2023年01月23日
イトウは心に宿る7
世界で最も南に生息する降海型サケ科といえばサツキマスだ。
統計では年々遡上数が減っているらしく、
出会うことの難しさに拍車を掛けた。
同じく降海型サケ科のサクラマスは、
初魚まで五年も掛かった最高難度の魚。
しかしながら北海道ではイトウ釣りをしていて
釣れてしまうほどサクラマスの遡上が多いらしく、
また樺太に生息するシーマ(サクラマス)も数が多いので
釣るのは難しくなかったと経験者が語っていた。
生息数が多いのは素晴らしいこと。
ならば釣れにくいのは個体数の少なさが問題であり、
これまでの釣り方が間違っていたのではないことを証明すべく、
北海道でサクラマスを釣りまくってやると息巻いたが、
規則で河川に入ってきたサクラマスを釣ってはいけないことを知った。
あぶないあぶない、ならず者になるところだった。
希少な魚といえどイワナ属を釣ることは難しくない。
生息場所に辿り着けばゴギは一投目から喰ってきたし、
ヤマトイワナもルアーに追尾する姿を数投目で確認できた。
厄介なのはサクラマスやサツキマスなどのアナドロマスである。
海から淡水域に入り生殖腺が発達してくると摂餌しなくなる。
例外もあるそうだが、基本的に摂餌しないとなれば、
他の魚類を釣ることとは大きく異なる。
夜な夜な群れで大宴会のアカメとは正反対に位置する魚だから、
釣るのは困難を極める。
しかも竿を持って川原に立てるのが期間限定というおまけ付き。
おかげ様で遡上数少なく摂餌しないアナドロマスのあまりの釣れなさに、
魚釣りの基本である大きな気づきを得られたことがある。
魚が釣れない理由は二つしかない。
いるけど喰わないのか、
魚がいないか。
前者なら次の一手を考えねばならず救いはあるが、
もしかして目の前に魚がいなくて、
延々と水溜まりに糸を垂らしているのではないだろうかと
疑心暗鬼が生じてくる。
そうするとなぜ魚が居ないのかの理由を考えねばならず、
うな垂れるしかない。
もっと簡単に釣れてくれたらいいのに。
いると信じてなんとか喰わせようと粘るか、
ここにはいないと見切るかの判断を迫られる。
粘りか見切りか。
僕は見切りに重きを置くことが多い。
もう少し粘れば良い結果が生じたかも知れないが、
粘って良い結果が出たことは経験上少ない。
自然現象でいつかは雨が降る。
雨雲が水を垂らすまで祈り続ける祈祷師のように、
釣れるまで糸を垂らすシャーマンの雨乞い釣法など僕には無理。
暗中模索するほど根が生えるのは仕方のないことだけど、
やっぱり単独釣行がいいと思えることがある。
ここで粘っても釣れないと判断して移動したいのに、
同行者がもうちょっと投げたいなんて言い出すと足枷でしかない。
いつまで水溜まりに糸を垂らしているのだい?と思う一方、
相手は納得いくまで竿を握って離さない。
どちらが正解なのかわからないけれど、あぁ面倒くさい。
ところが、見切りの早い釣人が稀にいる。
場数を踏んだ、名人と呼ぶに相応しく、
短時間でその場の状況を知ることができて百人力。
荒ぶる波と潮騒の砂浜でやった鱸釣りが思い出され、
あれは一生記憶に残るであろういい釣りだった。
直近で釣ったアカメとヒラスズキが霞そうで困ります。
釣れないのはなぜか。
魚はどういった状況なのか。
それを想像するのが魚釣り。
水中の出来事が手に取るようにわかれば
一日に百尾くらい楽釣なのだけど、
現実はボーズの山を築き上げるばかり。
修行のような魚釣りで鍛えられ、経験値が増していく。
きっと意中の魚イトウに出会える。
統計では年々遡上数が減っているらしく、
出会うことの難しさに拍車を掛けた。
同じく降海型サケ科のサクラマスは、
初魚まで五年も掛かった最高難度の魚。
しかしながら北海道ではイトウ釣りをしていて
釣れてしまうほどサクラマスの遡上が多いらしく、
また樺太に生息するシーマ(サクラマス)も数が多いので
釣るのは難しくなかったと経験者が語っていた。
生息数が多いのは素晴らしいこと。
ならば釣れにくいのは個体数の少なさが問題であり、
これまでの釣り方が間違っていたのではないことを証明すべく、
北海道でサクラマスを釣りまくってやると息巻いたが、
規則で河川に入ってきたサクラマスを釣ってはいけないことを知った。
あぶないあぶない、ならず者になるところだった。
希少な魚といえどイワナ属を釣ることは難しくない。
生息場所に辿り着けばゴギは一投目から喰ってきたし、
ヤマトイワナもルアーに追尾する姿を数投目で確認できた。
厄介なのはサクラマスやサツキマスなどのアナドロマスである。
海から淡水域に入り生殖腺が発達してくると摂餌しなくなる。
例外もあるそうだが、基本的に摂餌しないとなれば、
他の魚類を釣ることとは大きく異なる。
夜な夜な群れで大宴会のアカメとは正反対に位置する魚だから、
釣るのは困難を極める。
しかも竿を持って川原に立てるのが期間限定というおまけ付き。
おかげ様で遡上数少なく摂餌しないアナドロマスのあまりの釣れなさに、
魚釣りの基本である大きな気づきを得られたことがある。
魚が釣れない理由は二つしかない。
いるけど喰わないのか、
魚がいないか。
前者なら次の一手を考えねばならず救いはあるが、
もしかして目の前に魚がいなくて、
延々と水溜まりに糸を垂らしているのではないだろうかと
疑心暗鬼が生じてくる。
そうするとなぜ魚が居ないのかの理由を考えねばならず、
うな垂れるしかない。
もっと簡単に釣れてくれたらいいのに。
いると信じてなんとか喰わせようと粘るか、
ここにはいないと見切るかの判断を迫られる。
粘りか見切りか。
僕は見切りに重きを置くことが多い。
もう少し粘れば良い結果が生じたかも知れないが、
粘って良い結果が出たことは経験上少ない。
自然現象でいつかは雨が降る。
雨雲が水を垂らすまで祈り続ける祈祷師のように、
釣れるまで糸を垂らすシャーマンの雨乞い釣法など僕には無理。
暗中模索するほど根が生えるのは仕方のないことだけど、
やっぱり単独釣行がいいと思えることがある。
ここで粘っても釣れないと判断して移動したいのに、
同行者がもうちょっと投げたいなんて言い出すと足枷でしかない。
いつまで水溜まりに糸を垂らしているのだい?と思う一方、
相手は納得いくまで竿を握って離さない。
どちらが正解なのかわからないけれど、あぁ面倒くさい。
ところが、見切りの早い釣人が稀にいる。
場数を踏んだ、名人と呼ぶに相応しく、
短時間でその場の状況を知ることができて百人力。
荒ぶる波と潮騒の砂浜でやった鱸釣りが思い出され、
あれは一生記憶に残るであろういい釣りだった。
直近で釣ったアカメとヒラスズキが霞そうで困ります。
釣れないのはなぜか。
魚はどういった状況なのか。
それを想像するのが魚釣り。
水中の出来事が手に取るようにわかれば
一日に百尾くらい楽釣なのだけど、
現実はボーズの山を築き上げるばかり。
修行のような魚釣りで鍛えられ、経験値が増していく。
きっと意中の魚イトウに出会える。
2023年01月21日
イトウは心に宿る6
魚釣りの幅が広がるにつれ、
四季の釣りを意識するようになった。
季節の移ろいに美を感じられる我が国日本の水辺で、
糸を垂らすことのしあわせ。
世界を俯瞰すれば小さな国だけど、
先進国でありながら多様な生物が身近に生息するのは
世界的にも珍しいという。
幼少の頃から生き物図鑑を眺めるのが好きで、
動物に昆虫や爬虫類にも興味を持ち、
身近な小さな生き物を捕まえることも好きだった。
その中でも水の世界に住む魚は簡単に姿を見られないことから、
神秘的で特別な生き物としての認識があった。
そんな魚達との出会い方は釣りという手段。
この方法に楽しみを見出し、今日まで続けてきた。
魚釣りには段階があるという。
なんでも釣れてくれたら嬉しい第一段階。
数釣りをしたくなるのが第二段階。
数より大物指向の第三段階。
魚釣りを始めた小学一年生の頃にはすでに、
数も大物も釣りたい欲求が芽生え、
非常に欲深かったことがうかがえ誠に恥ずかしい。
そして数や大きさに囚われることなく
一尾に出会うまでの過程を楽しむ釣りが第四段階。
数を釣って悦に浸るのでもなく、
単一魚種の大物だけを追うのでもなく、
ましてや他人と釣技を競うために魚を利用するのでもない。
いつしか自分が魚釣りをする意味に変化が生じてきた。
身近な水辺で旬の魚を釣って季節を感じ、
ある時は未知の初魚に想いを馳せる。
魚類図鑑を開けば知らない和名の魚がおり、
日本各地にはその土地にしか生息しない魚がいるという。
その魚達に出会うにはどうすればいいか。
なにはともあれ生息地を調べることから始まるのだけど、
その多くは紙の資料から情報を得た。
魚類図鑑はもとより、廃刊なれど先人の苦労と努力が結晶になった
専門書の数々はとても有益だ。
フライフィッシングを通して、
鮭鱒専門書を早い段階から収集していたのは正解だった。
インターネットの情報は無料かつ鮮度があるのは魅力だが、
発信者の透明性がなく、根拠の見えない発信を鵜呑みにするのは危険であり、
慧眼が要求される。
日本の最上流部に生息する淡水魚はイワナ属。
里川で魚釣りを始めた僕にとって、
さらに上流にある川の始まり源流に、
ひっそり息づく魚に憧れを抱くのは自然なことだった。
近畿の河川にはニッコウイワナが多く、しかしそれ以外の一部地域には、
ゴギやヤマトイワナというイワナ属が存在する。
ニッコウイワナと同じく、
ゴギやヤマトイワナが生息するのは山岳の清冽な流れ。
ここでは大型哺乳類との遭遇も危惧され、
生息地までに辿り着く過程は危険かつ険しく、
初魚に出会えた時は大きな感動を得られた。
だが日本にはさらに希少なイワナ属が泳ぐ。
世界のイワナ属南限が日本であり、
さらに最南端に生息するのが紀伊山地のキリクチと呼ばれるイワナ。
紀伊山地といえば年間雨量日本一であり、
ニホンオオカミが捕獲された最後の地でもある。
まだ数種、日本にはイワナ属がいる。
それは北海道にしか生息していない。
いわゆる希少な魚はイワナ属だけに留まらず、
誰も居ない夜のしじまに出会った湖北のイワトコナマズ。
天然分布域のオヤニラミ。
命の洗濯という名目で挑戦した初アカメとの出会いには、
七日間を要した。
この出来事を綴ったアカメ釣行記をいまだ賞賛してださる方々がおられ、
長編をまた読ませて欲しいとの声が届くと心を打たれる。
誠にありがたいことだと、
新たな釣旅エッセイを紡ぐことで恩返しさせて頂きたい。
四季の釣りを意識するようになった。
季節の移ろいに美を感じられる我が国日本の水辺で、
糸を垂らすことのしあわせ。
世界を俯瞰すれば小さな国だけど、
先進国でありながら多様な生物が身近に生息するのは
世界的にも珍しいという。
幼少の頃から生き物図鑑を眺めるのが好きで、
動物に昆虫や爬虫類にも興味を持ち、
身近な小さな生き物を捕まえることも好きだった。
その中でも水の世界に住む魚は簡単に姿を見られないことから、
神秘的で特別な生き物としての認識があった。
そんな魚達との出会い方は釣りという手段。
この方法に楽しみを見出し、今日まで続けてきた。
魚釣りには段階があるという。
なんでも釣れてくれたら嬉しい第一段階。
数釣りをしたくなるのが第二段階。
数より大物指向の第三段階。
魚釣りを始めた小学一年生の頃にはすでに、
数も大物も釣りたい欲求が芽生え、
非常に欲深かったことがうかがえ誠に恥ずかしい。
そして数や大きさに囚われることなく
一尾に出会うまでの過程を楽しむ釣りが第四段階。
数を釣って悦に浸るのでもなく、
単一魚種の大物だけを追うのでもなく、
