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Posted by naturum at

2023年02月16日

イトウは心に宿る17

北海道釣行を前に、必要な釣具を一切買い足すことをしなかった。
釣行前に釣具屋やインターネットで、
新しい道具を買い求めるのは大きな楽しみであることを重々承知している。
それでも買い足さなかったのは、
北海道釣行を念頭にしていた釣り人生だったからに他ならず、
北海道に必要と判断したものを少しずつ在庫してきたことにある。

これまで出会った釣具の中には、
淘汰されゆくもの、残るものがあり、
まだ迷いが生じている時は釣具の数が膨らむ一方で、
御多分に洩れず僕もそうであったが、
スタイルが確立してくると持ち物は次第に
必要とされるものが占めるようになった。
それ以外に、いますぐ必要ではないけれど、
将来のために必要としてきた釣具がようやく日の目を見ることになる。

釣場を調べるのと並行して、
北海道釣行に携える釣具達を
ひとつのタックルボックスへ離合集散させて遊んでみるのだけど、
これが楽しい。
一通り欲望のまま集めてみると、
重量級から軽量ルアーと、それに適合するスナップやリーダー、
水面や水底を探るルアー、各カラー、同カラーの予備などなど加えれば、
明らかに持っていける許容範囲を超えて苦笑い。
初めての釣りの厄介なことよ。

スズキ釣りでもビワコオオナマズ釣りでも、
ルアーはだいたい五個未満で事足りるし、
もっとスマートな釣りだと、
カムルチー釣りにおいては予備ルアーなしで、
ロッドにぶら下げる一個だけ。
これはラインブレイクを絶対にしない信念があるからできるのと、
一投目ないし数投で一尾釣って竿を置くことをするからである。
もし釣れなければ帰るのみ。
他には、ニジマスの管理釣場で緊張感ある釣りをするため、
REBEL POP-R一個だけしか持っていかない事もした。

例えば上記したスズキやオオナマでは、
同場所で釣れなければ数投でルアー交換し、
それで反応を得られなければ魚が居ない、
もしくは喰わないと判断して早々に見切る。
ルアー交換よりポイント移動優先ゆえに、
ルアーの種類は五個もあれば十分で、
その日、水に浸けたのは一個ないし二個ということもある。
聞くところによると、
アメリカのバサーがバスボートでやるランガンというのは、
同じルアーで広大な湖を効率良く探ることらしい。

でも、さすがに北海道釣行未経験者がルアー5五個で挑むなど
頭がよろしくない。
アルミ製タックルボックスのokabakoのフタが、
放り込まれたルアーで閉まらず立ったまま初日は終了。
ルアー選抜は毎夜の楽しみとなり、
これはいる、これはいらない、いややっぱり戻す、エンドレス。




















  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年02月14日

イトウは心に宿る16

いまさら白状すると、北海道に憧れはあれど知識はかなり乏しい。
北海道の印象を述べるなら、辛うじてムツゴロウ王国と、
ドラマ北の国からの舞台がそうだというくらいのもので、
しかも不朽の名作と呼ばれて久しい北の国からを、
いまだ観たことがない。
あらためて北海道を調べると、
道東・道南・道央・道北と地域区分があり、
道西というのはないのね、という程度の知見しかなく、
誰かから北海道旅行の話を聞かされた時に、
函館から見る夜景が綺麗だったとか、
とにかく食べ物が美味しいという話は聞けども、
観光地なのでそれらは道南もしくは道央の話。
道東や道北となれば、車やバイクで北海道を一周する変わり者が
通過するだけという印象しかなかった。

釣行を予定している目的地周辺、
そうとはいってもひとつどころかふたつの県を合わせたほどの
面積があるが、つまびらかに調べていくと、
いかに広大であるかがわかり、
A地点からB地点までの移動に費やす時間だの距離が、
普段の感覚を超越している。
例えば現地の空港に正午過ぎに到着して、
予定している最寄りの川に立てるのは、太陽が西の彼方に沈んだあと。
飛行機が一日に一便しかないので、
これ以上の短縮は叶わず、すなわち日帰り釣行は不可能。
初日は一投もできず移動だけで終わる現実に、
舌打ちのひとつも出てしまう。
そうだとわかれば諦めの境地になり、新たな計画が浮かんでくる。
空港から目的地まで、
観光だの食事だので有意義な時間を過ごすことにする。

北海道釣行が決まってしばらく経った頃、
ロッドケースとバッカンを宅配便で送ろうとしている二人の釣人の姿を見た。
荷物を宿泊先に送る手段もあるのかと感心したので、
ちょいと話しかけてみたところ、壱岐へ行くという。
凄い、ヒラマサ狙いですねと通ぶってみると、
アジですよと笑顔が返ってきた。
ア、アジを狙いにそんな遠くまで・・・・・・壱岐はアジの聖地なのだろうかと
刹那に思い描くも、動揺するばかりで平静を装うのが精一杯だった。
アジを釣ろうとするなら、南港海釣り公園のような、
いわゆるベランダと呼ばれる
足場が良くて家族連れも快適に楽しめる環境が、
阪神間にいくつもあるじゃないか。
通天閣から686kmも先のアジを求めるなんて。
壱岐が彼らの実家なのか、はたまた会社の保養所があるのか、
いや、わかったぞ。
商店街で、今朝がた怒らせた奥さんの機嫌取りの為に買った
回転焼きひと箱に付いてきた抽選券で、
新井式回転抽選器を回すと金の玉が飛び出し、
壱岐ペア旅行券が当選したと推理する。
そこで、冷めた回転焼きだけ奥さんに渡し、
ペア旅行券はあつあつ野郎同士でむふふという算段に違いない。
跨いだアジングロッドをゆっくり押したり引いたりしてもらい、
ガイドがコツコツと当たる逢瀬の旅。

