2023年01月12日
イトウは心に宿る2
初めてルアーフィッシングに挑戦したのは十歳の時。
釣具は叔父から貰ったシングルハンドのスピニングロッドとリール。
ルアーはお小遣いで買える範囲だったスプーンとスピナーを
家の向かいにあった釣具屋で買った。
え!家の向かいに釣具屋!?
そう、なんと恵まれた環境下に育ったのでしょう。
いつから店があったか親に確認すると、
少なくとも僕が小学校に上がる前からなので
1970年代になるだろうか。
決して小さな店舗ではなかったが現在で言う圧縮陳列。
多岐に及ぶ品揃えが罪な総合釣具店は、
釣り少年の心を掴んで離さず、若い店主も親切で優しかった。
という情報だけ得られれば良かったのに、
年寄りにこんな話題を振ってしまったものだから話はエンドレス。
この時には『おはようパーソナリティ中村鋭一です』を聞いていたとか、
それって道上洋三さんの前の『おはパソ』やんと返せば、
僕の名前の起源は1960年代のABCアナウンサーからきているだとか、
ようやく今年はABCラジオ祭り(万博)が開催できたことに触れれば、
当時は日本万国博覧会の近くに住んでいたことにまで話が及び、
究極は、現在そこには立派なお宅が立ち、
表札には我一族と同じ苗字が刻まれているのを知ってのけ反った。
ミラクルでオチをつけて閑話休題。
ルアーづり入門で得た知識で釣具を揃え、
スピニングタックルのキャスティングは春耕を待ち侘びる冬田で練習していたので、
既に投げられるようになっていた。
実釣を待ち焦がれるが、
水辺に立たずとも釣りは家に居るときから始まっていた。
夏休みに親の里にある、
本流の支流の支流になる小規模渓流がルアー釣りの初舞台となる。
その場所は家から裸足で歩いて一分というこれまた恵まれた環境。
ここには野生化したニジマスが泳ぐ。
本来はヤマメ生息域だが、経緯は過去に村の人が放流したらしく、
年上の従兄弟が餌で釣ったことでそれを知った。
僕は川幅約三メートルの水深は膝下程度の浅瀬の真ん中に入り、
上流を向いて構えた。
ルアーづり入門に書かれていたのは、
スピナーを上流に向けて投げ、下流に引いてくること。
狭い川幅だけに攻略方法に選択肢はなく、
わかりやすい図解で示されていた通りに真似た。
上流の小さな落ち込みにできた白泡にブレットンを投げて
巻き始めるといきなり手応え。
一発目のジャンプであえなくフックアウトしたが、
残念な気持ちより本当にルアーに喰ってきた事実に衝撃を覚えた。
こういった小場所では一投目から喰ってくるのは
後々知ることになるのだけど、この時ばかりは興奮の坩堝。
次にひとつ上にある幅一メートルの縦長になった小さな淵に
ブレットンを投げるとまたもや手応え。
ルアー釣り初挑戦にしてニジマスがヒットした。
ニジマスが水面を蹴りたて飛び上がった光景は、
今なお頭の中で鮮やかな映像として再生され、景色が煌めいている。
小さな淵の脇では川鼠が水辺を行ったり来たりしていたのも覚えている。
独りで味わったその時の躍動感、緊張感、興奮、
徐々に大きな感動に包まれ、増上慢と共に余情に浸り、
ますます魚釣りの虜になる。
このことを発端に益々自然への知的挑戦は加速する。
ルアー釣りを覚えたなら次なる標的はカムルチー。
家の裏の池や周辺の池に生息していたことで、
身近なターゲットとして挑戦するものの、
これがなかなか思うようにいかず、
ビギナーズラックは叶わない。
魚釣りは思うようにならないことも知った。
こうして忍耐力が養われたかどうかわからないけれど、
水に糸を垂れていればそのうち釣れる
などという呑気なものでなく、
さらなる興味の追及は傾向と対策に及んだ。
魚釣りは釣れれば行きたくなり、
釣れなければ釣ってやろうとまた行ってしまう。
全てが楽しく思えた時代。
青年期は餌釣り・ルアーフィッシングを継続し、
さらに16歳でフライフィッシグを始めた。
相変わらず身近な魚を釣ることが好きで、
もっとも身近な淡水魚釣りといえば家の裏にあった池でのカムルチー釣り。