ましてや他人と釣技を競うために魚を利用するのでもない。
いつしか自分が魚釣りをする意味に変化が生じてきた。
身近な水辺で旬の魚を釣って季節を感じ、
ある時は未知の初魚に想いを馳せる。
魚類図鑑を開けば知らない和名の魚がおり、
日本各地にはその土地にしか生息しない魚がいるという。
その魚達に出会うにはどうすればいいか。
なにはともあれ生息地を調べることから始まるのだけど、
その多くは紙の資料から情報を得た。
魚類図鑑はもとより、廃刊なれど先人の苦労と努力が結晶になった
専門書の数々はとても有益だ。
フライフィッシングを通して、
鮭鱒専門書を早い段階から収集していたのは正解だった。
インターネットの情報は無料かつ鮮度があるのは魅力だが、
発信者の透明性がなく、根拠の見えない発信を鵜呑みにするのは危険であり、
慧眼が要求される。
日本の最上流部に生息する淡水魚はイワナ属。
里川で魚釣りを始めた僕にとって、
さらに上流にある川の始まり源流に、
ひっそり息づく魚に憧れを抱くのは自然なことだった。
近畿の河川にはニッコウイワナが多く、しかしそれ以外の一部地域には、
ゴギやヤマトイワナというイワナ属が存在する。
ニッコウイワナと同じく、
ゴギやヤマトイワナが生息するのは山岳の清冽な流れ。
ここでは大型哺乳類との遭遇も危惧され、
生息地までに辿り着く過程は危険かつ険しく、
初魚に出会えた時は大きな感動を得られた。
だが日本にはさらに希少なイワナ属が泳ぐ。
世界のイワナ属南限が日本であり、
さらに最南端に生息するのが紀伊山地のキリクチと呼ばれるイワナ。
紀伊山地といえば年間雨量日本一であり、
ニホンオオカミが捕獲された最後の地でもある。
まだ数種、日本にはイワナ属がいる。
それは北海道にしか生息していない。
いわゆる希少な魚はイワナ属だけに留まらず、
誰も居ない夜のしじまに出会った湖北のイワトコナマズ。
天然分布域のオヤニラミ。
命の洗濯という名目で挑戦した初アカメとの出会いには、
七日間を要した。
この出来事を綴ったアカメ釣行記をいまだ賞賛してださる方々がおられ、
長編をまた読ませて欲しいとの声が届くと心を打たれる。
誠にありがたいことだと、
新たな釣旅エッセイを紡ぐことで恩返しさせて頂きたい。
2023年01月18日
イトウは心に宿る5
渓流でフライフィッシングを楽しみ、
そこから一気に下って大海原へ。
それ即ち川が始まる源流から水深数百メートルへの大移動。
ラインで例えるならティペット0.3号からショックリーダー60号。
フックサイズは#24ミッヂから大型ムツ針へ。
船で沖へ出る魚釣りは非日常的爽快感を味わえ、
水に糸を垂れずとも気分上々。
しかしながら心の奥底には、
決して安くない料金に釣って元を取らねばならないという
卑しい使命感が見え隠れしているが。
なにより海の魚というものは、
淡水魚とは比較にならないほど引きが強く、
これを知らぬまま魚釣り人生を送るのは、
星のない夜空を見上げて満足しているようなもの。
淡水の釣りでロッドのフォアグリップを両手で持たされ、
しかも長い時間耐えなければならない状況はそうあるものではなく、
大型淡水魚代表である四尺上のビワコオオナマズを数尾釣っているけれど、
体重が乗った重い引きはあれど、体格や鰭の形状からしても所詮はナマズ。
ランと形容できるほどの力も速度もない。
事前に設定したドラグが突破され、
飛ぶようにラインが持って行かれることが沖では起こる。
魚釣りの経験値を上げることとは無関係だけど、
釣り上げた魚のほとんどを美味しく頂ける魅力も無視できない。
これまでハマチの刺身の味が苦手で食べられなかったのに、
持ち帰ったハマチの刺身が美味しくて仰天。
サバのお刺身に舌鼓を打てるのも釣人の特権。
禁断の実ならぬ禁断の身とされる深海魚バラムツの刺身においては、
キングオブ刺身だ。この美身いや美味を越える刺身に出会ったことなし。
美味しすぎて箸が止まらなくなるが、
周知のとおり食べ過ぎると自分の意思に反しオイル流出事故を起こす。
これぞ禁断の身たる所以。
釣って好し食べて好しの、
海の船釣りは僕の中の三大楽しい釣りのひとつだ。
船釣りにも色々あるが、
ルアーのキャスティングとは異なる釣法、ジギングが特にいい。
海は時に速い潮流が起こり、それは川の激流と同じ様相を呈し、
場合によっては上層と下層で流れが異なる二枚潮になることもある。
そのような状況下で足元から百メートル、
時に二百メートル先にある鉛の塊を動かし魚を誘うのだから、
海中で起こっている事象を思い描かねばならない。
これにより想像力が養われる。
ジグを操作する動きは大きく分けて二つあり、
誘いの動きと喰わせの動きを組み合わせることで
一連の動きを構成させる。
誘いとはジャークという動き。
ロッドを素早く大きく持ち上げると同時にリールを巻くことで
海中のジグを飛ばす。
そこでラインテンションを抜くとジグの動きは止まる、
もしくは水中を漂う。多くの場合この瞬間に魚が喰いつく。
いわゆるリフト&フォールになるけれど、
こちらもリフト中に喰ってくるのではなく、
軌道の頂点から落ち切る間に喰うことがほとんどではないだろうか。
魚の種類や状況によっては、
ルアーの動きを止めると見切られることもあるが、
誘いと喰わせの動きというのはひとつの技巧であり、
行き詰った状況を打開できるかも知れない重要な要素。
ジギングでも面白い出来事が起こる。
船首に立つ釣人を皮切りに魚が掛かり、
次に隣の人にも魚が掛かりその隣の人にも。
次は自分の番!という緊張感のもとドスン!とくる青物の重量感。
なぜ順番に喰ってくるのか海中の出来事を想像すると納得がいく。
またこんなこともあった。
船中のほとんどが手練れだが、
ジギングに不慣れな釣人のロッドもよく曲がる。
その理由は、手練れの勢いあるジャークに魚が興奮し、
不慣れな釣人のゆっくり動くジグが弱った魚のようで
襲いやすく喰いついてしまう。
これがハマチの時は良かったけれど、
不慣れな方の竿にブリが掛かったとき、彼は根掛かりしたと狼狽する。
ロッドが叩かれているので僕達はブリだと叫ぶも、
あまりの重さに根掛かりだと主張するばかり。
これには船頭も黙っておらず、
巻けーー!とマイクで叫んだが時既に遅し。
斯くして大物は幻となった。
船頭が魚群探知機を駆使して魚群を見つけ、さあ釣れ!と督励するも、
容易く竿は曲がらないジギング。
とはいえいざ喰ったなら、海の魚は引きが強くファイトタイムは長い。
強度のあるタックル構築に、本線とリーダーの結束力や、
事前のドラグ調整がいかに重要であるかを思い知らされる。
完璧でなければ破損に破断で大物は手の中からスルリと逃げてしまう。
身近な淡水釣りでは経験できない、
魚釣りの基本の大切さを学ぶことができた。
魚釣りのほとんどは単独釣行が好きだし、
特に渓流は単独で潜入することに喜びを見出しているのだけど、
海のボート・ジギングとニジマスの管理釣場は、
気の置けない仲間と並んでやるのが最高に楽しいことを
付け加えておきたい。
2023年01月16日
イトウは心に宿る4
第二次バス・ブームとやらが到来した。
俄かバサーが増殖し、馴染みの釣場に群がり不行儀な振る舞い。
それらが釣場荒廃に拍車を掛け辟易していた。
初めて覚えた魚釣りがバス釣りという俄かバサーが身近にも湧いて出たが、
会話を交わしても僕とはスタイルが全く違い困惑するばかり。
他人に釣り勝つことを喜びとし、釣場では先行者への無神経な接近、
産卵床の親魚を狙うことも厭わない。
ラインブレイクしてヘラヘラ笑える神経を疑い、
まるで新興宗教に洗脳された危険な連中である。
水辺に竿を持って立てば一般人から、
ならず者と同じ目で見られるわけで、
こんなのと一緒にされては堪ったものではない。
不逞の輩とは距離を置くのが一番。
次第に僕の魚釣りの舞台はひと気のない渓流へと移り、
静かなフライフィッシングに傾倒していった。
盛夏の渓流なら野生魚が比較的簡単に釣れる。
フライパターンに苦慮することなく、
大きめのドライフライを流芯に落とせば渓魚が飛び出す。
日没が迫れば大きな淵でイブニング・ライズが始まる。
水生昆虫が一斉に水面に浮き上がって羽化する神秘的な時間で、
それ即ち渓魚達にとっては食べ放題の宴会騒ぎ。
水面のあちこちに波紋が広がるのは、ディンプル・ライズと形容される
水面直下にある被食者を捕食している状況。
時に音を立て激しく水飛沫が上がるのは、ライズと形容される水面捕食。
僕はどこへ投げようかあたふたするが、
こんな時はちょっと格好をつけてティペットに
スタンダードパターンのホワイト・ウルフを結んだりして、
場を荒らすことなく沢山釣ろうと手前のライズから狙うという、
まことにさもしい根性を見せる。
稀に訪れる羽化の規模が大きいものをスーパーハッチと言い、
川の饗宴に釣人と魚はさらに狂喜乱舞する。
大きさや釣獲数で他人と競うことに執着せず、
渓流の宝石と呼ばれる美しい姿態にうっとりする。
そんな世界観に改めて釣りの本質を再認識した。
この選択により鮭鱒への知見が広がることになる。
類は友を呼び、フライフィッシングの知り合いもできた。
それらは親世代の年齢の人ばかりで、
子供が自立し親の介護もまだ先の第二遊び盛りの大人達。
しかもお金と時間に余裕があるため海外や北海道にも平気で行ってしまうし、
サクラマスのシーズンともなれば、
釣場の近くにアパートを借りて週末は釣り三昧の
生活を送る暴挙に出る者もいた。
そりゃあんた離婚されても仕方ないわ。
こうした一部反面教師と共に鮭鱒の生態を教わる機会が増えた。
渓流が禁漁期に入ると、
情熱の行き場を失ったフライフィッシャー達が管理釣場に集う。
清浄無垢な渓流魚と違い、管釣りのニジマスは対極に位置する。
魚は居るのに喰わない状況に対し思考を巡らせ、
特殊な攻略法というものを編み出すことに精を出す。
労せずして百尾釣れる管理釣場もあるのだけど、
が手練れ以外はボーズ必至の難しい釣場がいくつかあり、
修練を積むには恰好の場所。
例えばキャスティングに秀でた者のみしか釣れない管理釣場。
対岸際の流れにニジマスが集まり、水深が浅い手前に泳ぐ姿なし。
バックが取れずウェーディングもできない川原では、
ロールキャストかスペイキャストが必須となり、
鬼の形相になる者と、破顔一笑になる者の差が歴然となる。
渓魚とは異なり、
釣られることを学習した放流魚を相手にする場合、
よりフライパターンの工夫が求められる。
なにせ特殊な環境で育っているわけで、
常に釣人に囲まれ、偽物が目の前にぶら下がり、
時に騙され痛い目にも合っている。
重要になる順ではフックサイズと泳層そしてカラー。
いわゆる当りフライを各自持っているが、
それ一種類で一日通せるほど甘くなく、釣れない時間帯が訪れる。
そんな状況を打開すべく次の一手にフライの色を変更してみると、
また釣れるようになることが多く、
色による魚の反応の違いが顕著である。
どの魚種でもルアー・フライの色の変更が効果的だとは
言い切れないけれど、
釣れない時の次の一手として有効になる場合がある。
良心的な管理釣り場では目の前に魚が確実に居る。
しかし釣れないということは、
今やっていることが間違っていることになる。
釣れないフライを何度も投げる釣人と、
次の一手を繰り出し正解に辿り着く釣人。
水辺に横並びで立っていても、
釣れない人とよく釣る人の差が生じる事例。
次の一手が色だけでなく、フックサイズやリトリーブスピード、
アクション、泳層の違いなのかも知れない。