壱岐にメーター超級のアジが泳ぐならいざしらず、
アジを狙いにわざわざ飛行機で行くとはこれいかに。
昨今のアジング・ブームとやらはアジャーを駆り立て、
魚の棚に並ぶアジの開きでは満たされることがないらしい。
イワナと同じく、アジはアジでもアジという和名の魚はいないので、
実はカスミアジやロウニンアジだったりして。
そうなったらガイドリング径が大きくなり、
コツコツどころの騒ぎではないぞ。
オーシャントップから2番ガイドを通過する辺りで意識朦朧とするはずだ。

今度はお相手さんが、どこでなに釣りを?と聞いてきたので、
北海道でイトウ釣りですと答えると、二人同時に目を見張り、
え!?と発して前のめりになったので、
僕はイトウを知っているあなた達に驚いたと笑う。

アジとは違うとか、それは凄いとかおっしゃっていたが、
イトウみたいな釣れる保証がない博打釣りを北海道まで行ってやるなんて、
正気の沙汰とは思えないのかもしれない。
仮に直接そう言われても嫌な気持ちにならないし、
確かに自身もそうだと認識している。
釣堀の養殖イトウで満足できなければ、
協力者もお膳立ても排斥する釣り方を選んでいるのだから。

お互いに釣人の別れ際の挨拶「良い釣りを」で健闘を称え合ったが、
その週末、壱岐は大型台風が直撃した。
直前に断念、もしくは飛行機が欠航していればいいのだけど、
二人のその後を心配した。
自然の猛威を前に、無理に決行する勇気などいらない。
諦める勇気こそ必要だ。

僕は幼い頃より釣りを覚えたことで、水辺で過ごした時間は人一倍長い。
それこそ小学生の時の山釣りでは半分泳ぎながらやっていたし、
釣れなくなったら水の中に顔を浸けて魚を探した。
大人になれば夜間に水に浸かって糸を垂れることもすれば、
濁流を待ち侘びることもある。

一般的には危険とされる行為だけど、
これまで事故に繋がらず生き続けているのには理由がある。
僕が行く釣場のいくつかで、毎年悲しい水の事故が起きているが、
それでも僕が生きているのは運が良いからだけでなく、
水を恐れ、危険を知るからに他ならない。

子供の頃、父親に連れられ淀川水系で釣りをした時、
川は死と直結することを教わった。
僕の子供達には里川で遊ばせ、
瀬から一歩先が淵に滑り落ちる構造や、流れの危険を教えた。
海水浴では複雑な海流があること、引き波の怖さも。
僕も子供達もスイミング教室に通ったことで、
一般人より泳ぎは達者だけど、川で泳ぐことを恐れる。
繰り返すが、正しく恐れ危険を知り、
安全を確保してきたからこそ今日まで生きてきた自負がある。
魚釣りで命を落とすのは本懐だなんてアホくさい。

あぁそれなのにそれなのに、
エゾヒグマ生息地へ赴くのだと頭をもたげる。




















  

Posted by Миру Україні at 07:23イトウ

2023年02月12日

イトウは心に宿る15

北の大地を流れる川の流域面積に圧倒され、
さらに僻遠の地を這う川にイトウを追うなら、
鳥瞰図を丹念に調べるしか道はない。

航空写真を眺め、拡大していくと分かったことがある。
どうやら湿原の川には川原がなく、いわゆる泥炭地帯である。
川の両岸には植物が覆いかぶさり、
川沿いを自由に上がったり下がったりできそうにない。
ウェーディングして水の中を行き来できればいいのだけど、
水深が深いとなればどうするか。
いやいや待てよ、
そんなことより、どうやって道路から水辺に辿り着くのだろうとの
疑問も湧いてきて、それは間違いなく鬱蒼と生い茂るエゾヒグマの巣窟を
通り抜けねばならないようだ。
エゾヒグマの餌食にならず運良く適当な水辺に出られたとして、
木々の隙間からロッドを差し出しキャストできたとしよう。
でもそこに倒木があればルアーを泳がす距離が取れないし、
ではウェーディングはどうだろうと想像するも、
足場と水面が離れていれば下りることはできても
岸に上がることができないし、潮汐によって川の水位が上がれば命取り。
それにランディング時の問題だって発生する。
これまでの川とは勝手が違うらしく頭を抱えてしまう。
こうなれば一本の川に絞るのは心許ないので、
幾つもの川を選択肢として用意せねばならず、
さらには一本の川の、どこに車を停めてどこから入り、
どうやって水辺に辿り着くのかも調べねばならない。

イトウが潜みそうな場所を選び、
そこへ辿り着く時間が道路から五分程度であるかを確認。
およそ五分とするのは、エゾヒグマとの遭遇確率低減や、
水辺で怪我をした時に無事戻ることができる等々を考慮した時間。
迷って脱出できなくなることも現実的に起こるかも知れず、
考えただけでも恐ろしい。
「迷惑行為!道外から来た釣人が湿原で迷子」なんてテロップがお茶の間に
映し出されようものなら、
旦那の稼ぎで買った日本茶をすするBBAが
「迷子って子供みたいにもぅ。私がお世話してあげたいわ」などと妄想して
頬を赤らめかねず、救出された後のインタビューで僕が、
有閑マダムはちょっと圏外ですなどとこぼせば世論は非難轟々に違いない。
夜の試合相手は妙齢がいいなんて、心に思っても口に出したり
文章で伝えるなんて以ての外だ。

