトウの存在を知ったのは1980年代初頭。
釣り少年が手にした一冊の書籍から始まる、
意中の魚に出会うまでの遠い道のり。
僕は幼少の頃に里川で魚釣りを覚えた。
魚釣りを教えてくれたのは、
僕がこの世に生を受けようとしていたまさにそのとき、
母の兄と日本海で夜釣りをしていた父であった。
在りし日の里川は水量が豊富で水質も良く、
瀬と淵が連続する健全な姿を保っていた。
魚釣りの餌は土を掘って捕まえたミミズ、もしくは飛び回るトンボで、
冷蔵庫にあるちくわも効果的だった。
それらを喰ってくれるのは主にタカハヤで、
次いでオイカワにカワムツ。
その中でも尺を超える大きなウグイは強い引きで竿をしならせ、
大きな魚体は釣り少年を驚かせた。
自分の記憶に残っていないほど幼少のから親と魚釣りをしていたようだけど、
自我が芽生えて魚を釣ったと言える人生初魚は小学一年の時。
延べ竿で里川に糸を垂らしていたが全然釣れない時に、
「川の流れに合わせて餌が流れるよう竿を動して」と助言してくれたのが父。
立っていたのは右岸で、竿を左から右へ流れと同調させると、
直後に大きな魚信が。思い切って竿を持ち上げると、
銀色の大きくて重い魚体が水面から飛び出し宙に浮いた。
その時の興奮と驚き、そして感動が、魚釣りが好きになった出発点であり、
今なお輝き続ける。
流速を増して魚釣りに興味を惹かれ、
独りでも魚釣りをするようになった。
父の道具箱に入っていたハリス付きの伊勢尼や海津針を拝借し、
ガン玉を付けただけの簡素な仕掛けの脈釣りで、
竿などという高級品はなく竹竿。魚信は穂先で捉えた。
後に針のパッケージの裏か、
釣具屋で小物を入れてもらう青い文字の紙袋の裏に描かれた
イラストを見て、糸と針の結び方
いわゆる外掛け結びや内掛け結びを覚えた。
魚釣りを始めたばかりでまだまだ知識が乏しい僕にも
清流魚達は仕掛けに飛びついてくれ、
自然の中で遊ぶ楽しさを教えてくれた。
こうして無自覚のうちに自然への知的挑戦が始まった。
自然への知的挑戦となれば、
次第に予測や分析が始まり水辺で答え合わせをするようになる。
まあなんと勉強熱心なことか。
知識を得るため、とそんな大層に難しいことではないけれど、
興味の追求は魚釣りの本に及ぶのは自然の成り行き。
1980年頃は、親類宅に置いてあった週刊釣りサンデー・関西のつり・
釣の友、などなどの釣り雑誌を眺めていたはずだが、
小学校低学年の釣り少年が魚釣りのいろはを知るには専門的すぎる内容。
幼いながらも近所に馴染みの本屋があった。
そこで出会った書籍が小学館入門百科シリーズ『川づり入門』
『海づり入門』『ルアーづり入門』。
購入した順番は覚えていないけれど釣り少年の教科書的存在で、
いずれも表紙イラストは世紀のハンサムボーイ矢口高雄氏。
ルアーづり入門の著者はテツ西山こと西山徹氏。
日本のルアーフィッシング黎明期を牽引された方々だ。
ルアーフィッシングの夜明けを先生方と過ごしていないけれど、
魚釣りを教えてくれた餌釣り一辺倒の大人達とは違い、
ナウい僕はルアーフィッシングに惹かれた。
ルアーづり入門を開くと巻頭を飾る釣果写真の数々に目を輝かせ、
その中に銀世界のイトウ釣りの情景がチラリと覗く。
もちろんこの時はイトウという名前の魚など知らず、
イトウさんだのスズキさん(クラスメイトの女の子)だの
冗談みたいな名前だなと感じていた。
しかしこれがイトウと運命の初接触。
次のページを開けば煌びやかなルアー群がカラーで紹介され、
カタカナの名前を暗記できたほど夢中になった。
さらにページを進んでいくと各釣魚の狙い方と実写を交えた
漫画が描かれ、それは釣り少年に馴染みやすい教え方。
紹介されている順番はブラックバスに始まり
ニジマスにライギョときて・・・・・・
『まぼろしの魚イトウつりに挑戦』とある。
そこにイトウの概要が書かれており、
北海道だけに生息・しかも生息数が少なくなってきている・
最大で1メートル(!?)にもなると記述。
1メートルという魚類概念を超越した強烈な数字に、
魚の体重や、大きな尾鰭をたった一回動かした時に起こる推進力なんて
想像が追いつくはずもない。
この本に紹介されている全ての魚をルアーで釣ってみたい!