どれが正解かを少ない投数で正確に導きだせる釣人を
釣りが上手いという。
こと管理釣場においては渓流魚に求める気持ちとは違った、
気難しい放流魚相手に頭を捻る自習室。
自習室で学んだ次の一手を模索する思考力は、
あらゆる水辺で生きてくる。
すでに閉鎖されたが、
高難度の管理釣場で驚愕の出来事があった。
水深浅く透明度が高い。魚は少なく大物ばかり。
ここはいつ来ても多くのフライフィッシャーが首を傾げ、
次第に頭を抱え、最後には肩を落として途方に暮れた。
フライを小さくしても喰わない。
ティペットを細くすれば喰うのだけどラインブレイク。
磯釣りのハリスなら細くて強いはずだとか、
友釣りのハリスがいいんじゃないかなど、水辺は敗残者の吹き溜まり。
正解を導きだしたのはフライフィッシングを教えてくれたお師匠さんだった。
キャストした2Xのティペットに結ばれた大型ストリーマーが水に馴染まず
浮いていた所を、ドナルドソンが躊躇せず喰いついた。
我々の目が点になる。
その後は通常のストリーマーの使い方で快進撃となり、
そんなアホなとその場にいた者は膝から崩れ落ちそうになり、
お師匠の独壇場に指を銜えて虚しく傍観。
だって真似ようにも誰のフライボックスにも
大型ストリーマーなんて忍ばせていないし、
そもそも管理釣場に大型ストリーマーを遠投できる
8番ロッドなど持ち込んでいない。
お師匠いわく水面近くを飛んだ大形の蝶にドナルドソンが反応したのを
見逃さなかったと。凄まじき観察力・・・・・・ほんまかいな。
優越感に浸るというのはこういうことかと破顔一笑されると、
ひれ伏すしかなかった。
自然渓流では使うことのないフライパターンを創作し、
キャスティングに磨きを掛け、
なんとか攻略の糸口を見つけてやろうと四苦八苦した感じは、
誰にも褒められることのないゲームソフトを
クリアしようとする姿に酷似した。
なんとか納得できる釣果を出せた時は、
得も言われぬ達成感に浸ることができた。
俄かバサーが増殖し、馴染みの釣場に群がり不行儀な振る舞い。
それらが釣場荒廃に拍車を掛け辟易していた。
初めて覚えた魚釣りがバス釣りという俄かバサーが身近にも湧いて出たが、
会話を交わしても僕とはスタイルが全く違い困惑するばかり。
他人に釣り勝つことを喜びとし、釣場では先行者への無神経な接近、
産卵床の親魚を狙うことも厭わない。
ラインブレイクしてヘラヘラ笑える神経を疑い、
まるで新興宗教に洗脳された危険な連中である。
水辺に竿を持って立てば一般人から、
ならず者と同じ目で見られるわけで、
こんなのと一緒にされては堪ったものではない。
不逞の輩とは距離を置くのが一番。
次第に僕の魚釣りの舞台はひと気のない渓流へと移り、
静かなフライフィッシングに傾倒していった。
盛夏の渓流なら野生魚が比較的簡単に釣れる。
フライパターンに苦慮することなく、
大きめのドライフライを流芯に落とせば渓魚が飛び出す。
日没が迫れば大きな淵でイブニング・ライズが始まる。
水生昆虫が一斉に水面に浮き上がって羽化する神秘的な時間で、
それ即ち渓魚達にとっては食べ放題の宴会騒ぎ。
水面のあちこちに波紋が広がるのは、ディンプル・ライズと形容される
水面直下にある被食者を捕食している状況。
時に音を立て激しく水飛沫が上がるのは、ライズと形容される水面捕食。
僕はどこへ投げようかあたふたするが、
こんな時はちょっと格好をつけてティペットに
スタンダードパターンのホワイト・ウルフを結んだりして、
場を荒らすことなく沢山釣ろうと手前のライズから狙うという、
まことにさもしい根性を見せる。
稀に訪れる羽化の規模が大きいものをスーパーハッチと言い、
川の饗宴に釣人と魚はさらに狂喜乱舞する。
大きさや釣獲数で他人と競うことに執着せず、
渓流の宝石と呼ばれる美しい姿態にうっとりする。
そんな世界観に改めて釣りの本質を再認識した。
この選択により鮭鱒への知見が広がることになる。
類は友を呼び、フライフィッシングの知り合いもできた。
それらは親世代の年齢の人ばかりで、
子供が自立し親の介護もまだ先の第二遊び盛りの大人達。
しかもお金と時間に余裕があるため海外や北海道にも平気で行ってしまうし、
サクラマスのシーズンともなれば、
釣場の近くにアパートを借りて週末は釣り三昧の
生活を送る暴挙に出る者もいた。
そりゃあんた離婚されても仕方ないわ。
こうした一部反面教師と共に鮭鱒の生態を教わる機会が増えた。
渓流が禁漁期に入ると、
情熱の行き場を失ったフライフィッシャー達が管理釣場に集う。
清浄無垢な渓流魚と違い、管釣りのニジマスは対極に位置する。
魚は居るのに喰わない状況に対し思考を巡らせ、
特殊な攻略法というものを編み出すことに精を出す。
労せずして百尾釣れる管理釣場もあるのだけど、
が手練れ以外はボーズ必至の難しい釣場がいくつかあり、
修練を積むには恰好の場所。
例えばキャスティングに秀でた者のみしか釣れない管理釣場。
対岸際の流れにニジマスが集まり、水深が浅い手前に泳ぐ姿なし。
バックが取れずウェーディングもできない川原では、
ロールキャストかスペイキャストが必須となり、
鬼の形相になる者と、破顔一笑になる者の差が歴然となる。
渓魚とは異なり、
釣られることを学習した放流魚を相手にする場合、
よりフライパターンの工夫が求められる。
なにせ特殊な環境で育っているわけで、
常に釣人に囲まれ、偽物が目の前にぶら下がり、
時に騙され痛い目にも合っている。
重要になる順ではフックサイズと泳層そしてカラー。
いわゆる当りフライを各自持っているが、
それ一種類で一日通せるほど甘くなく、釣れない時間帯が訪れる。
そんな状況を打開すべく次の一手にフライの色を変更してみると、
また釣れるようになることが多く、
色による魚の反応の違いが顕著である。
どの魚種でもルアー・フライの色の変更が効果的だとは
言い切れないけれど、
釣れない時の次の一手として有効になる場合がある。
良心的な管理釣り場では目の前に魚が確実に居る。
しかし釣れないということは、
今やっていることが間違っていることになる。
釣れないフライを何度も投げる釣人と、
次の一手を繰り出し正解に辿り着く釣人。
水辺に横並びで立っていても、
釣れない人とよく釣る人の差が生じる事例。
次の一手が色だけでなく、フックサイズやリトリーブスピード、
アクション、泳層の違いなのかも知れない。
どれが正解かを少ない投数で正確に導きだせる釣人を
釣りが上手いという。
こと管理釣場においては渓流魚に求める気持ちとは違った、
気難しい放流魚相手に頭を捻る自習室。
自習室で学んだ次の一手を模索する思考力は、
あらゆる水辺で生きてくる。
すでに閉鎖されたが、
高難度の管理釣場で驚愕の出来事があった。
水深浅く透明度が高い。魚は少なく大物ばかり。
ここはいつ来ても多くのフライフィッシャーが首を傾げ、
次第に頭を抱え、最後には肩を落として途方に暮れた。
フライを小さくしても喰わない。
ティペットを細くすれば喰うのだけどラインブレイク。
磯釣りのハリスなら細くて強いはずだとか、
友釣りのハリスがいいんじゃないかなど、水辺は敗残者の吹き溜まり。
正解を導きだしたのはフライフィッシングを教えてくれたお師匠さんだった。
キャストした2Xのティペットに結ばれた大型ストリーマーが水に馴染まず
浮いていた所を、ドナルドソンが躊躇せず喰いついた。
我々の目が点になる。
その後は通常のストリーマーの使い方で快進撃となり、
そんなアホなとその場にいた者は膝から崩れ落ちそうになり、
お師匠の独壇場に指を銜えて虚しく傍観。
だって真似ようにも誰のフライボックスにも
大型ストリーマーなんて忍ばせていないし、
そもそも管理釣場に大型ストリーマーを遠投できる
8番ロッドなど持ち込んでいない。
お師匠いわく水面近くを飛んだ大形の蝶にドナルドソンが反応したのを
見逃さなかったと。凄まじき観察力・・・・・・ほんまかいな。
優越感に浸るというのはこういうことかと破顔一笑されると、
ひれ伏すしかなかった。
自然渓流では使うことのないフライパターンを創作し、
キャスティングに磨きを掛け、
なんとか攻略の糸口を見つけてやろうと四苦八苦した感じは、
誰にも褒められることのないゲームソフトを
クリアしようとする姿に酷似した。
なんとか納得できる釣果を出せた時は、
得も言われぬ達成感に浸ることができた。
2023年01月14日
イトウは心に宿る3
16歳といえば人生初の国家資格である原付免許証を取得。
これにより魚釣りの行動範囲が飛躍的に向上したのは言うまでもなく、
ブラックバス釣りにおいては隣県の水系にまで及び、
記念すべき初スズキとの出会いがあったのも、
自転車では遠かった河口までバイクで行けたからだ。
ある日のブラックバス釣行で面白い出来事があった。
夜討ち朝駆けで釣りを開始し、その時投げていたのは懐かしの
ファットギジットで、USAのバスプロ、ギド・ヒブドン氏のG2だ。
足元まで動かしてきたG2だったが、底に沈んだ岩に噛んだ感触があり
外すのに往生していた。それでもロッドを煽っていると、
根掛かりが急に走り出した。なんと狙いのブラックバスが喰ったのだ。
釣れ方に異議ありと唱えたいが、
狙いの魚が居る所に投げていたことに間違いもない。
なんだかすっきりしないけれど、
なかなかの良型に堪えきれない喜びを感じた。
ある日の書道の時間だった。
若くて顔もスタイルも悪くなく、
タイトなニットを着てお胸を強調するあざとい書道の女教師に指示され、
無地の団扇に文字を入れることになった。
入魂する文字は『例の』漢字に決まっていたが、
失敗を恐れた僕は、本番前に女教師にお手本をお願いすることにした。
すると、仕方ないわねと微笑んだ女教師が目を見つめながら歩み寄り、
僕の右肩にそっと手を乗せ、おもむろに背後へ回り込んだその刹那、
左手の上に女教師が手を重ねたのと同時に
大きく実った二つの果実が二人の隙間を埋めて潰れる。
僕は硬直した。
それを見透かされたらしく、
硬くなっているから肩の力を抜くよう優しく耳元で囁かれると、
小さく頷き言われるがまま身を委ねるしかなかった。
筆を持つ右手を上から重ねて握る女教師の手は温かく柔らかい。
慣れた手つきに誘導され、液体が満たされた硯へ優しく筆を下ろし、
先端をしっとり濡らす。
屹立した筆を、未だ汚れを知らぬ白い半紙の上に運ぶと、
我慢できない液体が筆先から滴り落ちそうになっていた。
未経験を恥なくてもいいと慰められながら、
強弱を交えた力加減で艶めかしく動く筆が半紙を撫でると、
イトウの文字が浮かび上がった。
イトウの文字を漢字で書いたのは、
意識の奥底に目を光らせ潜んでいるイトウ釣獲への決心。
しかしながら書体を眺めるに、
イトウの印象や習性などへの想像力が欠如しており、
まだまだ釣獲できる境地に達していないことが明らかだ。
ただ、この団扇は数十年の間に起きた生活環境の変化や、
引っ越しがあろうとも捨てることなく現在まで部屋に飾ってきた。
イトウへの執着心だけは我ながら天晴。
すぐ行動には移せないけれど、これぞイトウを希求する証。

高校時代には生涯の魚釣りスタイル確立を示唆する
出来事があった。
1988年晩夏の夕暮れ間近。
僕はAダムの上流部でブラックバスを狙っていた。
その近くにはサングラスをしたガラの悪そうなにーちゃんが居て、
ベイトタックルでトッププラグをめちゃくちゃ飛ばしている。
その飛距離に、格が違うと圧倒されたのに、
さらにはめちゃくちゃ釣る。
簡単ではないはずのブラックバスを入喰いさせるなんて。
さらに凄いことが起きた。