良くも悪くも道路から水辺までの森に、
エゾヒグマのものであろうとも獣道があれば助かるのだけど、
全ての侵入を拒む植物の要塞ならば進むことは不可能に近く、
わざわざそこに時間を費やすと釣りどころではなくなる。
でもその先にこそ目指すものがあると思えてならないのだけど、
それは住所を北海道に移した時の暇潰しで開拓しよう。

こうして一本の湿原河川を少しずつ淘げていく。
すると新たな問題が浮上した。
北海道の道路事情により車の停め場所が極端に少ないようだ。
ほとんどの川は牧場の敷地を流れており、
無断で私有地に入ることをしてはならないのはもちろんのこと、
隣接する道路はいかにもバイパス道路のようで、
停めるなんてことができなさそうだし、
離れたところに車を停められたとしても、
徒歩や自転車での移動も危険極まりないのではないか。
後に北海道在住者に尋ねたところ、
徒歩や自転車で移動する人はいないらしい。

あれもこれも都会とは勝手が違う北海道。
こんなことを言っては元も子もないのだけど、
徒歩圏に病院や駅がないなんてあり得ないと、
A君が言ってました。
コンビニ含む食料品店舗が見える範囲にあり、
自転車なら数店舗選べて大型商業施設にも行ける
この生活から遠ざかるなんて無理とBさんが言ってました。
僕は言ってません。
お金を落とす価値があるモスやフレッシュネスバーガーという
選択肢を捨て、割安感もなければ美味しくもないマクドなんとかへ
ガソリンを消費して数十分も掛けて行く環境に移り住んだCちゃん。
滅多に来られないから、店内で食べてなおかつテイクアウトもする話に、
なんてことだと笑い涙が頬を濡らす。
車で買いに行ける距離にあるだけましらしいが、そういう感覚なのね。
なので人口より乳牛の頭数が多い町では言うまでもなくピザの
宅配概念はないらしい。
となれば、デリバリーなんとかもなければ実店舗もないのかしら。
じゃあ奥さん以外の女性との出会いの場や密会場所は
一体どうしろっていうんだ。
広大な土地のくせに情事の噂だけは走るように広まりそうで空恐ろしい。

困難が立ちはだかるものの、
航空写真からイトウ生息場所を予想するのは日課となり、
地味な作業が次第に楽しくなってきた。
出発までの約七十日間は毎日、レストランのメニューを開け、
あれも食べたいこれも食べたいと、
美味しそうな料理が並ぶのを眺めているのに等しかった。

最終的に集めたGPS座標は14河川62箇所。
的を絞れていないようだけど、
これも規模の雄大を誇る北海道ならでは。
14河川62箇所の有望順位を決め、探索する順番も決める。
全ては自由。自分の好きなように。
イトウ釣りはすでに始まっている。







  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年02月10日

イトウは心に宿る14

暇さえあればイトウ探索先を調べることに鋭意専心し、
鳥観図で北海道の旅に出る。
そこには関西で馴染みのない独特の地名があったり、
中には同じ漢字一文字が使われる地名が散見されることにも気付いた。
特に目を引いたのがカタカナで名付けられた川の存在で、
初めて知る河川名に面白さを感じた。

川から知る北海道の壮大さ。
一本の湿原河川のそれはそれは長いことよ。
無造作に閉じたカーテンの断面のように、幾重にも屈曲する川を
真っ直ぐに伸ばすとどれだけの距離になるのだろうか。
さらにここへ繋がる支流群も加えると、流呈の前に跪くしかない。
調べると北海道の大地を這う河川は、一級河川13水系1129河川と、
二級河川230水系467河川があるという。
これまで北海道は射程圏から外れていたので、
こういった事実も知らずにいたが、想像を遥かに超えた規模に圧倒される。

例えばイトウ生息河川で最も印象深い一級河川のI川の長さは約270kmで、
信濃川・利根川に続いて全国三位となり、即ち日本三大河川の一角。
上位二つを知っていたのに、川釣りが好きで、イトウ釣りを夢見ていながら、
I川が三位に挙げられていることを知らなかったことを白状したい。
それにしても270kmといえば、大阪城から静岡県は浜名湖をさらに跨いだ
東側にある、うなぎパイファクトリーにも及ぶ。
ちょっとどれほど実ったパイがあるかすぐに駆け付けたくても、
そうはいかない距離である。パイから現実に戻り、
大阪~静岡間の中からイトウを探し出す無慈悲な旅を想像するだけで、
床に背中を放り出したくなる。
I川を筆頭に他も全長150km級の一級河川が名を連ね、支流も合わせた流域面積は、
豊中小学校の何個分に相当するのだろうか。
ふと疑問に思うのはそんなことばかりでなく、
北海道はこれだけ雄大な水を湛えていながらイトウの生息数が少ないと
される謎だ。よほど生息環境の悪化が著しいのか、
生息状況を把握しきれないのか。
イトウが不名誉なレッドリスト入りしている事実を
なかなか信じられずにいるのだけど、
それが生息環境の悪化によるものだとするならば、
人間の悪行に呆れるほかない。
幻と呼ばれるほど生息数の乏しい魚を釣り上げて喜ぶのは
どうにも潔くないし、
イトウにとって劣悪な環境の川で糸を垂らすことに心も踊らない。
ただ救いなのは、これまで出会った幾人の釣人から教わった、
イトウは幻ではないとする現実的な情報。
もしかするとイトウの個体数をデータとして示すことができる研究者は、
訝しむのかもしれないけれど。
僕はイトウを釣ることの意味として、
数十年に及んで憧れの魚だったからだけでなく、
足を使い、この腕をもち、自分の目でイトウの現状を知りたい。
まあ俗な言い方をすれば、イトウが少ないってほんまに?である。
不祥ながら、これまでの経験を武器にイトウを探してみましょう。