次いで池や川でギンブナやモツゴ釣り。
親の里では夜明け前から投げ釣りでシロギスを、
暑い日中は山で川魚を、
そして日没前は防波堤でアジのサビキ釣り。
天真爛漫に少しずつ魚釣りの経験値を積み重ねた。
夜になれば釣り番組。
ブラウン管から得られる刺激は多大なる影響を及ぼす。
ザ・フィッシングに、とびだせ!つり仲間、
のちにビッグフィッシグ。
いやいや、もっと幼い頃から見ていたのは、
日曜早朝の釣りごろつられごろ。
お色気番組11PMの服部名人のイレブンフィッシングは
お家事情により観る機会がほぼなかった。
1980年代は特番で海外釣行が特集されることも少なくなかった。
記憶を手繰り寄せると、
定番のブルーマーリンなどのカジキ釣り。
ロウニンアジにカスミアジ、イソマグロ。
コスタリカのターポンは超刺激的。
カナダの釣行ではキングサーモンに、
マニアックなところではカットスロートにウォールアイ、
美しい姿に惹かれたドリーバーデンその他諸々。
釣り青年には手の届かない広大な世界に夢を抱かせ、
早く大人になって色々な場所の魚に出会いたいと切望した。
特にザ・フィッシングの西山徹氏のスタイルに影響を受けた。
世界を股にかけ、ルアーフィッシングに
フライフィッシングもそつなくこなす名手。
バイスに挟んでフライを巻いたり、長いラインを優雅に操るその姿は
全てが高次元で、ちょいと魚釣りをかじっている程度の素人が
手を出すには随分とハードルが高いと思われた。
だがしかし僕がフライフィッシングを始めるに、
心強い味方が近くにいた。
釣り好き同級生の父上がフライフィッシャーだったのだ。
その昔、北田原のマス釣場でフライフィッシングしている光景が
珍しかったのか、
関西の釣り雑誌・釣の友にてカラーで紹介されるほど、
古くからのフライフィッシャー。
なんたる釣り縁。なんと恵まれた環境。もう教わるしかない。
まだこの時はフライフィッシングの本質など知る由もなく、
古くはイギリスの貴族も愛好した歴史ある釣りだとか、
格好良くてよく釣れるという不純な想念により足を踏み入れたが、
後に魚釣りの礎となる重要なことを沢山学ぶことになる。
フライでイワナ・ヤマメ・アマゴなどを釣るには、
魚達が生息する環境を知り、狙う魚の食性を知るところから始まる。
この観察がフライフィッシングの四大要素の一つ目ウォッチング。
どのような釣りでも観察が重要なのは言うに及ばずだが、
横道逸れず話を進めていく。
被食者は主に水生昆虫や陸生昆虫を想定し、
水生昆虫は幼虫~成虫まで成長段階に応じて形が変化するので、
それを模したパターン(フライ)を作る。
これが二つ目のタイイング。日本語で毛鉤を巻くとも言う。
タイイングは伝統的なパターンから、
オリジナルまでその種類は枚挙に遑がない。
なぜそんなに多くのパターンが必要になるのかと言えば、
困ったことに渓魚が偏食家に変身することがあるからに他ならない。
季節や時間などにより捕食される水生昆虫の種類が違い、
例えばカゲロウの幼虫と成虫の間に亜成虫という形があり、
それを選り好みして捕食する状況がある。
パターンを外したフライがアマゴの鼻先を通過しようが完全無視。
とはいえ絶対に釣れないことはないのだけど、
釣れればなんでもいいのではなく、
自分の観察眼と実際の捕食物との答え合わせに喜びを見出すことで、
さらなる喜びの増幅が期待できる。
次に覚えるのが一筋縄ではいかない、三つ目の要素キャスティング。
初体験ですぐに投げられるスピニングタックルや、
少しの練習で投げられるベイトタックルとは大きく違う。
長いフライラインを操る姿が優雅に映ると形容されるが、
その領域になるまでの段階はいたましくて見るに忍びなく、
当時の特訓を思い返せば悲惨でしかなかった。
フライラインを必要以上に前後させるのは意味のない間違い。
フライラインを前に飛ばすフィニッシュの形さえ覚えれば、
一回フライラインを後ろに跳ね上げ、前に送ればキャストになる。
たったこれだけのことが出来なかった。
投げられなければ魚は釣れない。