50センチ超のランカーバスを釣ったのだ。
そんな大きなバスを釣ったこともなければ見たこともない僕は、
ただただ驚いた。
そのにーちゃんはバスを見て喜んでいた。
確かに喜んでいたけれど、
過去に何度もランカーバスを釣ったことがあったのだろう、
はしゃぐことなくしばらく眺めて優しく水に帰した。
その姿がめちゃくちゃ格好良かったのだ。
なかなか強烈な印象で、
大人になるまで記憶に焼付いていたこの出来事。
時は2004年。
1989年インテックス大阪の釣具の見本市以来になる、
フィッシングショー大阪へ実に十五年振りに訪れた。
そこがWhiplash factoryブースと知らず偶然入ったのだけど、
ショーケースに整列したウィードレスプラグに目が留まった。
この中に自分が持っているウィードレスプラグが展示されており、
このブースはもしや・・・・・・と思い始めていると、
いかついにーちゃんに声を掛けられ、
Whiplash factoryの缶バッヂを詰め込んだ箱から
お好きなのをどうぞと選ばせてもらった。
お礼と少しお話させていただき僕は気づいた。
このお方を知っている。
釣り雑誌で大きなカムルチーを持っているのを何度か見たことがあるし、
同僚が持っていた月刊タックルボックスの誌面では、
猫も杓子もバス釣りのバスブーム最盛期だったのに、
ライギョやニゴイをルアーで釣る記事に登場されていた新家邦紹氏だ。
ブラックバス以外を外道と忌み嫌う風潮が蔓延している時に、
バスのみならず色々な魚を釣る自分と同じだと共感を覚えていた。
そこで名前の漢字をどう読むのか同僚にたずねると
「ニイノミ クニツグ」氏だと言う。
その名前を覚えていた僕は、
もしかして新家さんでしょうか、なんて言ってしまった。
だってまさかフィッシングショーに
ご本人がいらっしゃるなんて思いもよらず。
今となってはフィッシングショーだからいらっしゃるのだけど。
ご本人とお会いできることを想像もしていなかったので驚きと光栄だった。
帰宅してからはWhiplash factoryの初期のホームページを読むのだけど、
釣行エッセイが素晴らしく、文章を読むだけで読書家かつ博学多識であることがうかがえた。
そして新家氏もまた完全バーブレス・フック派だと知る。
こういった部分から釣魚に対する姿勢を熟慮されているのがわかり、
産卵床や仔魚を守る親魚は狙わないと公言されていた。
僕もそういうことはご法度だと学んできた。
魚種は違うが、渓流の秋期から冬期が禁漁期になる理由は、渓魚の産卵を守るためだ。
なのにこの時代はなんでもありが蔓延る第二次バスブーム。
産卵床を守る親魚を釣り上げるテクニックが紹介され、
それを良しとする業界の風潮。
これを主流とするならば、Whiplash factoryは反逆であり異端となるが、
物事の本質を問うならこちらが主流ではないか。
魚釣りに対する確固たる姿勢、生き物好き、
狙う釣魚の多さしかり、プロデュースする製品群には胸が躍り、
僕の釣り幅は加速して広がっていく。
新たな釣魚に挑む時は必要に応じてWhiplash factoryブランドの
タックルを揃え、
使うほどに質実剛健な製品に信頼を置けるようになった。
でもまだ重大なことを僕は気づいていない。
フィッシングショー大阪に行くのは毎年恒例となり、
新家氏に顔を覚えてもらっていた数年後、
仕事中に、ふと、本当にふと、遠い昔の記憶が閃いた。
え・・・・・・もしかして・・・・・・。
1988年晩夏のAダムで見ためっちゃ釣りが上手い
サングラスのにーちゃんは新家氏ではないだろうか。
約二十年の時を経て気づいたものの確認する術は、
フィッシングショー大阪開催期間しかない。
これほどまでに何かを待ちあぐむことは珍しかった。
数か月経ち、待ちに待ったフィッシングショー大阪開催。
当時、そのにーちゃんは友人家族と四駆で来ていたこと、
釣りをしながら無線を使用していたこと、
その他諸々その時の状況をお伝えするとやはりご本人だった。
鳥肌が立った。
あのめちゃくちゃ釣りが上手なにーちゃんが
プロデュースしている釣具を、
僕は何も気づかず愛用していたのだ。
こんなことある?
未知なる魚を求める時、自分の右手となる信頼を置く道具を選ぶ。
Whiplash factoryとの出会いもイトウに繋がる重要な要素となる。
これにより魚釣りの行動範囲が飛躍的に向上したのは言うまでもなく、
ブラックバス釣りにおいては隣県の水系にまで及び、
記念すべき初スズキとの出会いがあったのも、
自転車では遠かった河口までバイクで行けたからだ。
ある日のブラックバス釣行で面白い出来事があった。
夜討ち朝駆けで釣りを開始し、その時投げていたのは懐かしの
ファットギジットで、USAのバスプロ、ギド・ヒブドン氏のG2だ。
足元まで動かしてきたG2だったが、底に沈んだ岩に噛んだ感触があり
外すのに往生していた。それでもロッドを煽っていると、
根掛かりが急に走り出した。なんと狙いのブラックバスが喰ったのだ。
釣れ方に異議ありと唱えたいが、
狙いの魚が居る所に投げていたことに間違いもない。
なんだかすっきりしないけれど、
なかなかの良型に堪えきれない喜びを感じた。
ある日の書道の時間だった。
若くて顔もスタイルも悪くなく、
タイトなニットを着てお胸を強調するあざとい書道の女教師に指示され、
無地の団扇に文字を入れることになった。
入魂する文字は『例の』漢字に決まっていたが、
失敗を恐れた僕は、本番前に女教師にお手本をお願いすることにした。
すると、仕方ないわねと微笑んだ女教師が目を見つめながら歩み寄り、
僕の右肩にそっと手を乗せ、おもむろに背後へ回り込んだその刹那、
左手の上に女教師が手を重ねたのと同時に
大きく実った二つの果実が二人の隙間を埋めて潰れる。
僕は硬直した。
それを見透かされたらしく、
硬くなっているから肩の力を抜くよう優しく耳元で囁かれると、
小さく頷き言われるがまま身を委ねるしかなかった。
筆を持つ右手を上から重ねて握る女教師の手は温かく柔らかい。
慣れた手つきに誘導され、液体が満たされた硯へ優しく筆を下ろし、
先端をしっとり濡らす。
屹立した筆を、未だ汚れを知らぬ白い半紙の上に運ぶと、
我慢できない液体が筆先から滴り落ちそうになっていた。
未経験を恥なくてもいいと慰められながら、
強弱を交えた力加減で艶めかしく動く筆が半紙を撫でると、
イトウの文字が浮かび上がった。
イトウの文字を漢字で書いたのは、
意識の奥底に目を光らせ潜んでいるイトウ釣獲への決心。
しかしながら書体を眺めるに、
イトウの印象や習性などへの想像力が欠如しており、
まだまだ釣獲できる境地に達していないことが明らかだ。
ただ、この団扇は数十年の間に起きた生活環境の変化や、
引っ越しがあろうとも捨てることなく現在まで部屋に飾ってきた。
イトウへの執着心だけは我ながら天晴。
すぐ行動には移せないけれど、これぞイトウを希求する証。
高校時代には生涯の魚釣りスタイル確立を示唆する
出来事があった。
1988年晩夏の夕暮れ間近。
僕はAダムの上流部でブラックバスを狙っていた。
その近くにはサングラスをしたガラの悪そうなにーちゃんが居て、
ベイトタックルでトッププラグをめちゃくちゃ飛ばしている。
その飛距離に、格が違うと圧倒されたのに、
さらにはめちゃくちゃ釣る。
簡単ではないはずのブラックバスを入喰いさせるなんて。
さらに凄いことが起きた。
50センチ超のランカーバスを釣ったのだ。
そんな大きなバスを釣ったこともなければ見たこともない僕は、
ただただ驚いた。
そのにーちゃんはバスを見て喜んでいた。
確かに喜んでいたけれど、
過去に何度もランカーバスを釣ったことがあったのだろう、
はしゃぐことなくしばらく眺めて優しく水に帰した。
その姿がめちゃくちゃ格好良かったのだ。
なかなか強烈な印象で、
大人になるまで記憶に焼付いていたこの出来事。
時は2004年。
1989年インテックス大阪の釣具の見本市以来になる、
フィッシングショー大阪へ実に十五年振りに訪れた。
そこがWhiplash factoryブースと知らず偶然入ったのだけど、
ショーケースに整列したウィードレスプラグに目が留まった。
この中に自分が持っているウィードレスプラグが展示されており、
このブースはもしや・・・・・・と思い始めていると、
いかついにーちゃんに声を掛けられ、
Whiplash factoryの缶バッヂを詰め込んだ箱から
お好きなのをどうぞと選ばせてもらった。
お礼と少しお話させていただき僕は気づいた。
このお方を知っている。
釣り雑誌で大きなカムルチーを持っているのを何度か見たことがあるし、
同僚が持っていた月刊タックルボックスの誌面では、
猫も杓子もバス釣りのバスブーム最盛期だったのに、
ライギョやニゴイをルアーで釣る記事に登場されていた新家邦紹氏だ。
ブラックバス以外を外道と忌み嫌う風潮が蔓延している時に、
バスのみならず色々な魚を釣る自分と同じだと共感を覚えていた。
そこで名前の漢字をどう読むのか同僚にたずねると
「ニイノミ クニツグ」氏だと言う。
その名前を覚えていた僕は、
もしかして新家さんでしょうか、なんて言ってしまった。
だってまさかフィッシングショーに
ご本人がいらっしゃるなんて思いもよらず。
今となってはフィッシングショーだからいらっしゃるのだけど。
ご本人とお会いできることを想像もしていなかったので驚きと光栄だった。
帰宅してからはWhiplash factoryの初期のホームページを読むのだけど、
釣行エッセイが素晴らしく、文章を読むだけで読書家かつ博学多識であることがうかがえた。
そして新家氏もまた完全バーブレス・フック派だと知る。
こういった部分から釣魚に対する姿勢を熟慮されているのがわかり、
産卵床や仔魚を守る親魚は狙わないと公言されていた。
僕もそういうことはご法度だと学んできた。
魚種は違うが、渓流の秋期から冬期が禁漁期になる理由は、渓魚の産卵を守るためだ。
なのにこの時代はなんでもありが蔓延る第二次バスブーム。
産卵床を守る親魚を釣り上げるテクニックが紹介され、
それを良しとする業界の風潮。
これを主流とするならば、Whiplash factoryは反逆であり異端となるが、
物事の本質を問うならこちらが主流ではないか。
魚釣りに対する確固たる姿勢、生き物好き、
狙う釣魚の多さしかり、プロデュースする製品群には胸が躍り、
僕の釣り幅は加速して広がっていく。
新たな釣魚に挑む時は必要に応じてWhiplash factoryブランドの
タックルを揃え、
使うほどに質実剛健な製品に信頼を置けるようになった。
でもまだ重大なことを僕は気づいていない。
フィッシングショー大阪に行くのは毎年恒例となり、
新家氏に顔を覚えてもらっていた数年後、
仕事中に、ふと、本当にふと、遠い昔の記憶が閃いた。
え・・・・・・もしかして・・・・・・。
1988年晩夏のAダムで見ためっちゃ釣りが上手い
サングラスのにーちゃんは新家氏ではないだろうか。
約二十年の時を経て気づいたものの確認する術は、
フィッシングショー大阪開催期間しかない。
これほどまでに何かを待ちあぐむことは珍しかった。
数か月経ち、待ちに待ったフィッシングショー大阪開催。
当時、そのにーちゃんは友人家族と四駆で来ていたこと、
釣りをしながら無線を使用していたこと、
その他諸々その時の状況をお伝えするとやはりご本人だった。
鳥肌が立った。
あのめちゃくちゃ釣りが上手なにーちゃんが
プロデュースしている釣具を、
僕は何も気づかず愛用していたのだ。
こんなことある?