  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年02月08日

イトウは心に宿る13

北海道釣行日を決め、航空券を入手。
お次は現地での移動手段を決めるのだけど、
機動性に優れ風と友達になれるバイクか、
積載能力だけが魅力のつまらない車にするか
一応天秤に掛けてみるが、
フルサイズのスーツケースの存在が強大すぎるため、
現実を鑑みれば瞬殺でレンタカーに軍配が上がった。

こうして全ての決め事を自分で考え組み立てるのだけど、
目的地が遠いとはいえそこは日本。
通貨や言語の違う海外釣行ならいざしらず、
円が使えて日本語が通じ、通信環境だって整っているのだから、
なにも難しいことなどなく、とんとん拍子で決まっていく。

海外旅行と違い国内旅行で最も安心していられるのは、
狂犬病や黄熱病などの予防接種が不要なのと、治安が安定していること、
そして人間を餌と認識している大型ネコ科動物や巨大爬虫類がいないこと。
背後から追い剥ぎに合い全裸にされ、
とぼとぼ森を彷徨っているとなにやら視線を感じ、
樹上を見上げるとジャガーと目が合い、
俊足で逃げおおせたものの、
水辺に潜んでいたアナコンダに巻きつかれて
窒息するなんてあぁいやだいやだ。
同じ窒息するなら豊に実った胸の谷間でいかせてください。
怯えながら糸を垂らすなんてできやしない。
魚釣りは平和の象徴なのだから。

とはいえ北海道には日本最大の陸上動物が生息しており、
北海道釣行の難敵エゾヒグマの存在を無視できない。
バサー用語でいうところのベイトフィッシュならぬ、
ベイトヒューマンとして人間を捕食対象にしていることはないはずだが、
遭遇しないよう何らかの対策を練らねばならず、
エゾヒグマの習性などをつまびらかに調べた。

エゾヒグマの被害に遭わないためのサイトが色々あるけれど、
「一番大事なのはヒグマに会う場所へ行かないこと」
などと幼稚なことを冒頭でほざくサイトは閲覧するだけ時間の無駄。
日焼けしない方法は押し入れから出ないことと同義である。

一般的に効果が謳われる熊除け鈴だが、僕は大いに疑念を持っており、
熊除け鈴の効果に懐疑的だ。
なにより耳を澄まして山の環境音を感じているのに、鈴の音は耳障り。
ではどうするかと申すれば、
渓流で実践しているツキノワグマ対策そのままで、
しかしながら具体的な詳細を明らかにするのはやめておく。
ツキノワグマ生息地に人一倍足を踏み入れてきたのに
今日まで被害に合わずにいるが、
僕のクマ対策を紹介して真似た誰かがクマに食べられたら腹を抱えて、
もとい寝覚めが悪くなるし、良心の呵責に苛まれてしまう。

エゾヒグマの習性や行動を調べていると次第に興味が湧いてきた。
北海道にしか生息せず、北海道でしか見られないのなら、
願わくばエゾヒグマを探して撮影したい気持に駆られる。
だが、折しも北海道の人々を震撼させるOSO18が注目され始めた。
コードネームOSO18の由来は、
最初に被害が発生した標茶町オソツベツの地名による。18は前足の幅。
まったくもってなぜこのタイミングで。
これは天の啓示なのか、行くべきではないとの暗示か、
だとしても尻込みしたくないのが本音である。
だが不吉な映像も浮かんでくる。

「道外から来た釣人にOSO18のベアークローが直撃して瀕死の状態です」
などと若い女子アナが読み上げるニュースが全国のお茶の間に流れ、
コメンテーターが
「ラーメンマンの左側頭部に突き刺さったアレですね」
「アレをくらったらそらそうよ」なんてのたまうに違いない。

クマはクマでも鷹の爪レオナルド博士は大好きなんだけど、
OSO18と仲良くなれそうにない。
ならば万が一エゾヒグマに襲われたことを想定して反復練習あるのみ。
真っ直ぐ襲い掛かってきたら直前まで我慢して紫電一閃、猫騙し。
念の為、近親者に今回ばかりは命を危険に晒す釣行になることを伝えた。

魚釣りなど所詮は遊びの枠組みから出ないものと考えているのに、
こうまでしなければならない魚釣りもある。
身近にあるいつもの水辺と違う緊張感。
やすやすとイトウに辿り着けないようだ。







  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年02月06日

イトウは心に宿る12

イトウが好む生息環境や釣り方を想像できないのは、
自分がイトウを釣る領域に達していない証拠だと考えており、
経験値が足りない低次元のまま北海道の大地を踏んだところで何ができよう。
そう考えていたのに、近年になり焦りが生じてきた。
2019年から始まったCOVID-19の脅威は世の中を搔き乱し、
身近に刻々と迫りくる恐怖に怯えた。
幸い自身も近親者もウイルスに罹患したことはないけれど、
基本的な感染予防により年に一度は経験する、
ちょっと喉が痛いとか、熱っぽいなどの体調不良とは無縁になったのは、
まさに怪我の功名と言えよう。
死を予感させる感染拡大がいつ終息するか見通しが立たない不安が
コロナショックとなり、経済は世界的な株価暴落を呼んだ。