と目論む釣り少年。
イトウへの憧れの火種を着けたのは間違いなくこの記事だ。
ルアーづり入門からほどなくイトウ釣りを主題にした漫画も
目にすることになる。
最初は叔父が買っていた週刊少年マガジンや少年サンデーに連載されていた
釣り漫画だった。
後に単行本にもなった釣り漫画を馴染みの本屋で購入。
矢口高雄氏の『釣りキチ三平』はイトウ釣り編イトウの原野。
三平三平くんと風来坊釣り師谷地坊主のコンビが釣り上げる
巨大イトウの物語は、僕だけでなく全国の読者も夢を見ただろう。
もちろんフィクションなのだけど、
この物語の中に潜む事実をこの時は知る由もなかった。
それこそ約四十年の時を経て気づいたのだけど、
谷地坊主が先生と崇めるイトウ釣りの先生であり、
画家の先生といえば鳴鶴先生である。
そうこの鳴鶴先生のモデルとなったのは、
北海道に実在するイトウ釣りを愛する画伯のようだ。
しかも、だ。
彼の開高健にキャスティングを教え、
大開高がお師匠さんと呼ぶ人物である。
そうとなれば開高健が執筆したエッセイにお師匠さんが登場しないはずもなく、
開高健の主たる釣り書籍はだいたい読んでいるはずなのに、
お師匠さんの存在に僕は気付いていなかった。
それもこれもこのような事実関係を知るきっかけとなったのは
「文豪たちの釣旅 大岡玲著」である。
まだ読まれていない読者は必読されたし。
っとこうなれば僕にとって大きな事件も書き記さねばならない。
大岡玲氏からブログにコメントを二度頂いたことがあるのだ。
作家であり釣人の大岡玲氏の著書が好きで、
著者名を確認せずに何気なく読んだ雑誌の文章を、
氏が執筆したものだと当てたことが何度かあるほどだ。
ある時、大岡玲氏の書籍をブログで紹介したところ、
氏の生徒さんがブログを読んでくださったらしく、
そのことを聞いた大岡玲氏ご本人からコメントを頂戴したのだ。
ご本人のものである証拠に一度目は、
地上波で未放送の釣り旅番組の放映日時を教えてくさだり、
二度目は放映後に秘密の裏話なども聞かせていただいた。
このコンタクトは僕の一生の宝物。
もうひとつイトウ釣りが登場する釣り漫画といえば、
原作やまさき十三氏、作画はしもとみつを氏『おれはナマズ者』の
第一回全日本ルアーフィッシングダービー決勝戦イトウ釣り対決。
イトウの魅力をふんだんに詰め込んだ題材であり、
フィクションとはいえ舞台は実在する湿原河川。
だがしかしおれはナマズ者に造詣が深い読者はご存知の通り、
ルアーダービーより前にイトウ釣行に触れている回がある。
大助くん率いる釣り研こと釣り研究会である日、
放課後に釣り研ミーティングが開かれたのだが、
そこで仲間達と釣り研夏期強化合宿のプランを出し合った時に
大助くんが発表したプランが、
「JALでいこう!北海道のイトウはでっかいド~~~~ッ」
無謀なプランだったため却下されたが、
愛読していた釣り少年の心にあったイトウの火種はさらに温度が上昇。
ほわっ!
いかん。釣り研合宿の聖地巡礼をしたくなってきた。
僕と同じく魚釣りの教科書を読んだ、
全国に散らばる名前も顔も知らない同級生達の中にも、
大志を抱いた者がいたはずだ。夢は現実になっただろうか。
教科書を執筆された先生方は、
生徒達の煌びやかな未来を想像してくれていただろうか。
僕は倒れて後已む、イトウを釣る。
読ませて笑える釣り書籍。
大岡玲氏もイトウ釣りに挑戦されている。
イトウ釣行記ではイトウ生息地が紹介されているが、
今となっては貴重な資料。
イトウは心に宿る2
2023年01月08日
新春開運縁起物画像
ツル目ツル科ツル属 タンチョウ
鶴は縁起物であり、特別天然記念物。
保護区ではなくても、あちこちで見ることができましたよ。
バカデカいコウノトリより、さらにデカかったような・・・・・・。
しかもコウノトリ成鳥は鳴かないのに、
タンチョウの声のバカデカいこと。
刺身の上につま菊を乗せる仕事も、
しめ飾りのみかんを付ける仕事も無くなり、
明日のお米に困っているというのに、
サラリーマンの皆様は正月休みが終わってまた三連休ですか。
大発会は残念でしたが、それでも余裕の暮らしなんですね。
はぁ馬やらしい。
しかしまあ露はまだ侵略を止めないのですか。
極寒の地で兵士が命を危険に晒している間に、
指揮している連中は酒を飲み、異性と子作りごっこですよ。
兵士が前線で塹壕に身を隠している時に、
キッチンで仁王立ちになり異性にお掃除してもらってるんですよ。
兵士の腕が吹き飛び泣き叫んでいる時に、
寝室でお医者さんごっこしてるんですよ。
暖房のある部屋に寝転がってスマホを触るのが
人類共通の幸せだというのに、まったくおつむが弱い連中ですよ。
懐かしの総合格闘家イゴール・ボブチャンチンといえばウクライナの選手。
現役時代も応援していました。ウクライナの平和を望みます。
2023年01月01日
こちら開運画像でございます

年始めはハイタカ(上)とオオタカ(下)のダブル・タカ画像で
読者の皆様へ縁起物を捧げます。
そこらの宗教のウソ臭い、いや、胡散臭い、ではなく、いかさまグッズよりよっぽどご利益がありますよ☆
生きていれば絶対に楽しいことや良いことがありますので、
共に粘り強く歩を進めましょう。
イトウ釣行記は近日中に更新開始予定。
渾身の記事なのでめちゃくちゃ長いですが、
ご一読頂ければ幸いでございます。
Posted by Миру Україні at
07:07