未知なる魚を求める時、自分の右手となる信頼を置く道具を選ぶ。
Whiplash factoryとの出会いもイトウに繋がる重要な要素となる。
2023年01月12日
イトウは心に宿る2
初めてルアーフィッシングに挑戦したのは十歳の時。
釣具は叔父から貰ったシングルハンドのスピニングロッドとリール。
ルアーはお小遣いで買える範囲だったスプーンとスピナーを
家の向かいにあった釣具屋で買った。
え!家の向かいに釣具屋!?
そう、なんと恵まれた環境下に育ったのでしょう。
いつから店があったか親に確認すると、
少なくとも僕が小学校に上がる前からなので
1970年代になるだろうか。
決して小さな店舗ではなかったが現在で言う圧縮陳列。
多岐に及ぶ品揃えが罪な総合釣具店は、
釣り少年の心を掴んで離さず、若い店主も親切で優しかった。
という情報だけ得られれば良かったのに、
年寄りにこんな話題を振ってしまったものだから話はエンドレス。
この時には『おはようパーソナリティ中村鋭一です』を聞いていたとか、
それって道上洋三さんの前の『おはパソ』やんと返せば、
僕の名前の起源は1960年代のABCアナウンサーからきているだとか、
ようやく今年はABCラジオ祭り(万博)が開催できたことに触れれば、
当時は日本万国博覧会の近くに住んでいたことにまで話が及び、
究極は、現在そこには立派なお宅が立ち、
表札には我一族と同じ苗字が刻まれているのを知ってのけ反った。
ミラクルでオチをつけて閑話休題。
ルアーづり入門で得た知識で釣具を揃え、
スピニングタックルのキャスティングは春耕を待ち侘びる冬田で練習していたので、
既に投げられるようになっていた。
実釣を待ち焦がれるが、
水辺に立たずとも釣りは家に居るときから始まっていた。
夏休みに親の里にある、
本流の支流の支流になる小規模渓流がルアー釣りの初舞台となる。
その場所は家から裸足で歩いて一分というこれまた恵まれた環境。
ここには野生化したニジマスが泳ぐ。
本来はヤマメ生息域だが、経緯は過去に村の人が放流したらしく、
年上の従兄弟が餌で釣ったことでそれを知った。
僕は川幅約三メートルの水深は膝下程度の浅瀬の真ん中に入り、
上流を向いて構えた。
ルアーづり入門に書かれていたのは、
スピナーを上流に向けて投げ、下流に引いてくること。
狭い川幅だけに攻略方法に選択肢はなく、
わかりやすい図解で示されていた通りに真似た。
上流の小さな落ち込みにできた白泡にブレットンを投げて
巻き始めるといきなり手応え。
一発目のジャンプであえなくフックアウトしたが、
残念な気持ちより本当にルアーに喰ってきた事実に衝撃を覚えた。
こういった小場所では一投目から喰ってくるのは
後々知ることになるのだけど、この時ばかりは興奮の坩堝。
次にひとつ上にある幅一メートルの縦長になった小さな淵に
ブレットンを投げるとまたもや手応え。
ルアー釣り初挑戦にしてニジマスがヒットした。
ニジマスが水面を蹴りたて飛び上がった光景は、
今なお頭の中で鮮やかな映像として再生され、景色が煌めいている。
小さな淵の脇では川鼠が水辺を行ったり来たりしていたのも覚えている。
独りで味わったその時の躍動感、緊張感、興奮、
徐々に大きな感動に包まれ、増上慢と共に余情に浸り、
ますます魚釣りの虜になる。
このことを発端に益々自然への知的挑戦は加速する。
ルアー釣りを覚えたなら次なる標的はカムルチー。
家の裏の池や周辺の池に生息していたことで、
身近なターゲットとして挑戦するものの、
これがなかなか思うようにいかず、
ビギナーズラックは叶わない。
魚釣りは思うようにならないことも知った。
こうして忍耐力が養われたかどうかわからないけれど、
水に糸を垂れていればそのうち釣れる
などという呑気なものでなく、
さらなる興味の追及は傾向と対策に及んだ。
魚釣りは釣れれば行きたくなり、
釣れなければ釣ってやろうとまた行ってしまう。
全てが楽しく思えた時代。
青年期は餌釣り・ルアーフィッシングを継続し、
さらに16歳でフライフィッシグを始めた。
相変わらず身近な魚を釣ることが好きで、
もっとも身近な淡水魚釣りといえば家の裏にあった池でのカムルチー釣り。
次いで池や川でギンブナやモツゴ釣り。
親の里では夜明け前から投げ釣りでシロギスを、
暑い日中は山で川魚を、
そして日没前は防波堤でアジのサビキ釣り。
天真爛漫に少しずつ魚釣りの経験値を積み重ねた。
夜になれば釣り番組。
ブラウン管から得られる刺激は多大なる影響を及ぼす。
ザ・フィッシングに、とびだせ!つり仲間、
のちにビッグフィッシグ。
いやいや、もっと幼い頃から見ていたのは、
日曜早朝の釣りごろつられごろ。
お色気番組11PMの服部名人のイレブンフィッシングは
お家事情により観る機会がほぼなかった。
1980年代は特番で海外釣行が特集されることも少なくなかった。
記憶を手繰り寄せると、
定番のブルーマーリンなどのカジキ釣り。
ロウニンアジにカスミアジ、イソマグロ。
コスタリカのターポンは超刺激的。
カナダの釣行ではキングサーモンに、
マニアックなところではカットスロートにウォールアイ、
美しい姿に惹かれたドリーバーデンその他諸々。
釣り青年には手の届かない広大な世界に夢を抱かせ、
早く大人になって色々な場所の魚に出会いたいと切望した。
特にザ・フィッシングの西山徹氏のスタイルに影響を受けた。
世界を股にかけ、ルアーフィッシングに
フライフィッシングもそつなくこなす名手。
バイスに挟んでフライを巻いたり、長いラインを優雅に操るその姿は
全てが高次元で、ちょいと魚釣りをかじっている程度の素人が
手を出すには随分とハードルが高いと思われた。
だがしかし僕がフライフィッシングを始めるに、
心強い味方が近くにいた。
釣り好き同級生の父上がフライフィッシャーだったのだ。
その昔、北田原のマス釣場でフライフィッシングしている光景が
珍しかったのか、
関西の釣り雑誌・釣の友にてカラーで紹介されるほど、
古くからのフライフィッシャー。
なんたる釣り縁。なんと恵まれた環境。もう教わるしかない。
まだこの時はフライフィッシングの本質など知る由もなく、
古くはイギリスの貴族も愛好した歴史ある釣りだとか、
格好良くてよく釣れるという不純な想念により足を踏み入れたが、
後に魚釣りの礎となる重要なことを沢山学ぶことになる。
フライでイワナ・ヤマメ・アマゴなどを釣るには、
魚達が生息する環境を知り、狙う魚の食性を知るところから始まる。
この観察がフライフィッシングの四大要素の一つ目ウォッチング。
どのような釣りでも観察が重要なのは言うに及ばずだが、
横道逸れず話を進めていく。
被食者は主に水生昆虫や陸生昆虫を想定し、
水生昆虫は幼虫~成虫まで成長段階に応じて形が変化するので、
それを模したパターン(フライ)を作る。
これが二つ目のタイイング。日本語で毛鉤を巻くとも言う。
タイイングは伝統的なパターンから、
オリジナルまでその種類は枚挙に遑がない。
なぜそんなに多くのパターンが必要になるのかと言えば、
困ったことに渓魚が偏食家に変身することがあるからに他ならない。
季節や時間などにより捕食される水生昆虫の種類が違い、
例えばカゲロウの幼虫と成虫の間に亜成虫という形があり、
それを選り好みして捕食する状況がある。
パターンを外したフライがアマゴの鼻先を通過しようが完全無視。
とはいえ絶対に釣れないことはないのだけど、
釣れればなんでもいいのではなく、
自分の観察眼と実際の捕食物との答え合わせに喜びを見出すことで、
さらなる喜びの増幅が期待できる。
次に覚えるのが一筋縄ではいかない、三つ目の要素キャスティング。
初体験ですぐに投げられるスピニングタックルや、
少しの練習で投げられるベイトタックルとは大きく違う。
長いフライラインを操る姿が優雅に映ると形容されるが、
その領域になるまでの段階はいたましくて見るに忍びなく、
当時の特訓を思い返せば悲惨でしかなかった。
フライラインを必要以上に前後させるのは意味のない間違い。
フライラインを前に飛ばすフィニッシュの形さえ覚えれば、
一回フライラインを後ろに跳ね上げ、前に送ればキャストになる。
たったこれだけのことが出来なかった。
投げられなければ魚は釣れない。
キャスティングという大きな壁を乗り越えなければ次の段階へは進めない。
ようやく投げられるようになれば、四つ目のフィッシングが成立する。
だが、これで魚が釣れる!と喜ぶのは早計だ。
川釣りにおいてルアーフィッシングは大味だけど、
脈釣りやフライフィッシングは流れの筋を読まなければならない。
魚がどの筋に定位しているのかを見極め、
餌やフライを魚の鼻先へ自然に送り込む必要があるためだ。
次にヤマメが定位している姿を確認し、
かつ前述した偏食しない簡単な状況だったと仮定しよう。
その場合ドライフライを自然に流すことが要求されるのだけど、
水面に浮いたフライを自然に流すことをナチュラルドリフトと呼び、
これが難しい。
自然に流すことの難しさを言葉で説明するなら、
流れを横切るように投げると、
手前と奥の流れの速度の違いでフライラインが水の抵抗で引っ張られる。
すると当然ラインの先にあるドライフライは引っ張られ不自然な動きになる。
流下物なのに流れに同調しない不自然な動きをしたドライフライを
ヤマメは偽物だと見切って喰わない。
ただし状況によりその限りでないことも付け加えておくが、
ドラッグが掛かった不自然な動きで釣れるのは不本意である。
ナチュラルドリフトをさせるには
ライン・メンディングというテクニックが必須であり、
メンディングでライン処理を上手く行うことが基本となる。
メンディングはラインを真っ直ぐにすることだけの意味ではなく、
ラインを意図した形に水面へ置くことだ。
止水のカムルチー釣りにおいてもメンディングは必須で、
ウィードレスプラグを通したいコースにラインを落とす。
もうなんだか難解な話になってしまったけれど、
これらは全て基本的なこと。
出来る出来ないで大違い。
ルアーフィッシングにも応用しているし、
これぞ流れの釣りの真骨頂。
フライフィッシング四大要素のひとつひとつが重要かつ非常に奥深いため、
プロタイヤーにキャスティングのプロなど、
それぞれに専門家が存在するほどだ。
簡素でお手軽に始められる釣法とは違い、
遠回りを楽しむフライフィッシングから魚釣りの基本をあらためて学んだ。
自然の営みを知ることで自然環境の大切さも深く知るようになり、
全ての経験は糧となり、魚釣りに対する考えが深化したのは
フライフィッシングの影響が大きい。
そんなフライフィッシングから自分の魚釣りに対する
考えが確立されたことがある。
全釣法においてバーブレス・フックを使用すること。
いわゆるかえしの無いフックは、
魚への傷を最小限に抑えるための手法で、
フライフィッシングの世界では常識だ。
ただし釣り人生で初めてバーブレス・フックを覚えて実践したのは十歳の時。
ルアーづり入門のライギョ釣り記事に書かれていた、
フックのかえしをペンチで潰しておくと良いというアドバイス。
現在もサビキ釣りだろうと、
絶対にフックアウトさせられない千載一遇のサクラマス釣りだろうとも
バーブレス・フックを常用。
ルアーやフックを購入して真っ先に行う儀式がある。
親の敵を叩きのめすようにかえしを潰すこと。
釣魚釣法問わず100%バーブレス・フック派であることを、
声を大にして宣言する。
バーブレスの弊害としてフックが抜けやすく魚に逃げられる機会を
与えることになるのだけど、
だからこそラインテンション保持にロッドワーク、
エラ洗いする魚なら事前に動きを察知して対処するなど、
巧に行う手腕が問われ、やりとりの緊張感が増すことで
釣った時に得られる感動の大きさが違う。
同じ一尾でも重さが違う。
それに逃げられた時はバーブレスだから仕方ないよね、
という責任転嫁を頬を濡らしながらできる。
なにより服にフックが刺さったときにほつれない。
生涯目標のイトウに対してもバーブレス・フックは
特別なことではない。
釣具は叔父から貰ったシングルハンドのスピニングロッドとリール。
ルアーはお小遣いで買える範囲だったスプーンとスピナーを
家の向かいにあった釣具屋で買った。
え!家の向かいに釣具屋!?
