2023年01月28日
イトウは心に宿る9
イトウを釣る強い決意を持った人と、これまで出会ったことがなかった。
魚釣りが大好きなのに、イトウの存在を知らない人だっている。
そのことに違和感があるのではないけれど、
僕は釣り界の思潮が異なっていることを理解していた。
これまでの魚釣り仲間は『同級生も魚釣りが好き』だった。
それが時代と共に娯楽の選択肢が増え、魚より女になり、
生活環境の変化も加われば釣具にほこりが積もり、手放す者もいた。
一番の友人であり釣友だと思っていた奴は、
マルチ商法に溺れたことで縁を切った。
マルチ商法だの宗教だのは、親身になって勧誘してくるから厄介で、
とうとう本気でこんなことを言い出した。
「大金持ちになれるのは間違いなく、冗談じゃなく俺はAダムを買い取り、
Aダムから邪魔な俄かバサー共を締め出す」
どんな虚辞をアムウェイで教わったのか想像できて面白いが、
もうちょっとこう真偽を見抜く慧眼を持たないと。
脱会して数十年経過して、どこぞの新興宗教が販売する、
一本数千円もするただの水、いや、ありがたーい水が封入された、
なんとか力水という名前のペットボトルが、
風邪に効果的だから買っているなどと真顔で報告された日にはもう。
科学で証明されていないことを鵜呑みにする思考力に脱帽。
とある高名な寺院の厠の側で湧き出したありがたい水を封入し、
飲むだけでボーズ回避・大物必釣・性欲増強、
その名を釣神水(ちょうしんすい)という、
実はただの水道水を売り出したら、
購入する釣人が一定数いそうだな。毎朝定期便でお届けします。
楽園を夢想していた彼だったが、熱心な勧誘が仇となって友人達は去り、
酒癖の悪さも災いして嫁と子供に逃げられ、
同窓会ではトラブルを起こして総スカンを食ったらしい。
少年時代はいい奴だったのになあ。
この先、事件を起こしたなら断腸の思いで挙手して
報道関係のインタビューにこう答えよう。
すりガラス越しに肩を震わせハンカチで目頭を押さえながら
ボイスチェンジャーの音声で、アイツならやると思っていました。
魚釣りを続けていると、『魚釣りが好きな人』と出会う機会が増えた。
生まれた場所も違えば育った環境も違い、
義務教育で習ったのでもないのに、
魚釣りが好きという人達が世の中にいる。
その中には、休日に晴れたら魚釣りに行くというソフトなスタイルから
休日の天気予報が雨模様であろうと気持ち昂るハード・スタイルに、
休日じゃなくても雨だからスクランブルする、愛すべきエンスージアまで。
その中にイトウを釣ってみたい気持ちのある人達が現れた。
イトウに思いを寄せる強さはまちまちだが、
どうもイトウを釣りたいという気持ちの根源は、
メーターになる淡水魚を釣ることにあるらしく、
即ち1メートルを超えるイトウを釣るのが目的であると。
良いとか悪いではなく、本質的な部分で僕と考えが違うようだ。
知り合いの方々からイトウを狙いに行く報告をいただく。
ここも一貫していたのが単独釣行ではなく、必ず同行者ありだ。
その理由を深く考えたことはないが想像するに、
心強さによる不安の払拭、ポイント探しの効率、
エゾヒグマからの危険回避、費用の割り勘、
喜びを共有することで感動が増幅する、etc...。
排他的で一緒に行ける同志がいない寂しい単独釣行より、
利点が大きく実に理想的。
なんだったら同じハンチング帽にフィッシングベストを着用する
双子コーデで、ザ・釣り仲間という雰囲気を前面に押し出していればなお素敵。
一緒に赤鬼退治に行こうぜ兄弟、みたいな。
誰がイトウを釣ろうと僕には関係ないことなので、
焦りも妬み嫉みもあろうはずがなく、
むしろ釣ってもらいたいのに手強い魚なのだろうか、
残念ながら一度も吉報が届くことはなかった。
これが自分の子供なら、
普段から身近な魚を独りでそつなく釣れるようになり、
生息環境に目を向け、周辺の生き物にも興味を持ち、
たまに冒険釣行で経験値を上げることが大事だと助言をするけれど、
まだ北海道の大地を踏んだこともない自分が、
そんな大それたことを他人にするのは恥でしかない。
ましてやブルーギルの餌釣りからやり直せとか、
堤防のサビキ釣りに習えなど心に思っても、
口が裂けても言ってはならないし、文字に起こすなど以ての外だ。
釣れなかったとしても、
なにはともあれ遠く離れた北海道までの日程を調整し、
現地の水辺に立てることの行動力に拍手を送りたい。
イトウ釣りのガイドを申し出てくれた知り合いもいた。
良心的な宿からイトウが泳ぐ姿まで案内できるという。
そんなに釣りたいならお世話をするし、喜ぶ顔を見たい。
そんな至れり尽くせりのお膳立てだったが、丁重にお断りした。
御厚情に感謝しているが、
乱暴な言い方をすれば、余計な御世話。
『初魚に勝るトロフィーはない』という至言があるように、
初魚は一生に一度の経験であり、
そこに辿り着くまで近道をするほど感動が薄くなるのを、
これまでの経験で知っている。
近道してもいい魚種もいたが、やはりそれなりでしかない。
だがイトウは違う。
お膳立てで釣らせてもらった魚では、
僕が理想とする本物の感動を呼び込めない。
その本物の感動という偶像を手に入れるには、