キャスティングという大きな壁を乗り越えなければ次の段階へは進めない。
ようやく投げられるようになれば、四つ目のフィッシングが成立する。
だが、これで魚が釣れる!と喜ぶのは早計だ。
川釣りにおいてルアーフィッシングは大味だけど、
脈釣りやフライフィッシングは流れの筋を読まなければならない。
魚がどの筋に定位しているのかを見極め、
餌やフライを魚の鼻先へ自然に送り込む必要があるためだ。
次にヤマメが定位している姿を確認し、
かつ前述した偏食しない簡単な状況だったと仮定しよう。
その場合ドライフライを自然に流すことが要求されるのだけど、
水面に浮いたフライを自然に流すことをナチュラルドリフトと呼び、
これが難しい。
自然に流すことの難しさを言葉で説明するなら、
流れを横切るように投げると、
手前と奥の流れの速度の違いでフライラインが水の抵抗で引っ張られる。
すると当然ラインの先にあるドライフライは引っ張られ不自然な動きになる。
流下物なのに流れに同調しない不自然な動きをしたドライフライを
ヤマメは偽物だと見切って喰わない。
ただし状況によりその限りでないことも付け加えておくが、
ドラッグが掛かった不自然な動きで釣れるのは不本意である。
ナチュラルドリフトをさせるには
ライン・メンディングというテクニックが必須であり、
メンディングでライン処理を上手く行うことが基本となる。
メンディングはラインを真っ直ぐにすることだけの意味ではなく、
ラインを意図した形に水面へ置くことだ。
止水のカムルチー釣りにおいてもメンディングは必須で、
ウィードレスプラグを通したいコースにラインを落とす。
もうなんだか難解な話になってしまったけれど、
これらは全て基本的なこと。
出来る出来ないで大違い。
ルアーフィッシングにも応用しているし、
これぞ流れの釣りの真骨頂。
フライフィッシング四大要素のひとつひとつが重要かつ非常に奥深いため、
プロタイヤーにキャスティングのプロなど、
それぞれに専門家が存在するほどだ。
簡素でお手軽に始められる釣法とは違い、
遠回りを楽しむフライフィッシングから魚釣りの基本をあらためて学んだ。
自然の営みを知ることで自然環境の大切さも深く知るようになり、
全ての経験は糧となり、魚釣りに対する考えが深化したのは
フライフィッシングの影響が大きい。
そんなフライフィッシングから自分の魚釣りに対する
考えが確立されたことがある。
全釣法においてバーブレス・フックを使用すること。
いわゆるかえしの無いフックは、
魚への傷を最小限に抑えるための手法で、
フライフィッシングの世界では常識だ。
ただし釣り人生で初めてバーブレス・フックを覚えて実践したのは十歳の時。
ルアーづり入門のライギョ釣り記事に書かれていた、
フックのかえしをペンチで潰しておくと良いというアドバイス。
現在もサビキ釣りだろうと、
絶対にフックアウトさせられない千載一遇のサクラマス釣りだろうとも
バーブレス・フックを常用。
ルアーやフックを購入して真っ先に行う儀式がある。
親の敵を叩きのめすようにかえしを潰すこと。
釣魚釣法問わず100%バーブレス・フック派であることを、
声を大にして宣言する。
バーブレスの弊害としてフックが抜けやすく魚に逃げられる機会を
与えることになるのだけど、
だからこそラインテンション保持にロッドワーク、
エラ洗いする魚なら事前に動きを察知して対処するなど、
巧に行う手腕が問われ、やりとりの緊張感が増すことで
釣った時に得られる感動の大きさが違う。
同じ一尾でも重さが違う。
それに逃げられた時はバーブレスだから仕方ないよね、
という責任転嫁を頬を濡らしながらできる。
なにより服にフックが刺さったときにほつれない。
生涯目標のイトウに対してもバーブレス・フックは
特別なことではない。
釣具は叔父から貰ったシングルハンドのスピニングロッドとリール。
ルアーはお小遣いで買える範囲だったスプーンとスピナーを
家の向かいにあった釣具屋で買った。
え!家の向かいに釣具屋!?