そして追い打ちを掛けるようにウクライナの悲劇が起こった。
これは他人事では済まされず、
悪影響が今まさに他国に日本に我々の生活に及んでいる。
各国がより良い世界経済の実現に注力すれば
世界中の人々が幸せに暮らせるというのに、
おつむの弱いロシア政権は、人間社会に巣くう癌細胞だ。
近い将来、狂人の銃口が日本に向けられても不思議ではなく、
そうなれば魚釣りどころではない。
愛する人を守るべく、ちょっと行ってくると立ち上がることになるだろう。
人殺しハゲチャビン老害の暴挙により、
穏やかに暮らしたいだけの我々が渦中に巻き込まれる理不尽を許すまじ。
一対一だと軟弱な腰抜けジジイが調子乗りやがって。

忘れてはならない最大の脅威も待ち受けている。
近い将来必ず起こるとされる南海トラフ大地震だ。
科学的証拠しか信じない者もいれば、
都市伝説と笑い飛ばす者もいるが、
証拠を示すことができないオカルトとは無縁に生きる僕は前者だ。
自分が生きている間に大地震が来る確率が高いのならば、
周囲の人々を守り、助け、復興に寄与できる現在に
大きく揺れてほしいと常に構えてきた。
大地震が来るならできるだけ早く今すぐにでもと。
ところが、自分や近親者の身に重大なことが起きてしまい、
さらには復興に膨大な時間を要するとなれば、
今日を生き抜くことだけで精一杯になり、
北海道への釣り旅は夢まぼろしとなってしまう。

これら三大不安要素が頭に渦巻き、
北海道釣行を決めさせたのは間違いない。
行ける時に実行へ移すことの大切さを知る。

では、これまで積み重ねてきた魚釣りの経験値はといえば、
その領域にまで達しているらしく、
イトウを釣り上げることは難しいことではなく、
容易であるとさえ思えた。

そうと決まれば・・・・・・何から手を付けようか。
北海道まで行く手段を飛行機とするならば、
持ち込めるロッドケースの寸法を決めねばならず、
そうすると持って行けるロッドが限定される。
ならば車でカーフェリーはどうだろうとか、
航空会社によっての差はどうか。
そもそもどこの空港からどの空港に降り立つのかも決めておらず、
バイクで行くのも楽しそうね、なんて妄想が膨れ上がる日々。
全て自由、全ては自分次第。

ある日、北海道アメマス釣行経験者であるG県の釣友が、
琵琶湖で取材釣行をしていた。
朝から冷やかしに行く予定だったが、
取材に参加されている皆様方の平均年齢を上げてしまうことに
申し訳なさを感じ、躊躇して見送った。
すると釣友が現地から景気の良い報告をしてくれた。
荒天の中で皆様が快調に釣っているらしく、
魚釣りの楽しさのおすそ分けは、
自分で釣るより嬉しくなるのを知る。

そんなやりとりの最中、釣友に北海道釣行を仄めかすと、
速攻で航空券を手配するよう助言された。
うっ、確かにそうだ。
なにはともあれ先にせねばならない。
すぐさま予約サイトを確認すると狙っていた日にちの便は
一日一便しかなく、目が点になる。
なにこのローカル感。
いや、そもそも降り立つ空港がひとつしかなく、他の選択肢はない。
さらに出発日は七十日も先だというのに、
残り席が埋まりそうになっているではないか。
迷っている時間はない。
ままよと往復の席をおさえることに成功。
予約完了の画面を確認した瞬間から遠い日の記憶が溢れ、
しばらくの間、天井を見上げていた。
積年の想いがいよいよ形になる。











  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年02月01日

イトウは心に宿る11

アカメが泳ぐ水辺に行くと出会った釣人達から、
尋ねてもいないのになぜかイトウ情報を聞かされた。
その釣人達はリタイヤ組で、
奥様と不仲で自分の家なのに居ずらいのか、
もしくは追い出されたか、
ご年齢から早くに奥様を亡くされたのかもしれないと想像もできるが、
いずれにせよ家から遠く離れた地で連泊し、アカメを狙っているらしい。
期間を決めずやりたい放題の釣旅が羨ましい・・・・・・と
思うわけがなく、
女とラブラブする方がいいに決まっている。
ジジイ達に選択肢があればアカメより女だろう。
多くの釣人は異性に相手をされないから、
魚にナニかを求めているはずだ。異論は認めない。
そんなアカメジジイ達から、
僕もイトウを釣りたいと勝手に決めつけられているようだが、
あろうことか図星である。

ジジイ達はきっと寂しいらしく、
誰かと会話したいのがよくわかるので、
アカメだろうがイトウの話だろうが頑なに拒むことをせず耳を傾ける。
そこで幾人の話をまとめると、
イトウは幻ではなく釣るのは楽勝であるらしい。
それだけ個体数が多いという証明ならば素晴らしいことこの上なし。

幻の魚なんていらない。
幻の魚に価値を見出すなど大きな勘違い。
天然魚が絶滅寸前になり、
幻なんて呼ばれるような不幸なことがあってはならない。

釣るのが楽勝なほどイトウの個体数が保たれているならば、
胸を撫で下ろす。
ただし、だ。
異口同音に同じ川の名前を挙げるのだ。
もしかして皆が同じ川で釣っている理由は、
個体数が多く簡単に釣れることで有名だからなのか。
もしくは個体数は多くないけれど、
実は何度も釣られるイトウがいることで、
それを知らずよく釣れると評判が立つのだろうか。
真相はわからない。
そしてここでもイトウのメーターを狙っているという
話になるのだけど、
そうなるとせっかくの釣り談義がしらける。
成長が他の魚類より極端に遅いイトウのメーター級に
価値があるのはわかるけれど、
大きく育った要因や環境の健全さを評価するのでなく、
ただ数字が欲しいというのが釣人らしい。
例えば渓魚釣りに聞く、泣き尺という表現に違和感がある。
まあそんな滑稽な表現をする釣人と交わることは
今後もないからどうでもいいのだけど。

