2017年03月13日
川瀬美



鳥友は餌付けされた野鳥?を撮るのが好きで、
その理由は、確実かつ美しく撮れるからだ。
僕は自分で考えた答え合わせみたいな感じの探索が好きで、
その理由は、結果だけでなく過程から楽しむからだ。
鳥友いわく、ボーズで終わったらどないすんねんと笑うし、
僕は、野性味のない姿を撮ってもおもろないと返す。
そんな鳥友が言ったのは、その場では興奮するけど、
やらせであることは拭えず後日、萎えるのは隠せない、と。
そらそやろ。
魚釣りで例えるなら、
釣り堀の魚を釣っても感動はできないってところか。
以前、管理釣場のおっさんに
「イトウを釣らんと価値ないぞ」って言われたけど、
凄まじいまでの価値観やなと思ったわ。
おっさんがバケツで放り込んだ魚で喜べんて。
しかも兵庫県やでここ。
鳥友が撮るカワセミの捕食シーンはそらもう凄い。
でもそれは餌付けであり、またそれを隠さないので
いまいち感動は薄い。もちろん本人もそう思っている。
だからといって僕がやっていることが凄いかといえば
そうではない。
目的の鳥に出会うべく、考え、探し、
さらに撮影できた日の充実感といったらなく、
自分の人生を楽しんでいる。それだけ。
Posted by Миру Україні at 07:07
│カワセミ