そう、なんと恵まれた環境下に育ったのでしょう。
いつから店があったか親に確認すると、
少なくとも僕が小学校に上がる前からなので
1970年代になるだろうか。
決して小さな店舗ではなかったが現在で言う圧縮陳列。
多岐に及ぶ品揃えが罪な総合釣具店は、
釣り少年の心を掴んで離さず、若い店主も親切で優しかった。
という情報だけ得られれば良かったのに、
年寄りにこんな話題を振ってしまったものだから話はエンドレス。
この時には『おはようパーソナリティ中村鋭一です』を聞いていたとか、
それって道上洋三さんの前の『おはパソ』やんと返せば、
僕の名前の起源は1960年代のABCアナウンサーからきているだとか、
ようやく今年はABCラジオ祭り(万博)が開催できたことに触れれば、
当時は日本万国博覧会の近くに住んでいたことにまで話が及び、
究極は、現在そこには立派なお宅が立ち、
表札には我一族と同じ苗字が刻まれているのを知ってのけ反った。
ミラクルでオチをつけて閑話休題。
ルアーづり入門で得た知識で釣具を揃え、
スピニングタックルのキャスティングは春耕を待ち侘びる冬田で練習していたので、
既に投げられるようになっていた。
実釣を待ち焦がれるが、
水辺に立たずとも釣りは家に居るときから始まっていた。
夏休みに親の里にある、
本流の支流の支流になる小規模渓流がルアー釣りの初舞台となる。
その場所は家から裸足で歩いて一分というこれまた恵まれた環境。
ここには野生化したニジマスが泳ぐ。
本来はヤマメ生息域だが、経緯は過去に村の人が放流したらしく、
年上の従兄弟が餌で釣ったことでそれを知った。
僕は川幅約三メートルの水深は膝下程度の浅瀬の真ん中に入り、
上流を向いて構えた。
ルアーづり入門に書かれていたのは、
スピナーを上流に向けて投げ、下流に引いてくること。
狭い川幅だけに攻略方法に選択肢はなく、
わかりやすい図解で示されていた通りに真似た。
上流の小さな落ち込みにできた白泡にブレットンを投げて
巻き始めるといきなり手応え。
一発目のジャンプであえなくフックアウトしたが、
残念な気持ちより本当にルアーに喰ってきた事実に衝撃を覚えた。
こういった小場所では一投目から喰ってくるのは
後々知ることになるのだけど、この時ばかりは興奮の坩堝。
次にひとつ上にある幅一メートルの縦長になった小さな淵に
ブレットンを投げるとまたもや手応え。
ルアー釣り初挑戦にしてニジマスがヒットした。
ニジマスが水面を蹴りたて飛び上がった光景は、
今なお頭の中で鮮やかな映像として再生され、景色が煌めいている。
小さな淵の脇では川鼠が水辺を行ったり来たりしていたのも覚えている。
独りで味わったその時の躍動感、緊張感、興奮、
徐々に大きな感動に包まれ、増上慢と共に余情に浸り、
ますます魚釣りの虜になる。
このことを発端に益々自然への知的挑戦は加速する。
ルアー釣りを覚えたなら次なる標的はカムルチー。
家の裏の池や周辺の池に生息していたことで、
身近なターゲットとして挑戦するものの、
これがなかなか思うようにいかず、
ビギナーズラックは叶わない。
魚釣りは思うようにならないことも知った。
こうして忍耐力が養われたかどうかわからないけれど、
水に糸を垂れていればそのうち釣れる
などという呑気なものでなく、
さらなる興味の追及は傾向と対策に及んだ。
魚釣りは釣れれば行きたくなり、
釣れなければ釣ってやろうとまた行ってしまう。
全てが楽しく思えた時代。
青年期は餌釣り・ルアーフィッシングを継続し、
さらに16歳でフライフィッシグを始めた。
相変わらず身近な魚を釣ることが好きで、
もっとも身近な淡水魚釣りといえば家の裏にあった池でのカムルチー釣り。
次いで池や川でギンブナやモツゴ釣り。
親の里では夜明け前から投げ釣りでシロギスを、
暑い日中は山で川魚を、
そして日没前は防波堤でアジのサビキ釣り。
天真爛漫に少しずつ魚釣りの経験値を積み重ねた。