自力で求めることでしか到達できない。
魚釣りが大好きなのに、イトウの存在を知らない人だっている。
そのことに違和感があるのではないけれど、
僕は釣り界の思潮が異なっていることを理解していた。
これまでの魚釣り仲間は『同級生も魚釣りが好き』だった。
それが時代と共に娯楽の選択肢が増え、魚より女になり、
生活環境の変化も加われば釣具にほこりが積もり、手放す者もいた。
一番の友人であり釣友だと思っていた奴は、
マルチ商法に溺れたことで縁を切った。
マルチ商法だの宗教だのは、親身になって勧誘してくるから厄介で、
とうとう本気でこんなことを言い出した。
「大金持ちになれるのは間違いなく、冗談じゃなく俺はAダムを買い取り、
Aダムから邪魔な俄かバサー共を締め出す」
どんな虚辞をアムウェイで教わったのか想像できて面白いが、
もうちょっとこう真偽を見抜く慧眼を持たないと。
脱会して数十年経過して、どこぞの新興宗教が販売する、
一本数千円もするただの水、いや、ありがたーい水が封入された、
なんとか力水という名前のペットボトルが、
風邪に効果的だから買っているなどと真顔で報告された日にはもう。
科学で証明されていないことを鵜呑みにする思考力に脱帽。
とある高名な寺院の厠の側で湧き出したありがたい水を封入し、
飲むだけでボーズ回避・大物必釣・性欲増強、
その名を釣神水(ちょうしんすい)という、
実はただの水道水を売り出したら、
購入する釣人が一定数いそうだな。毎朝定期便でお届けします。
楽園を夢想していた彼だったが、熱心な勧誘が仇となって友人達は去り、
酒癖の悪さも災いして嫁と子供に逃げられ、
同窓会ではトラブルを起こして総スカンを食ったらしい。
少年時代はいい奴だったのになあ。
この先、事件を起こしたなら断腸の思いで挙手して
報道関係のインタビューにこう答えよう。
すりガラス越しに肩を震わせハンカチで目頭を押さえながら
ボイスチェンジャーの音声で、アイツならやると思っていました。
魚釣りを続けていると、『魚釣りが好きな人』と出会う機会が増えた。
生まれた場所も違えば育った環境も違い、
義務教育で習ったのでもないのに、
魚釣りが好きという人達が世の中にいる。
その中には、休日に晴れたら魚釣りに行くというソフトなスタイルから
休日の天気予報が雨模様であろうと気持ち昂るハード・スタイルに、
休日じゃなくても雨だからスクランブルする、愛すべきエンスージアまで。
その中にイトウを釣ってみたい気持ちのある人達が現れた。
イトウに思いを寄せる強さはまちまちだが、
どうもイトウを釣りたいという気持ちの根源は、
メーターになる淡水魚を釣ることにあるらしく、
即ち1メートルを超えるイトウを釣るのが目的であると。
良いとか悪いではなく、本質的な部分で僕と考えが違うようだ。
知り合いの方々からイトウを狙いに行く報告をいただく。
ここも一貫していたのが単独釣行ではなく、必ず同行者ありだ。
その理由を深く考えたことはないが想像するに、
心強さによる不安の払拭、ポイント探しの効率、
エゾヒグマからの危険回避、費用の割り勘、
喜びを共有することで感動が増幅する、etc...。
排他的で一緒に行ける同志がいない寂しい単独釣行より、
利点が大きく実に理想的。
なんだったら同じハンチング帽にフィッシングベストを着用する
双子コーデで、ザ・釣り仲間という雰囲気を前面に押し出していればなお素敵。
一緒に赤鬼退治に行こうぜ兄弟、みたいな。
誰がイトウを釣ろうと僕には関係ないことなので、
焦りも妬み嫉みもあろうはずがなく、
むしろ釣ってもらいたいのに手強い魚なのだろうか、
残念ながら一度も吉報が届くことはなかった。
これが自分の子供なら、
普段から身近な魚を独りでそつなく釣れるようになり、
生息環境に目を向け、周辺の生き物にも興味を持ち、
たまに冒険釣行で経験値を上げることが大事だと助言をするけれど、
まだ北海道の大地を踏んだこともない自分が、
そんな大それたことを他人にするのは恥でしかない。
ましてやブルーギルの餌釣りからやり直せとか、
堤防のサビキ釣りに習えなど心に思っても、
口が裂けても言ってはならないし、文字に起こすなど以ての外だ。
釣れなかったとしても、
なにはともあれ遠く離れた北海道までの日程を調整し、
現地の水辺に立てることの行動力に拍手を送りたい。
イトウ釣りのガイドを申し出てくれた知り合いもいた。
良心的な宿からイトウが泳ぐ姿まで案内できるという。
そんなに釣りたいならお世話をするし、喜ぶ顔を見たい。
そんな至れり尽くせりのお膳立てだったが、丁重にお断りした。
御厚情に感謝しているが、
乱暴な言い方をすれば、余計な御世話。
『初魚に勝るトロフィーはない』という至言があるように、
初魚は一生に一度の経験であり、
そこに辿り着くまで近道をするほど感動が薄くなるのを、
これまでの経験で知っている。
近道してもいい魚種もいたが、やはりそれなりでしかない。
だがイトウは違う。
お膳立てで釣らせてもらった魚では、
僕が理想とする本物の感動を呼び込めない。
その本物の感動という偶像を手に入れるには、
自力で求めることでしか到達できない。
Posted by Миру Україні at 07:07
│イトウ