2019年01月21日
過去最高の思い出はどれ?

魚釣りをしてきた中で、
過去最高の思い出を迷うことなくすぐに語れるかといえば、
僕はできる。
幸せなことにそういう魚釣りができた。
二位以下は優劣をつけがたく、順位として振り分けるのは
困難を極めるのだけど、
一位だけは時間が経過するにつれ独走状態になってきた。
あらゆる一尾に辿り着いたその時に得た興奮や感動、感情が
長い時間に運ばれ、いま振り返ると静かに審判された。
なぜ過去最高なのかを分析してみると、
いくつかの要素が必要不可欠となっていることがわかった。
それらを列挙し、解説してみる。
□その場所、その魚への思い入れが強いこと
□一尾に辿り着く過程を大切にすること
□積年の想い
□極度の緊張感
□初魚でありながら望外の大きさ
1 その場所、その魚への思い入れが強いこと
幼い時に見た魚図鑑の憧れの魚であったり、
小説に登場した場所だったりと、心象の魚と風景など。
僕の場合は母なる土地に生息する幻の魚だった。
2 一尾に辿り着く過程を大切にすること
安易な方法を選ばないことは大事。
僕の場合は他人の力を借りないことだった。
自分のスタイルを崩さないこと。
3 積年の想い
幸か不幸か全力を尽くしても一尾と出会えないことが、
感動に輪をかける。
禁漁期間が設けられている魚だったり
季節の魚であれば、
一年に僅かな期間しか出会える機会がないため、
これもまた辛く苦しい。
その魚に出会う『季節の約束』が果たせるかは別にして、
四季のある国、日本は素晴らしいと思う。
4 極度の緊張感
これも余計な要素であり無駄であるのだけど、
加わることで結果に大きな差が生まれる。
ランディングネットを忘れたこと。
なんとか手の中へ収めて安堵したのも束の間
スルリと抜け出しやりとり再開。
魚が疾走したことで予定していた
ランディング位置から離れ、しかも戻れない。
その最中に水辺の木の根にラインが絡むという、
一難去ってまた一難。
絶対に逃してはならないのに、次から次へと襲い掛かる困難。
といったような背水の陣に追い込まれてからの勝利。
5 初魚でありながら望外の大きさ
初物に勝るトロフィーはないと文豪は言った。
確かそんな言葉だったと思うが、
初魚との出会いは一度のみであり、
1~4に列挙した要素を含むなら尚のこと。
さらに望外の大きさの初魚であれば喜びは増幅し、
究極の思い出に昇華される。
僕の過去最高の思い出の魚釣りは
サクラマスとの出会いだ。五年掛かった。
その間、なにかの間違いで釣れてしまったことが
ないのは幸いであり、
上記のどれかがひとつでも欠けていたら最高の思い出として
輝かなかったはずだ。ゆえに群を抜いて一位だ。
そして次なる初魚達に向けて思いを馳せている。
さらなる究極の一尾になりますように。