夜になれば釣り番組。
ブラウン管から得られる刺激は多大なる影響を及ぼす。
ザ・フィッシングに、とびだせ!つり仲間、
のちにビッグフィッシグ。
いやいや、もっと幼い頃から見ていたのは、
日曜早朝の釣りごろつられごろ。
お色気番組11PMの服部名人のイレブンフィッシングは
お家事情により観る機会がほぼなかった。
1980年代は特番で海外釣行が特集されることも少なくなかった。
記憶を手繰り寄せると、
定番のブルーマーリンなどのカジキ釣り。
ロウニンアジにカスミアジ、イソマグロ。
コスタリカのターポンは超刺激的。
カナダの釣行ではキングサーモンに、
マニアックなところではカットスロートにウォールアイ、
美しい姿に惹かれたドリーバーデンその他諸々。
釣り青年には手の届かない広大な世界に夢を抱かせ、
早く大人になって色々な場所の魚に出会いたいと切望した。
特にザ・フィッシングの西山徹氏のスタイルに影響を受けた。
世界を股にかけ、ルアーフィッシングに
フライフィッシングもそつなくこなす名手。
バイスに挟んでフライを巻いたり、長いラインを優雅に操るその姿は
全てが高次元で、ちょいと魚釣りをかじっている程度の素人が
手を出すには随分とハードルが高いと思われた。
だがしかし僕がフライフィッシングを始めるに、
心強い味方が近くにいた。
釣り好き同級生の父上がフライフィッシャーだったのだ。
その昔、北田原のマス釣場でフライフィッシングしている光景が
珍しかったのか、
関西の釣り雑誌・釣の友にてカラーで紹介されるほど、
古くからのフライフィッシャー。
なんたる釣り縁。なんと恵まれた環境。もう教わるしかない。
まだこの時はフライフィッシングの本質など知る由もなく、
古くはイギリスの貴族も愛好した歴史ある釣りだとか、
格好良くてよく釣れるという不純な想念により足を踏み入れたが、
後に魚釣りの礎となる重要なことを沢山学ぶことになる。
フライでイワナ・ヤマメ・アマゴなどを釣るには、
魚達が生息する環境を知り、狙う魚の食性を知るところから始まる。
この観察がフライフィッシングの四大要素の一つ目ウォッチング。
どのような釣りでも観察が重要なのは言うに及ばずだが、
横道逸れず話を進めていく。
被食者は主に水生昆虫や陸生昆虫を想定し、
水生昆虫は幼虫~成虫まで成長段階に応じて形が変化するので、
それを模したパターン(フライ)を作る。
これが二つ目のタイイング。日本語で毛鉤を巻くとも言う。
タイイングは伝統的なパターンから、
オリジナルまでその種類は枚挙に遑がない。
なぜそんなに多くのパターンが必要になるのかと言えば、
困ったことに渓魚が偏食家に変身することがあるからに他ならない。
季節や時間などにより捕食される水生昆虫の種類が違い、
例えばカゲロウの幼虫と成虫の間に亜成虫という形があり、
それを選り好みして捕食する状況がある。
パターンを外したフライがアマゴの鼻先を通過しようが完全無視。
とはいえ絶対に釣れないことはないのだけど、
釣れればなんでもいいのではなく、
自分の観察眼と実際の捕食物との答え合わせに喜びを見出すことで、
さらなる喜びの増幅が期待できる。
次に覚えるのが一筋縄ではいかない、三つ目の要素キャスティング。
初体験ですぐに投げられるスピニングタックルや、
少しの練習で投げられるベイトタックルとは大きく違う。
長いフライラインを操る姿が優雅に映ると形容されるが、
その領域になるまでの段階はいたましくて見るに忍びなく、
当時の特訓を思い返せば悲惨でしかなかった。
フライラインを必要以上に前後させるのは意味のない間違い。
フライラインを前に飛ばすフィニッシュの形さえ覚えれば、
一回フライラインを後ろに跳ね上げ、前に送ればキャストになる。
たったこれだけのことが出来なかった。
投げられなければ魚は釣れない。
キャスティングという大きな壁を乗り越えなければ次の段階へは進めない。