そう、なんと恵まれた環境下に育ったのでしょう。
いつから店があったか親に確認すると、
少なくとも僕が小学校に上がる前からなので
1970年代になるだろうか。
決して小さな店舗ではなかったが現在で言う圧縮陳列。
多岐に及ぶ品揃えが罪な総合釣具店は、
釣り少年の心を掴んで離さず、若い店主も親切で優しかった。
という情報だけ得られれば良かったのに、
年寄りにこんな話題を振ってしまったものだから話はエンドレス。
この時には『おはようパーソナリティ中村鋭一です』を聞いていたとか、
それって道上洋三さんの前の『おはパソ』やんと返せば、
僕の名前の起源は1960年代のABCアナウンサーからきているだとか、
ようやく今年はABCラジオ祭り(万博)が開催できたことに触れれば、
当時は日本万国博覧会の近くに住んでいたことにまで話が及び、
究極は、現在そこには立派なお宅が立ち、
表札には我一族と同じ苗字が刻まれているのを知ってのけ反った。
ミラクルでオチをつけて閑話休題。
ルアーづり入門で得た知識で釣具を揃え、
スピニングタックルのキャスティングは春耕を待ち侘びる冬田で練習していたので、
既に投げられるようになっていた。
実釣を待ち焦がれるが、
水辺に立たずとも釣りは家に居るときから始まっていた。
夏休みに親の里にある、
本流の支流の支流になる小規模渓流がルアー釣りの初舞台となる。
その場所は家から裸足で歩いて一分というこれまた恵まれた環境。
ここには野生化したニジマスが泳ぐ。
本来はヤマメ生息域だが、経緯は過去に村の人が放流したらしく、
年上の従兄弟が餌で釣ったことでそれを知った。
僕は川幅約三メートルの水深は膝下程度の浅瀬の真ん中に入り、
上流を向いて構えた。
ルアーづり入門に書かれていたのは、
スピナーを上流に向けて投げ、下流に引いてくること。
狭い川幅だけに攻略方法に選択肢はなく、
わかりやすい図解で示されていた通りに真似た。
上流の小さな落ち込みにできた白泡にブレットンを投げて
巻き始めるといきなり手応え。
一発目のジャンプであえなくフックアウトしたが、
残念な気持ちより本当にルアーに喰ってきた事実に衝撃を覚えた。
こういった小場所では一投目から喰ってくるのは
後々知ることになるのだけど、この時ばかりは興奮の坩堝。
次にひとつ上にある幅一メートルの縦長になった小さな淵に
ブレットンを投げるとまたもや手応え。
ルアー釣り初挑戦にしてニジマスがヒットした。
ニジマスが水面を蹴りたて飛び上がった光景は、
今なお頭の中で鮮やかな映像として再生され、景色が煌めいている。
小さな淵の脇では川鼠が水辺を行ったり来たりしていたのも覚えている。
独りで味わったその時の躍動感、緊張感、興奮、
徐々に大きな感動に包まれ、増上慢と共に余情に浸り、
ますます魚釣りの虜になる。
このことを発端に益々自然への知的挑戦は加速する。
ルアー釣りを覚えたなら次なる標的はカムルチー。
家の裏の池や周辺の池に生息していたことで、
身近なターゲットとして挑戦するものの、
これがなかなか思うようにいかず、
ビギナーズラックは叶わない。
魚釣りは思うようにならないことも知った。
こうして忍耐力が養われたかどうかわからないけれど、
水に糸を垂れていればそのうち釣れる
などという呑気なものでなく、
さらなる興味の追及は傾向と対策に及んだ。
魚釣りは釣れれば行きたくなり、
釣れなければ釣ってやろうとまた行ってしまう。
全てが楽しく思えた時代。
青年期は餌釣り・ルアーフィッシングを継続し、
さらに16歳でフライフィッシグを始めた。
相変わらず身近な魚を釣ることが好きで、
もっとも身近な淡水魚釣りといえば家の裏にあった池でのカムルチー釣り。
次いで池や川でギンブナやモツゴ釣り。
親の里では夜明け前から投げ釣りでシロギスを、
暑い日中は山で川魚を、
そして日没前は防波堤でアジのサビキ釣り。
天真爛漫に少しずつ魚釣りの経験値を積み重ねた。
夜になれば釣り番組。
ブラウン管から得られる刺激は多大なる影響を及ぼす。
ザ・フィッシングに、とびだせ!つり仲間、
のちにビッグフィッシグ。
いやいや、もっと幼い頃から見ていたのは、
日曜早朝の釣りごろつられごろ。
お色気番組11PMの服部名人のイレブンフィッシングは
お家事情により観る機会がほぼなかった。
1980年代は特番で海外釣行が特集されることも少なくなかった。
記憶を手繰り寄せると、
定番のブルーマーリンなどのカジキ釣り。
ロウニンアジにカスミアジ、イソマグロ。
コスタリカのターポンは超刺激的。
カナダの釣行ではキングサーモンに、
マニアックなところではカットスロートにウォールアイ、
美しい姿に惹かれたドリーバーデンその他諸々。
釣り青年には手の届かない広大な世界に夢を抱かせ、
早く大人になって色々な場所の魚に出会いたいと切望した。
特にザ・フィッシングの西山徹氏のスタイルに影響を受けた。
世界を股にかけ、ルアーフィッシングに
フライフィッシングもそつなくこなす名手。
バイスに挟んでフライを巻いたり、長いラインを優雅に操るその姿は
全てが高次元で、ちょいと魚釣りをかじっている程度の素人が
手を出すには随分とハードルが高いと思われた。
だがしかし僕がフライフィッシングを始めるに、
心強い味方が近くにいた。
釣り好き同級生の父上がフライフィッシャーだったのだ。
その昔、北田原のマス釣場でフライフィッシングしている光景が
珍しかったのか、
関西の釣り雑誌・釣の友にてカラーで紹介されるほど、
古くからのフライフィッシャー。
なんたる釣り縁。なんと恵まれた環境。もう教わるしかない。
まだこの時はフライフィッシングの本質など知る由もなく、
古くはイギリスの貴族も愛好した歴史ある釣りだとか、
格好良くてよく釣れるという不純な想念により足を踏み入れたが、
後に魚釣りの礎となる重要なことを沢山学ぶことになる。
フライでイワナ・ヤマメ・アマゴなどを釣るには、
魚達が生息する環境を知り、狙う魚の食性を知るところから始まる。
この観察がフライフィッシングの四大要素の一つ目ウォッチング。
どのような釣りでも観察が重要なのは言うに及ばずだが、
横道逸れず話を進めていく。
被食者は主に水生昆虫や陸生昆虫を想定し、
水生昆虫は幼虫~成虫まで成長段階に応じて形が変化するので、
それを模したパターン(フライ)を作る。
これが二つ目のタイイング。日本語で毛鉤を巻くとも言う。
タイイングは伝統的なパターンから、
オリジナルまでその種類は枚挙に遑がない。
なぜそんなに多くのパターンが必要になるのかと言えば、
困ったことに渓魚が偏食家に変身することがあるからに他ならない。
季節や時間などにより捕食される水生昆虫の種類が違い、
例えばカゲロウの幼虫と成虫の間に亜成虫という形があり、
それを選り好みして捕食する状況がある。
パターンを外したフライがアマゴの鼻先を通過しようが完全無視。
とはいえ絶対に釣れないことはないのだけど、
釣れればなんでもいいのではなく、
自分の観察眼と実際の捕食物との答え合わせに喜びを見出すことで、
さらなる喜びの増幅が期待できる。
次に覚えるのが一筋縄ではいかない、三つ目の要素キャスティング。
初体験ですぐに投げられるスピニングタックルや、
少しの練習で投げられるベイトタックルとは大きく違う。
長いフライラインを操る姿が優雅に映ると形容されるが、
その領域になるまでの段階はいたましくて見るに忍びなく、
当時の特訓を思い返せば悲惨でしかなかった。
フライラインを必要以上に前後させるのは意味のない間違い。
フライラインを前に飛ばすフィニッシュの形さえ覚えれば、
一回フライラインを後ろに跳ね上げ、前に送ればキャストになる。
たったこれだけのことが出来なかった。
投げられなければ魚は釣れない。
キャスティングという大きな壁を乗り越えなければ次の段階へは進めない。
ようやく投げられるようになれば、四つ目のフィッシングが成立する。
だが、これで魚が釣れる!と喜ぶのは早計だ。
川釣りにおいてルアーフィッシングは大味だけど、
脈釣りやフライフィッシングは流れの筋を読まなければならない。
魚がどの筋に定位しているのかを見極め、
餌やフライを魚の鼻先へ自然に送り込む必要があるためだ。
次にヤマメが定位している姿を確認し、
かつ前述した偏食しない簡単な状況だったと仮定しよう。
その場合ドライフライを自然に流すことが要求されるのだけど、
水面に浮いたフライを自然に流すことをナチュラルドリフトと呼び、
これが難しい。
自然に流すことの難しさを言葉で説明するなら、
流れを横切るように投げると、
手前と奥の流れの速度の違いでフライラインが水の抵抗で引っ張られる。
すると当然ラインの先にあるドライフライは引っ張られ不自然な動きになる。
流下物なのに流れに同調しない不自然な動きをしたドライフライを
ヤマメは偽物だと見切って喰わない。
ただし状況によりその限りでないことも付け加えておくが、
ドラッグが掛かった不自然な動きで釣れるのは不本意である。
ナチュラルドリフトをさせるには
ライン・メンディングというテクニックが必須であり、
メンディングでライン処理を上手く行うことが基本となる。
メンディングはラインを真っ直ぐにすることだけの意味ではなく、
ラインを意図した形に水面へ置くことだ。
止水のカムルチー釣りにおいてもメンディングは必須で、
ウィードレスプラグを通したいコースにラインを落とす。
もうなんだか難解な話になってしまったけれど、
これらは全て基本的なこと。
出来る出来ないで大違い。
ルアーフィッシングにも応用しているし、
これぞ流れの釣りの真骨頂。
フライフィッシング四大要素のひとつひとつが重要かつ非常に奥深いため、
プロタイヤーにキャスティングのプロなど、
それぞれに専門家が存在するほどだ。