ジジイ達から聞かされたイトウ生息河川情報は非常にありがたく、
おかげでその川へ行かないで済む。
イトウが楽勝で釣れる川なんて答えを聞いて行くほど
僕の情熱はぬるくないし、
イトウ釣人が集まる場所に行きたくない。
まあなんと素直じゃないのでしょう、
他人の意見を聞き入れて行けば近道なのに。
それにインターネットで『イトウ釣り ポイント』と検索し、
答えを見つけるのも実力の内とみなされるプログレッシブ時代なのに。
ヤフー知恵袋にイトウのポイントを教えてくださいなんて
質問と回答があっても不思議ではなく、
人には想像もできない色々な人生事情が隠されているので、
悪いことではないし否定もしない。
仮に僕が医者から余命を宣告されていたら、
形振り構わずあらゆる手段を用いてイトウを釣るかもしれない。
だけど健康に恵まれた現在の僕はイトウを求める守旧派・保守的・
コンサバ・ブラックシープ。


ではイトウのポイントをどうやって知るのかといえば、
いつか行く時のためにスクラップしてきた紙の資料がある。
古いもので昭和五十六年からあり、
バックナンバーで取寄せた書籍も数冊ある。
フィクションとはいえ釣り漫画では実在する川が舞台になっていたし、
ただこれら書籍に紹介される川の現在の状況はわからず、
確かに当時はイトウが生息していたのだろうが、
現在は絶滅しているかもしれないし、
禁漁区になっている可能性も否めない。

禁漁区でも採捕禁止でもないけれど、
生息数回復のためにイトウを保護している河川もあるようで、
地元有志が大切にされているイトウを釣るような無粋なことは
したくないのでこういった場所には行かない。

また、イトウを養殖して放流している場所もあるという。
たとえ北海道であっても念願のイトウが養殖魚というのは残念すぎる。
誤解無きよう補足すると、これはスレてしまった自分の考えであって、
放流魚や養殖魚、はたまた釣堀で喜ぶ方を蔑視するものではない。

さらには人工物が施されている場所で糸を垂らしたくない。
例えば堰堤や石積みなど護岸された岸。
釣人の姿が見える場所もやめておこう。
大自然の懐に潜り込み、
広大な湿原の中で人智を試されるとしよう、と考えていた。
しかしながらイトウを釣ったから後出しジャンケンで
書いているのかと思われそうだが、出発前の矜持である。










  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年01月30日

イトウは心に宿る10

これまで北海道の大地を踏んだことがないのに、
イトウとニアミスする不測の事態に遭遇した。
イトウに関する資料を紐解けば、本来の生息地は北海道と、
過去には東北とある。
それなのに、あぁそれなのに、兵庫県の老舗ニジマス管理釣場では、
お正月のお年玉としてイトウが川にぶち込まれ、
ニジマスに交じり大きなイトウが泳ぐ姿を確認できた。
養殖イトウに罪はないけれど、
釣堀の養殖魚を釣って感動なんてできやしない。
管理人のジジイが僕に言った。
「今日はイトウを釣らないと価値がないぞ」
もう苦笑いをするしかなかった。
養殖イトウを釣ることに価値があるのか甚だ疑問であり、
いちいち反論するのは時間の無駄である。
誤解なきよう補足するなら、
釣堀の魚を釣って感動できる釣人を見下すつもりはない。
喜べることは幸せなことで、
純真無垢な心が消失した僕が不幸なのだ。
養殖魚ではないけれど、
釣人の多くに歓迎されない魚を喜べる人がいる。
ある時、隣でサビキ釣りをしていたカップルがボラを釣り上げ
歓喜していたのを見て、
これが魚釣りの本来の姿だと再認識した。
ボラを水に帰さず陸に放置する外道釣人と、
どちらが幸せな時間を過ごせたかは明白だ。


こんなこともあった。
上流にはニッコウイワナ・ヤマメが泳ぐ西日本の川の漁協組合員が、
イトウを放流する計画があると誇らしげに言った。
恥を忍んで白状すると、その組合員は叔父だ。
僕はそんなことをするものではないとジジイ、
いや、叔父に苦言を呈した。
イトウだけでなく、なぜ本来そこに生息しない移入種を放流するのか。
外来魚が侵入することで食い分けや棲み分けによる生態的地位が崩れ、
または遺伝子汚染と呼ばれる同種や近似種間の交雑により、
在来種は絶滅の危機に瀕する。絶滅すればもう二度と出会えない。
在来種への計り知れない影響など考えたこともないだろうし、
放流しなければ釣人がお金を落としてくれない。
川に訪れる釣人の多くは釣れればなんでもいい。
この悪循環。

イワナという標準和名の魚はいない。
分類学上ニッコウイワナ・ヤマトイワナ・ゴギ・アメマスなど、
イワナ属にはそれぞれ名前があり、
各生息地の特徴を備えた個体も存在する。
それなのにイワナを一括りにして放流し、
ヤマメ生息地なのにアマゴを放流するからサクラマスも帰ってこず。
釣れればなんでもいいという意味を履き違えた漁協組合員と、
釣れない天然魚より釣れる外来魚を歓迎する釣人達。

漁協の事務所には「外来魚密放流STOP!」のポスター。
外来魚とはサンフィッシュ科だけではないのだよ。
こんな漁協で鑑札を購入すると、
そのお金で漏れなく国内移入種が放流される。