ようやく投げられるようになれば、四つ目のフィッシングが成立する。
だが、これで魚が釣れる!と喜ぶのは早計だ。
川釣りにおいてルアーフィッシングは大味だけど、
脈釣りやフライフィッシングは流れの筋を読まなければならない。
魚がどの筋に定位しているのかを見極め、
餌やフライを魚の鼻先へ自然に送り込む必要があるためだ。
次にヤマメが定位している姿を確認し、
かつ前述した偏食しない簡単な状況だったと仮定しよう。
その場合ドライフライを自然に流すことが要求されるのだけど、
水面に浮いたフライを自然に流すことをナチュラルドリフトと呼び、
これが難しい。
自然に流すことの難しさを言葉で説明するなら、
流れを横切るように投げると、
手前と奥の流れの速度の違いでフライラインが水の抵抗で引っ張られる。
すると当然ラインの先にあるドライフライは引っ張られ不自然な動きになる。
流下物なのに流れに同調しない不自然な動きをしたドライフライを
ヤマメは偽物だと見切って喰わない。
ただし状況によりその限りでないことも付け加えておくが、
ドラッグが掛かった不自然な動きで釣れるのは不本意である。
ナチュラルドリフトをさせるには
ライン・メンディングというテクニックが必須であり、
メンディングでライン処理を上手く行うことが基本となる。
メンディングはラインを真っ直ぐにすることだけの意味ではなく、
ラインを意図した形に水面へ置くことだ。
止水のカムルチー釣りにおいてもメンディングは必須で、
ウィードレスプラグを通したいコースにラインを落とす。
もうなんだか難解な話になってしまったけれど、
これらは全て基本的なこと。
出来る出来ないで大違い。
ルアーフィッシングにも応用しているし、
これぞ流れの釣りの真骨頂。
フライフィッシング四大要素のひとつひとつが重要かつ非常に奥深いため、
プロタイヤーにキャスティングのプロなど、
それぞれに専門家が存在するほどだ。
簡素でお手軽に始められる釣法とは違い、
遠回りを楽しむフライフィッシングから魚釣りの基本をあらためて学んだ。
自然の営みを知ることで自然環境の大切さも深く知るようになり、
全ての経験は糧となり、魚釣りに対する考えが深化したのは
フライフィッシングの影響が大きい。
そんなフライフィッシングから自分の魚釣りに対する
考えが確立されたことがある。
全釣法においてバーブレス・フックを使用すること。
いわゆるかえしの無いフックは、
魚への傷を最小限に抑えるための手法で、
フライフィッシングの世界では常識だ。
ただし釣り人生で初めてバーブレス・フックを覚えて実践したのは十歳の時。
ルアーづり入門のライギョ釣り記事に書かれていた、
フックのかえしをペンチで潰しておくと良いというアドバイス。
現在もサビキ釣りだろうと、
絶対にフックアウトさせられない千載一遇のサクラマス釣りだろうとも
バーブレス・フックを常用。
ルアーやフックを購入して真っ先に行う儀式がある。
親の敵を叩きのめすようにかえしを潰すこと。
釣魚釣法問わず100%バーブレス・フック派であることを、
声を大にして宣言する。
バーブレスの弊害としてフックが抜けやすく魚に逃げられる機会を
与えることになるのだけど、
だからこそラインテンション保持にロッドワーク、
エラ洗いする魚なら事前に動きを察知して対処するなど、
巧に行う手腕が問われ、やりとりの緊張感が増すことで
釣った時に得られる感動の大きさが違う。
同じ一尾でも重さが違う。
それに逃げられた時はバーブレスだから仕方ないよね、
という責任転嫁を頬を濡らしながらできる。
なにより服にフックが刺さったときにほつれない。
生涯目標のイトウに対してもバーブレス・フックは
特別なことではない。
Posted by Миру Україні at 07:07
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