簡素でお手軽に始められる釣法とは違い、
遠回りを楽しむフライフィッシングから魚釣りの基本をあらためて学んだ。
自然の営みを知ることで自然環境の大切さも深く知るようになり、
全ての経験は糧となり、魚釣りに対する考えが深化したのは
フライフィッシングの影響が大きい。
そんなフライフィッシングから自分の魚釣りに対する
考えが確立されたことがある。
全釣法においてバーブレス・フックを使用すること。
いわゆるかえしの無いフックは、
魚への傷を最小限に抑えるための手法で、
フライフィッシングの世界では常識だ。
ただし釣り人生で初めてバーブレス・フックを覚えて実践したのは十歳の時。
ルアーづり入門のライギョ釣り記事に書かれていた、
フックのかえしをペンチで潰しておくと良いというアドバイス。
現在もサビキ釣りだろうと、
絶対にフックアウトさせられない千載一遇のサクラマス釣りだろうとも
バーブレス・フックを常用。
ルアーやフックを購入して真っ先に行う儀式がある。
親の敵を叩きのめすようにかえしを潰すこと。
釣魚釣法問わず100%バーブレス・フック派であることを、
声を大にして宣言する。
バーブレスの弊害としてフックが抜けやすく魚に逃げられる機会を
与えることになるのだけど、
だからこそラインテンション保持にロッドワーク、
エラ洗いする魚なら事前に動きを察知して対処するなど、
巧に行う手腕が問われ、やりとりの緊張感が増すことで
釣った時に得られる感動の大きさが違う。
同じ一尾でも重さが違う。
それに逃げられた時はバーブレスだから仕方ないよね、
という責任転嫁を頬を濡らしながらできる。
なにより服にフックが刺さったときにほつれない。
生涯目標のイトウに対してもバーブレス・フックは
特別なことではない。
2023年01月11日
ども!八田よいちです
道の駅草津のお手洗いに貼っていた、
賞金首で凶悪犯の八田 與一(はったよいち)です。
大学生を死亡させ逃亡中です。
完全に名前負けしてまーす。
逃げるも地獄、死んでも地獄。
楽しそうな人生送ってるね☆
現役の人殺しが社会に紛れているんですよ。
貴方の愛する子供や孫も危険に晒されています。
近畿に潜伏している可能性も否めず、
貴方のSNSでコマセを撒くように情報をバラ撒いて八田を追い込みましょう。
Posted by Миру Україні at
07:07
2023年01月10日
イトウは心に宿る1
イトウを釣る。そう決心したある日の晩。
北海道行き航空券の予約が完了した瞬間から、
遠い日の記憶が溢れ出した。
イトウの存在を知ったのは1980年代初頭。
釣り少年が手にした一冊の書籍から始まる、
意中の魚に出会うまでの遠い道のり。
僕は幼少の頃に里川で魚釣りを覚えた。
魚釣りを教えてくれたのは、
僕がこの世に生を受けようとしていたまさにそのとき、
母の兄と日本海で夜釣りをしていた父であった。
在りし日の里川は水量が豊富で水質も良く、
瀬と淵が連続する健全な姿を保っていた。
魚釣りの餌は土を掘って捕まえたミミズ、もしくは飛び回るトンボで、
冷蔵庫にあるちくわも効果的だった。
それらを喰ってくれるのは主にタカハヤで、
次いでオイカワにカワムツ。
その中でも尺を超える大きなウグイは強い引きで竿をしならせ、
大きな魚体は釣り少年を驚かせた。
自分の記憶に残っていないほど幼少のから親と魚釣りをしていたようだけど、
自我が芽生えて魚を釣ったと言える人生初魚は小学一年の時。
延べ竿で里川に糸を垂らしていたが全然釣れない時に、
「川の流れに合わせて餌が流れるよう竿を動して」と助言してくれたのが父。
立っていたのは右岸で、竿を左から右へ流れと同調させると、
直後に大きな魚信が。思い切って竿を持ち上げると、
銀色の大きくて重い魚体が水面から飛び出し宙に浮いた。
その時の興奮と驚き、そして感動が、魚釣りが好きになった出発点であり、
今なお輝き続ける。
流速を増して魚釣りに興味を惹かれ、
独りでも魚釣りをするようになった。
父の道具箱に入っていたハリス付きの伊勢尼や海津針を拝借し、
ガン玉を付けただけの簡素な仕掛けの脈釣りで、
竿などという高級品はなく竹竿。魚信は穂先で捉えた。
後に針のパッケージの裏か、
釣具屋で小物を入れてもらう青い文字の紙袋の裏に描かれた
イラストを見て、糸と針の結び方
いわゆる外掛け結びや内掛け結びを覚えた。
魚釣りを始めたばかりでまだまだ知識が乏しい僕にも
清流魚達は仕掛けに飛びついてくれ、
自然の中で遊ぶ楽しさを教えてくれた。
こうして無自覚のうちに自然への知的挑戦が始まった。
自然への知的挑戦となれば、
次第に予測や分析が始まり水辺で答え合わせをするようになる。
まあなんと勉強熱心なことか。
知識を得るため、とそんな大層に難しいことではないけれど、
興味の追求は魚釣りの本に及ぶのは自然の成り行き。
1980年頃は、親類宅に置いてあった週刊釣りサンデー・関西のつり・
釣の友、などなどの釣り雑誌を眺めていたはずだが、
小学校低学年の釣り少年が魚釣りのいろはを知るには専門的すぎる内容。
幼いながらも近所に馴染みの本屋があった。
そこで出会った書籍が小学館入門百科シリーズ『川づり入門』
『海づり入門』『ルアーづり入門』。
購入した順番は覚えていないけれど釣り少年の教科書的存在で、
いずれも表紙イラストは世紀のハンサムボーイ矢口高雄氏。
ルアーづり入門の著者はテツ西山こと西山徹氏。
日本のルアーフィッシング黎明期を牽引された方々だ。
ルアーフィッシングの夜明けを先生方と過ごしていないけれど、
魚釣りを教えてくれた餌釣り一辺倒の大人達とは違い、
ナウい僕はルアーフィッシングに惹かれた。
ルアーづり入門を開くと巻頭を飾る釣果写真の数々に目を輝かせ、
その中に銀世界のイトウ釣りの情景がチラリと覗く。
もちろんこの時はイトウという名前の魚など知らず、
イトウさんだのスズキさん(クラスメイトの女の子)だの
冗談みたいな名前だなと感じていた。

しかしこれがイトウと運命の初接触。
次のページを開けば煌びやかなルアー群がカラーで紹介され、
カタカナの名前を暗記できたほど夢中になった。
さらにページを進んでいくと各釣魚の狙い方と実写を交えた
漫画が描かれ、それは釣り少年に馴染みやすい教え方。
紹介されている順番はブラックバスに始まり
ニジマスにライギョときて・・・・・・
『まぼろしの魚イトウつりに挑戦』とある。
そこにイトウの概要が書かれており、
北海道だけに生息・しかも生息数が少なくなってきている・
最大で1メートル(!?)にもなると記述。
1メートルという魚類概念を超越した強烈な数字に、
魚の体重や、大きな尾鰭をたった一回動かした時に起こる推進力なんて
想像が追いつくはずもない。
この本に紹介されている全ての魚をルアーで釣ってみたい!
と目論む釣り少年。
イトウへの憧れの火種を着けたのは間違いなくこの記事だ。
ルアーづり入門からほどなくイトウ釣りを主題にした漫画も
目にすることになる。
最初は叔父が買っていた週刊少年マガジンや少年サンデーに連載されていた
釣り漫画だった。
後に単行本にもなった釣り漫画を馴染みの本屋で購入。
矢口高雄氏の『釣りキチ三平』はイトウ釣り編イトウの原野。
三平三平くんと風来坊釣り師谷地坊主のコンビが釣り上げる
巨大イトウの物語は、僕だけでなく全国の読者も夢を見ただろう。
もちろんフィクションなのだけど、
この物語の中に潜む事実をこの時は知る由もなかった。
それこそ約四十年の時を経て気づいたのだけど、
谷地坊主が先生と崇めるイトウ釣りの先生であり、
画家の先生といえば鳴鶴先生である。
そうこの鳴鶴先生のモデルとなったのは、
北海道に実在するイトウ釣りを愛する画伯のようだ。
しかも、だ。
彼の開高健にキャスティングを教え、
大開高がお師匠さんと呼ぶ人物である。
そうとなれば開高健が執筆したエッセイにお師匠さんが登場しないはずもなく、
開高健の主たる釣り書籍はだいたい読んでいるはずなのに、
お師匠さんの存在に僕は気付いていなかった。
それもこれもこのような事実関係を知るきっかけとなったのは
「文豪たちの釣旅 大岡玲著」である。
まだ読まれていない読者は必読されたし。
っとこうなれば僕にとって大きな事件も書き記さねばならない。
大岡玲氏からブログにコメントを二度頂いたことがあるのだ。
作家であり釣人の大岡玲氏の著書が好きで、
著者名を確認せずに何気なく読んだ雑誌の文章を、
氏が執筆したものだと当てたことが何度かあるほどだ。
ある時、大岡玲氏の書籍をブログで紹介したところ、
氏の生徒さんがブログを読んでくださったらしく、
そのことを聞いた大岡玲氏ご本人からコメントを頂戴したのだ。
ご本人のものである証拠に一度目は、
地上波で未放送の釣り旅番組の放映日時を教えてくさだり、
二度目は放映後に秘密の裏話なども聞かせていただいた。
このコンタクトは僕の一生の宝物。
もうひとつイトウ釣りが登場する釣り漫画といえば、
原作やまさき十三氏、作画はしもとみつを氏『おれはナマズ者』の
第一回全日本ルアーフィッシングダービー決勝戦イトウ釣り対決。
イトウの魅力をふんだんに詰め込んだ題材であり、
フィクションとはいえ舞台は実在する湿原河川。
だがしかしおれはナマズ者に造詣が深い読者はご存知の通り、
ルアーダービーより前にイトウ釣行に触れている回がある。
大助くん率いる釣り研こと釣り研究会である日、
放課後に釣り研ミーティングが開かれたのだが、
そこで仲間達と釣り研夏期強化合宿のプランを出し合った時に
大助くんが発表したプランが、
「JALでいこう!北海道のイトウはでっかいド~~~~ッ」
無謀なプランだったため却下されたが、
愛読していた釣り少年の心にあったイトウの火種はさらに温度が上昇。
ほわっ!