自然の川でする魚釣りがこんな低次元でいいのか。
海外にみる厳格なレギュレーションが日本の河川にも整っているなら、
高価なライセンス料を支払う価値があると僕は思っている。
思うだけでなく、微力ながらそれに向かって文章にしたためている。
きっと読者の心に届くはずだ。

北海道の河川には天然魚が泳ぐ。
天然というのは、人為が加わっていない自然のままの姿。
禁漁区や採捕禁止魚種もあるが、
イトウを釣る河川は遊漁料が不要で、そこに泳ぐ魚達は全て天然魚だ。
なんと素晴らしいことだろう。
国内に楽園があった。

楽園であることの真相は、
毎年のサツキマス詣で知り合った釣友の話にもあった。
彼の北海道アメマス釣行を聞いたのは、
いつものツンデレ鉄板焼き屋だったか。
スマホに映し出されるアメマスの数々を見せられ、
その素晴らしさに感嘆の溜息が漏れる。
彼はこれでわかったと言う。
魚が豊富だといつもの釣り方で簡単に釣れるのだと。
重要なのは魚が健全に生息できる環境であることに
気付いたのは大きな収穫で、まさにその通りだ。
行程難度が高く釣人が寄り着かない源流、
もしくは適切に再放流がされている渓流であれば、
イワナ属を釣ることに難しさは伴わない。
むしろ最も簡単に釣れる魚のひとつだといえる。
ゆえに沢山釣ったことの自慢をするのではなく、
それは生息場所が健全であることの証明でありたい。

釣りあげた渓魚を台所にぶちまけた釣果画像と共に、
最近釣れなくなってきたなどと文章が添えられたのを
目にした時は、まだこんな前時代的釣人がいるのかと
冷ややかな目つきになる。
ただし漁協が放流した移入種であれば、
持ち帰って胃袋に入れるのは大賛成。

このような考えを他人に強制するのではなく、
考えの違う人と交わることをしないだけ。
同志を募っているのでもなく、
大事なのは自分はどう考え行動するのかだ。









  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年01月28日

イトウは心に宿る9

イトウを釣る強い決意を持った人と、これまで出会ったことがなかった。
魚釣りが大好きなのに、イトウの存在を知らない人だっている。
そのことに違和感があるのではないけれど、
僕は釣り界の思潮が異なっていることを理解していた。

これまでの魚釣り仲間は『同級生も魚釣りが好き』だった。
それが時代と共に娯楽の選択肢が増え、魚より女になり、
生活環境の変化も加われば釣具にほこりが積もり、手放す者もいた。
一番の友人であり釣友だと思っていた奴は、
マルチ商法に溺れたことで縁を切った。
マルチ商法だの宗教だのは、親身になって勧誘してくるから厄介で、
とうとう本気でこんなことを言い出した。
「大金持ちになれるのは間違いなく、冗談じゃなく俺はAダムを買い取り、
Aダムから邪魔な俄かバサー共を締め出す」
どんな虚辞をアムウェイで教わったのか想像できて面白いが、
もうちょっとこう真偽を見抜く慧眼を持たないと。
脱会して数十年経過して、どこぞの新興宗教が販売する、
一本数千円もするただの水、いや、ありがたーい水が封入された、
なんとか力水という名前のペットボトルが、
風邪に効果的だから買っているなどと真顔で報告された日にはもう。
科学で証明されていないことを鵜呑みにする思考力に脱帽。

とある高名な寺院の厠の側で湧き出したありがたい水を封入し、
飲むだけでボーズ回避・大物必釣・性欲増強、
その名を釣神水(ちょうしんすい)という、
実はただの水道水を売り出したら、
購入する釣人が一定数いそうだな。毎朝定期便でお届けします。

楽園を夢想していた彼だったが、熱心な勧誘が仇となって友人達は去り、
酒癖の悪さも災いして嫁と子供に逃げられ、
同窓会ではトラブルを起こして総スカンを食ったらしい。
少年時代はいい奴だったのになあ。
この先、事件を起こしたなら断腸の思いで挙手して
報道関係のインタビューにこう答えよう。
すりガラス越しに肩を震わせハンカチで目頭を押さえながら
ボイスチェンジャーの音声で、アイツならやると思っていました。


魚釣りを続けていると、『魚釣りが好きな人』と出会う機会が増えた。
生まれた場所も違えば育った環境も違い、
義務教育で習ったのでもないのに、
魚釣りが好きという人達が世の中にいる。
その中には、休日に晴れたら魚釣りに行くというソフトなスタイルから
休日の天気予報が雨模様であろうと気持ち昂るハード・スタイルに、
休日じゃなくても雨だからスクランブルする、愛すべきエンスージアまで。
その中にイトウを釣ってみたい気持ちのある人達が現れた。
イトウに思いを寄せる強さはまちまちだが、
どうもイトウを釣りたいという気持ちの根源は、
メーターになる淡水魚を釣ることにあるらしく、
即ち1メートルを超えるイトウを釣るのが目的であると。
良いとか悪いではなく、本質的な部分で僕と考えが違うようだ。

知り合いの方々からイトウを狙いに行く報告をいただく。
ここも一貫していたのが単独釣行ではなく、必ず同行者ありだ。
その理由を深く考えたことはないが想像するに、
心強さによる不安の払拭、ポイント探しの効率、
エゾヒグマからの危険回避、費用の割り勘、
喜びを共有することで感動が増幅する、etc...。
排他的で一緒に行ける同志がいない寂しい単独釣行より、
利点が大きく実に理想的。
なんだったら同じハンチング帽にフィッシングベストを着用する
双子コーデで、ザ・釣り仲間という雰囲気を前面に押し出していればなお素敵。
一緒に赤鬼退治に行こうぜ兄弟、みたいな。

誰がイトウを釣ろうと僕には関係ないことなので、
焦りも妬み嫉みもあろうはずがなく、
むしろ釣ってもらいたいのに手強い魚なのだろうか、
残念ながら一度も吉報が届くことはなかった。
これが自分の子供なら、
普段から身近な魚を独りでそつなく釣れるようになり、
生息環境に目を向け、周辺の生き物にも興味を持ち、
たまに冒険釣行で経験値を上げることが大事だと助言をするけれど、
まだ北海道の大地を踏んだこともない自分が、
そんな大それたことを他人にするのは恥でしかない。
ましてやブルーギルの餌釣りからやり直せとか、
堤防のサビキ釣りに習えなど心に思っても、
口が裂けても言ってはならないし、文字に起こすなど以ての外だ。
釣れなかったとしても、
なにはともあれ遠く離れた北海道までの日程を調整し、
現地の水辺に立てることの行動力に拍手を送りたい。

イトウ釣りのガイドを申し出てくれた知り合いもいた。
良心的な宿からイトウが泳ぐ姿まで案内できるという。
そんなに釣りたいならお世話をするし、喜ぶ顔を見たい。
そんな至れり尽くせりのお膳立てだったが、丁重にお断りした。
御厚情に感謝しているが、
乱暴な言い方をすれば、余計な御世話。
『初魚に勝るトロフィーはない』という至言があるように、
初魚は一生に一度の経験であり、
そこに辿り着くまで近道をするほど感動が薄くなるのを、
これまでの経験で知っている。
近道してもいい魚種もいたが、やはりそれなりでしかない。
だがイトウは違う。
お膳立てで釣らせてもらった魚では、
僕が理想とする本物の感動を呼び込めない。
その本物の感動という偶像を手に入れるには、
自力で求めることでしか到達できない。









  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ

2023年01月24日

イトウは心に宿る8

イトウを釣ることを目標に掲げていたが、
それを実現させるのはいつしか、
人生の最後の方でいいと思うようになっていた。
安易に夢を食い潰してはいけない、
それだけ大切な存在なのと同時に、
イトウを釣ってしまうことで、大事な何かを失うことを恐れた。

比較的穏やかな人生を送っていたはずが、
不穏な雲が広がり、風が吹き、波に襲われ、
順風満帆に行かない人生になっていた。
地球から遥か遠くにある月の引力により、海には潮汐が生じる。
それは見えない力であり、不可抗力である。
潮汐が如く世界経済の潮位は上げ下げを繰り返し、
不意に不況の波に溺れる。
長年に渡り乗船していたのは大船ではなく笹船だった。
大きく揺られ今回乗り越えた所で、次の大波でも浸水は免れない。

求職では年齢でスタートラインにも立たせてもらえず、
面接にこぎ着けても、
社会的評価に値する肩書きが役に立たない。
社会は僕を必要としていないと感じ始めた頃、
この世を去らんとする人の気持ちが理解できた。
住宅ローンが終わり保険金がおりて家族は助かる。
それは誤った選択だと分かりつつも、誰もが強靭な心を持っていない。
電車に飛び込む悲痛な事故を知った時、
身近に困った人がいれば手を差し伸べたいと言った釣友と、
ダイヤが遅れて迷惑だと吐き捨てた腐れ外道がいた。
対照的意見を持つ二人と過去に、
それぞれ魚釣りをしたことがあるけれど、
魚釣りは人間性が顕著に表れるというのは周知の通りで、
なるほど納得であった。
僕の人生に必要な釣友は前者であり、
彼もまた辛さを知り、苦しみを乗り越えた人間味ある人柄。
魚釣りのスタイルにも深く頷いたし、他に類を見ない。
後者のゴミは着信拒否登録のちアドレス帳から削除。

辛い現実に踵を返したくなった時、
心を優しく撫でてくれたのが水辺に立つ時間であり、魚達であった
本当に辛い時は魚釣りなんてできないという考えもあるが、
それもひとつ。
きっと魚釣りに対する根本的な温度差なんだと思う。
一時凌ぎであっても僕は救われた。

意中の魚イトウが心に宿る。
志半ばで去ることは痛恨の極み。
湿原の川に立つまで歩みを止めてはならない。

粘り強さが功を奏し、おかげで社会復帰できた。
そのタイミングというのが、
気分転換にスーツと革靴を脱ぎ、
ウェーダーに履き替え真夏の渓へ逃避行。
お盆は殺生するなと祖母に散々忠告されてきたのに、
いつもはいはいと返事は二回。なんと罰当たりな。
なんちゃってグレート・エスケイプで気分一新し、
帰ってくるなり採用をいただいた。

今だからあえて嫌な事を述べると、
面接で不採用にしてくださった企業はCOVID-19の荒波により、
ことごとく悲惨な状況に陥いり、
さらに余波に耐え切れず沈没したところもあったようだ。
もしこれらのどこかに就職していたなら、
こうして厭味たらしく文字を打ち込むこともできず、
想像するだけで背筋が凍る。
誤解無きよう補足すると感謝の気持ちはあれど、
恨みなどあろうはずもない。
今回はご縁がなかったということで。

日々を頑張る目標のひとつに、
イトウのような存在が鎮座する釣り人生。
お皿に乗った垂涎の的に箸を伸ばすのは最後のお楽しみ。








  

Posted by Миру Україні at 07:07イトウ