いかん。釣り研合宿の聖地巡礼をしたくなってきた。
僕と同じく魚釣りの教科書を読んだ、
全国に散らばる名前も顔も知らない同級生達の中にも、
大志を抱いた者がいたはずだ。夢は現実になっただろうか。
教科書を執筆された先生方は、
生徒達の煌びやかな未来を想像してくれていただろうか。
僕は倒れて後已む、イトウを釣る。
読ませて笑える釣り書籍。
大岡玲氏もイトウ釣りに挑戦されている。
イトウ釣行記ではイトウ生息地が紹介されているが、
今となっては貴重な資料。
イトウは心に宿る2
北海道行き航空券の予約が完了した瞬間から、
遠い日の記憶が溢れ出した。
イトウの存在を知ったのは1980年代初頭。
釣り少年が手にした一冊の書籍から始まる、
意中の魚に出会うまでの遠い道のり。
僕は幼少の頃に里川で魚釣りを覚えた。
魚釣りを教えてくれたのは、
僕がこの世に生を受けようとしていたまさにそのとき、
母の兄と日本海で夜釣りをしていた父であった。
在りし日の里川は水量が豊富で水質も良く、
瀬と淵が連続する健全な姿を保っていた。
魚釣りの餌は土を掘って捕まえたミミズ、もしくは飛び回るトンボで、
冷蔵庫にあるちくわも効果的だった。
それらを喰ってくれるのは主にタカハヤで、
次いでオイカワにカワムツ。
その中でも尺を超える大きなウグイは強い引きで竿をしならせ、
大きな魚体は釣り少年を驚かせた。
自分の記憶に残っていないほど幼少のから親と魚釣りをしていたようだけど、
自我が芽生えて魚を釣ったと言える人生初魚は小学一年の時。
延べ竿で里川に糸を垂らしていたが全然釣れない時に、
「川の流れに合わせて餌が流れるよう竿を動して」と助言してくれたのが父。
立っていたのは右岸で、竿を左から右へ流れと同調させると、
直後に大きな魚信が。思い切って竿を持ち上げると、
銀色の大きくて重い魚体が水面から飛び出し宙に浮いた。
その時の興奮と驚き、そして感動が、魚釣りが好きになった出発点であり、
今なお輝き続ける。
流速を増して魚釣りに興味を惹かれ、
独りでも魚釣りをするようになった。
父の道具箱に入っていたハリス付きの伊勢尼や海津針を拝借し、
ガン玉を付けただけの簡素な仕掛けの脈釣りで、
竿などという高級品はなく竹竿。魚信は穂先で捉えた。
後に針のパッケージの裏か、
釣具屋で小物を入れてもらう青い文字の紙袋の裏に描かれた
イラストを見て、糸と針の結び方
いわゆる外掛け結びや内掛け結びを覚えた。
魚釣りを始めたばかりでまだまだ知識が乏しい僕にも
清流魚達は仕掛けに飛びついてくれ、
自然の中で遊ぶ楽しさを教えてくれた。
こうして無自覚のうちに自然への知的挑戦が始まった。
自然への知的挑戦となれば、
次第に予測や分析が始まり水辺で答え合わせをするようになる。
まあなんと勉強熱心なことか。
知識を得るため、とそんな大層に難しいことではないけれど、
興味の追求は魚釣りの本に及ぶのは自然の成り行き。
1980年頃は、親類宅に置いてあった週刊釣りサンデー・関西のつり・
釣の友、などなどの釣り雑誌を眺めていたはずだが、
小学校低学年の釣り少年が魚釣りのいろはを知るには専門的すぎる内容。
幼いながらも近所に馴染みの本屋があった。
そこで出会った書籍が小学館入門百科シリーズ『川づり入門』
『海づり入門』『ルアーづり入門』。
購入した順番は覚えていないけれど釣り少年の教科書的存在で、
いずれも表紙イラストは世紀のハンサムボーイ矢口高雄氏。
ルアーづり入門の著者はテツ西山こと西山徹氏。
日本のルアーフィッシング黎明期を牽引された方々だ。
ルアーフィッシングの夜明けを先生方と過ごしていないけれど、
魚釣りを教えてくれた餌釣り一辺倒の大人達とは違い、
ナウい僕はルアーフィッシングに惹かれた。
ルアーづり入門を開くと巻頭を飾る釣果写真の数々に目を輝かせ、
その中に銀世界のイトウ釣りの情景がチラリと覗く。
もちろんこの時はイトウという名前の魚など知らず、
イトウさんだのスズキさん(クラスメイトの女の子)だの
冗談みたいな名前だなと感じていた。
しかしこれがイトウと運命の初接触。
次のページを開けば煌びやかなルアー群がカラーで紹介され、
カタカナの名前を暗記できたほど夢中になった。
さらにページを進んでいくと各釣魚の狙い方と実写を交えた
漫画が描かれ、それは釣り少年に馴染みやすい教え方。
紹介されている順番はブラックバスに始まり
ニジマスにライギョときて・・・・・・
『まぼろしの魚イトウつりに挑戦』とある。
そこにイトウの概要が書かれており、
北海道だけに生息・しかも生息数が少なくなってきている・
最大で1メートル(!?)にもなると記述。
1メートルという魚類概念を超越した強烈な数字に、
魚の体重や、大きな尾鰭をたった一回動かした時に起こる推進力なんて
想像が追いつくはずもない。
この本に紹介されている全ての魚をルアーで釣ってみたい!
と目論む釣り少年。
イトウへの憧れの火種を着けたのは間違いなくこの記事だ。
ルアーづり入門からほどなくイトウ釣りを主題にした漫画も
目にすることになる。
最初は叔父が買っていた週刊少年マガジンや少年サンデーに連載されていた
釣り漫画だった。
後に単行本にもなった釣り漫画を馴染みの本屋で購入。
矢口高雄氏の『釣りキチ三平』はイトウ釣り編イトウの原野。
三平三平くんと風来坊釣り師谷地坊主のコンビが釣り上げる
巨大イトウの物語は、僕だけでなく全国の読者も夢を見ただろう。
もちろんフィクションなのだけど、
この物語の中に潜む事実をこの時は知る由もなかった。
それこそ約四十年の時を経て気づいたのだけど、
谷地坊主が先生と崇めるイトウ釣りの先生であり、
画家の先生といえば鳴鶴先生である。
そうこの鳴鶴先生のモデルとなったのは、
北海道に実在するイトウ釣りを愛する画伯のようだ。
しかも、だ。
彼の開高健にキャスティングを教え、
大開高がお師匠さんと呼ぶ人物である。
そうとなれば開高健が執筆したエッセイにお師匠さんが登場しないはずもなく、
開高健の主たる釣り書籍はだいたい読んでいるはずなのに、
お師匠さんの存在に僕は気付いていなかった。
それもこれもこのような事実関係を知るきっかけとなったのは
「文豪たちの釣旅 大岡玲著」である。
まだ読まれていない読者は必読されたし。
っとこうなれば僕にとって大きな事件も書き記さねばならない。
大岡玲氏からブログにコメントを二度頂いたことがあるのだ。
作家であり釣人の大岡玲氏の著書が好きで、
著者名を確認せずに何気なく読んだ雑誌の文章を、
氏が執筆したものだと当てたことが何度かあるほどだ。
ある時、大岡玲氏の書籍をブログで紹介したところ、
氏の生徒さんがブログを読んでくださったらしく、
そのことを聞いた大岡玲氏ご本人からコメントを頂戴したのだ。
ご本人のものである証拠に一度目は、
地上波で未放送の釣り旅番組の放映日時を教えてくさだり、
二度目は放映後に秘密の裏話なども聞かせていただいた。
このコンタクトは僕の一生の宝物。
もうひとつイトウ釣りが登場する釣り漫画といえば、
原作やまさき十三氏、作画はしもとみつを氏『おれはナマズ者』の
第一回全日本ルアーフィッシングダービー決勝戦イトウ釣り対決。
イトウの魅力をふんだんに詰め込んだ題材であり、
フィクションとはいえ舞台は実在する湿原河川。
だがしかしおれはナマズ者に造詣が深い読者はご存知の通り、
ルアーダービーより前にイトウ釣行に触れている回がある。
大助くん率いる釣り研こと釣り研究会である日、
放課後に釣り研ミーティングが開かれたのだが、
そこで仲間達と釣り研夏期強化合宿のプランを出し合った時に
大助くんが発表したプランが、
「JALでいこう!北海道のイトウはでっかいド~~~~ッ」
無謀なプランだったため却下されたが、
愛読していた釣り少年の心にあったイトウの火種はさらに温度が上昇。
ほわっ!
いかん。釣り研合宿の聖地巡礼をしたくなってきた。
僕と同じく魚釣りの教科書を読んだ、
全国に散らばる名前も顔も知らない同級生達の中にも、
大志を抱いた者がいたはずだ。夢は現実になっただろうか。
教科書を執筆された先生方は、
生徒達の煌びやかな未来を想像してくれていただろうか。
僕は倒れて後已む、イトウを釣る。
読ませて笑える釣り書籍。
大岡玲氏もイトウ釣りに挑戦されている。
イトウ釣行記ではイトウ生息地が紹介されているが、
今となっては貴重な資料。
イトウは心に宿る2
2023年01月08日
新春開運縁起物画像
ツル目ツル科ツル属 タンチョウ
鶴は縁起物であり、特別天然記念物。
保護区ではなくても、あちこちで見ることができましたよ。
バカデカいコウノトリより、さらにデカかったような・・・・・・。
しかもコウノトリ成鳥は鳴かないのに、
タンチョウの声のバカデカいこと。
刺身の上につま菊を乗せる仕事も、
しめ飾りのみかんを付ける仕事も無くなり、
明日のお米に困っているというのに、
サラリーマンの皆様は正月休みが終わってまた三連休ですか。
大発会は残念でしたが、それでも余裕の暮らしなんですね。
はぁ馬やらしい。
しかしまあ露はまだ侵略を止めないのですか。
極寒の地で兵士が命を危険に晒している間に、
指揮している連中は酒を飲み、異性と子作りごっこですよ。
兵士が前線で塹壕に身を隠している時に、
キッチンで仁王立ちになり異性にお掃除してもらってるんですよ。
兵士の腕が吹き飛び泣き叫んでいる時に、
寝室でお医者さんごっこしてるんですよ。
暖房のある部屋に寝転がってスマホを触るのが
人類共通の幸せだというのに、まったくおつむが弱い連中ですよ。
懐かしの総合格闘家イゴール・ボブチャンチンといえばウクライナの選手。
現役時代も応援していました。ウクライナの平和を望みます。
2023年01月01日
こちら開運画像でございます

年始めはハイタカ(上)とオオタカ(下)のダブル・タカ画像で
読者の皆様へ縁起物を捧げます。
そこらの宗教のウソ臭い、いや、胡散臭い、ではなく、いかさまグッズよりよっぽどご利益がありますよ☆
生きていれば絶対に楽しいことや良いことがありますので、
共に粘り強く歩を進めましょう。
イトウ釣行記は近日中に更新開始予定。
渾身の記事なのでめちゃくちゃ長いですが、
ご一読頂ければ幸いでございます。
Posted by Миру Україні at
07:07